「数勘定と金勘定」−現役の「ぐうたら伝道者」

(7-8-03)

はじめまして、現役の「ぐうたら伝道者」と申します。
 
今回が初めての投稿ですが、表題は「数勘定と金勘定」とさせていただきます。
 
1 数勘定
 
 まずは「創造者」の本の一節(1節ではない)です。
 
[182ページの囲み記事]
あなたの神経接合の数は数えられている
(前略)
  こうした発見には,聖書が復活について述べている事柄から見て興味深いものがあり
ます。(ヨハネ 5:28,29)成人の場合,脳の全体には10億を100万倍した数のニューロ
ン接合があります。これは1のあとにゼロを15個つけた数です。創造者は,こうした接
合の数を数えるだけでなく,それを再構成する能力も持っておられるでしょうか。
  ワールドブック百科事典(The World Book Encyclopedia)は,宇宙にある星の数を
10億の2,000億倍,つまり2の後にゼロを20個つけた数としています。創造者はこうした
星のすべてをそれぞれの名前で知っておられます。(イザヤ 40:26)ですから,ご自分
が復活させようとする人たちの記憶や感情を織り成すニューロンの接合具合を思い起こ
して,それを再構成することはまさにその方の能力のうちにあります。
 
 私にとって不愉快なのは、「10億を100万倍した数」、「10億の2,000億倍」という数
勘定です。ここでベースになっているのは、明らかに「10億」すなわちbillionという
単位です。
  もちろん日本語に10の10乗以上を数える単位がないというならまだ話はわかりますが、
ご存じのように日本語には「万」、「億」、「兆」、「京」、「垓」……「無量」、
「大数」(又は「無量大数」)といった、10の60乗まで数える単位があります。ですから
上記はそれぞれ「1千兆」、「2垓」といった日本語表記をするべきなのです。まあ、
「垓」はなじみが薄い単位ですからなんらかの解説が必要とは思いますが、それでも
「1兆の2億倍」が妥当なところでしょう。
  しかし日本語版「創造者」の本は上記のように、「10億」を単位とした数表記のみ
です。「1千兆」、「2垓」(1兆の2億倍)の併記、かっこ書きさえしていません。日本人
読者の理解を全く考えていない「日本語版」いや日本語もどき版というべきでしょう。
  「一般的な教育を十分に受けていても、神の存在を信じていない人々」、いわゆる
高等教育を受けた人を主な対象としているとして発刊されたこの「創造者」の本にこん
な「言語、意味とも不明瞭」な数勘定を記しておいて、対象読者の理解など得られるわ
けがありません。少しでも目端の効く方ならば「わかったよ、この英語かぶれ、アメリ
カかぶれ」と軽蔑し、不信感を増幅させるに違いありません。
  「そんなことはわかっている」とうそぶく海老名の方、私は問いたい。「わかってい
るならなぜ対策を講じなかったのですか。」海老名の方のご回答はこうでしょう「そん
なことをしたらブルックリンから何をされるかわかったものではない。私の立場も考え
てくれ。」 
 ところがです、海老名は金勘定だけはしっかりやっているんですよ。2003年7月22日号
「目ざめよ!」28ページでも「サメのひれは、公開市場で1ポンド(約450グラム)当たり
200ドル(約2万4,000円)以上」という具合です。こんな表記が英語版にあるでしょうか。
もちろんありません。「1ポンド当たり200ドル以上」だけです。
 
2 金勘定
 
 次はこのHPでも評価の高い「洞察」からです。
 
洞察第2巻 1052ページ ユダ,II
聖書にはユダの堕落した歩みの動機について詳しいことは記されていませんが,西暦33
年のニサン9日,つまりイエスが亡くなる5日前に起きた事は,問題を理解するのに役立
ちます。ベタニヤのらい病人シモンの家で,ラザロの姉妹マリアは300デナリ相当の香油
でイエスに油を注ぎました。300デナリとい、のは,労働者一人のほぼ1年分の賃金でし
た。(マタ 20:2)
 
洞察第2巻 669ページ 負債,負い目,債務者 
イエスの例え  西暦1世紀当時,債権者と債務者の関係はユダヤ人にとって大変なじみ深
いものだったので,イエスは時々その点をご自分の例えの中で引き合いに出されました。
イエスは,6,000万デナリ(約4,000万j)の負債を免除されたにもかかわらず,100デナ
リ(約70j)の負債のために仲間の奴隷を獄に投げ込んだ邪悪な奴隷について話すことに
より,許すことの必要性を強調されました。
 
  それぞれのページを個々に読めば多少理解は深まるかと思いますが、こうして両方を並
べてみると、特にアメリカ人、日本人などいわゆる先進諸国にお住まいの方は激しく混乱
されるのではないでしょうか。
  上段では「300デナリというのは,労働者一人のほぼ1年分の賃金」、つまり、1デナリ=
1日の日当、賃金1日分といっているのに、下段では「100デナリ(約70j)」つまり、1デ
ナリ=70セントという。70セントが賃金1日分??? 日本円に換算しても2003年7月現在では
100円を超えることはありません。もちろん日本の最低賃金規制では、100円などというの
は1日当たり賃金どころか1時間当たり賃金でさえありません。1時間当たり賃金でも600〜
700円というところです。日米を含めた先進諸国の実情からはかけ離れたものです。
  実は私は、下段のデナリ−ドル(又は円)換算はなくてもいいと思っています。「1デナ
リ=1日の賃金」ということだけをはっきりさせれば、後は個々の国の事情に合わせて考え
ることで、マタイ18章にある「6,000万デナリの負債を免除されたにもかかわらず,100デ
ナリの負債のために仲間の奴隷を獄に投げ込んだ邪悪な奴隷」についての理解も深まるの
ではないでしょうか。
  現代日本に当てはめてみましょう。勤労者の年間賃金が平均400万円とされていますから、
1日の賃金は1万円となります(『「永久追放により」−排斥者への対応』を投稿された方も
お考えは同じかと思います)。「獄に投げこまれた」奴隷(以下「奴隷A」)の負債は100万
円、「投げこんだ」奴隷(以下「奴隷B」)の負債は6,000億円。奴隷A程度の負債は個人とし
て誰でも抱える可能性がありますが、奴隷Bの負債はそもそも全くの個人としてはきわめて
考えにくい。そんな莫大な借り入れを1個人に認めるような金融業者がどこの世界にいるで
しょうか。
  ここで考えるべきなのは、奴隷A、奴隷Bとも「王の」奴隷であったということです。現
代日本ならば、国家公務員というところでしょう。 となると、奴隷Aはいわゆる下積みの
役職なし公務員で、奴隷Bは豊富な事業予算を潤沢に使える高級官僚と言えます。奴隷Bは
国家的プロジェクトに莫大な予算をつぎ込んだもののそのプロジェクトは大失敗し、その
ため生じた莫大な負債が「王の」監査によって露見、奴隷Aは当初「一生かけて償う」と
いっていたのですが、王の哀れみにより、負債をなかったことにしてもらっています。
これはりそなに2兆円の公的資金を注入した日本政府よりも寛大な(というか大甘の)措置
と言えましょう。りそなにつぎ込まれた2兆円は、「必ずしも返済されるとは限らないが、
今のところ返済の意志は表明されている」のですから。
  その後奴隷Bが奴隷Aにしたことについては、決して許されるものではありませんが、奴
隷Aの負債が現代日本の100万円相当だとしたら、奴隷Aの気持ちも多少は理解しやすくなる
かもしれません。100万円を「端金」と言い切れる日本人はそう多くはないでしょうから。
つまり奴隷Aの奴隷Bに対する負債は、客観的にみれば、あるいは絶対的には、決して「と
るに足りない」とか、「いちいちめくじらを立てるようなものではない」ということは
なく、「それ相応の」もの、免除するには、あるいは返済を猶予するには覚悟と勇気が必
要な程度のものだった。それでも奴隷Aは奴隷Bに対して負債の免除又は返済の猶予をする
べきであったと結論づければ、この聖句の前段でイエスがペテロに対し、「7回ではなく
77回まで」許すように諭していることと整合がとれます。
  さて、もうひとつ考えるべきなのは、奴隷Bと奴隷Aの上下関係です。たしかに「王の奴
隷」であったという点では、「仲間の奴隷」でしょうが、これは次官、局長も末端の職員
も国家公務員であるというようなもので、奴隷Bは奴隷Aを「借りているものを返すまで獄
に入ら」せるよう命令できる、圧倒的な上位者であると理解できます。つまり「王に仕え
る仲間の奴隷」でも、絶大な権威と権力を王から艪セねられた奴隷Bは、末端で仕事を果た
す奴隷Aに対して、とりわけ寛大さが求められているということです。
  しかし、上記の「洞察」の記述は、奴隷Aの奴隷Bに対する負債をたったの70ドル(1万
円)程度と言いくるめることで、奴隷Bのしたことの意味を「みみっちい」、「軽々しい」
ものにしてしまいました。JWICのような情報源のない現役の兄弟たちに、「組織の上位者
は末端の信者に対し、寛大な取り扱いをすべきである」というイエスの諭しから、意図的
に目をそらそうとしているのかと疑念を抱かざるを得ません。

《編集者より》
「わかったよ、この英語かぶれ、アメリカかぶれ」についてですが、ものみの塔宗教がアメリカで作られた宗教で、世界全体を支配する本部の中枢がアメリカにあり、その出版物が全てを決める以上、何もこのような翻訳に限らず、全てがアメリカ色、英語直訳となることは当然ではないでしょうか。あなたの指摘は、ものみの塔の出版物に無数にある英語直訳の不自然さの一つの例に過ぎないと思います。現代の貨幣価値と聖書の当時の今から2000年前の貨幣価値とをどうやって換算するのかについてですが、これにはそもそも色んな方法があって確実に換算はできないと思います。現代の世の中でも、労働者の一年の賃金は場所によって雲泥の差があります。いずれにしても、私には「洞察」のこの記事が「イエスの諭しから意図的に目をそらそうとしている」とは読めませんでした。