「JWシンドローム(個人研究に寄せて)」−CIAより

(7-4-03)

「今月の会衆の目標は成員に個人研究を励ます、としました。そのためにどん
なことができるでしょうか。何か提案はありますか」
集会の後の長老と僕の集まりでの議題です。
内心、吹き出しそうになりました。いいのかい?本気で個人研究など勧めた
ら、みんな辞めちまうぞ。そこんところ、はっきり認識しているんだろう
なぁ。

もちろん口には出しませんよ。もっともらしい顔をして、誰がどんな意見を言
うのか、興味津々。バリバリエリートのK兄弟、さっと手を挙げます。
「個人研究を励ますのには、それ相応の良い動機が必要だと思います」

おやおや、何もわかっちゃいないな。協会の公式意見を聞いている訳じゃない
んだよ。そう苦笑していたら、主宰監督が我が意を得たりという顔をして、に
こやかに相づちを打ちました。
「兄弟、それは良いところに気づかれましたね」
これは実演の練習だったのかと耳を疑ったら、年輩の食えない僕の兄弟が、若
い兄弟をにらみつけながら、ズバリと言います。
「その良い動機をどのように成員に与えるのかが問題でしょう」
K兄弟は侮辱されたとでも感じたらしく(本当に侮辱したと思いますけどね)
赤い顔をして立ち上がりました。
「では兄弟がその方法を提案してください」
「簡単にできるくらいなら、提案などいらんでしょう。それともK兄弟には何
か良い提案があるんですか。あったら後学のために是非伺いたいもんです」
肝心の主宰監督はこれから自分が提案をする予定のノートに夢中で、発言の内
容など聞いちゃいないから、こんな険悪な雰囲気にも笑顔を絶やさない。
「そろそろ意見も出尽くしたようですから・・・」と自ら話を聞いていなかっ
たことを暴露しながら、にこやかに切り出した。
年輩の僕の兄弟は、一瞬あっけにとられたかおをして、K兄弟をにらみつけま
したが、すぐに元の無表情に戻りました。この年輩の兄弟影では「亀さん」と
呼ばれています。始めは意味がわからなかったのですが、鶴は千年、亀は万年
僕ということでした。集まりがあればこの調子ですし、プログラムを扱わせれ
ば、次のプログラムの兄弟が大慌てでさりげなく訂正しなくてはならない始末
で、万年僕も宜なるかな。

 結局、この集まりでは、個人研究を励ますための提案がいくつか披露されま
したが、どれもこれも実際には使い物にならない絵に描いた餅で、それでもみ
なさん真剣にメモをとっていましたっけ。

 先ほど本気で個人研究を始めたら、みんな辞めてしまうと思ったのは、協会
が聖書の提案には実に不忠実で、そのことに気がつくと、パニックを引き起こ
すからという意味からですが、そのことについては別の機会に書くことにし
て、今日のテーマはもう少し次元の低いレベルの個人研究です。
 
 そもそも個人研究は何をするのでしょうか。
1研究記事なり書籍なりを読む。
2質問を読む
3答えは必ず本文に書いてあるのだから、そこに線を引く
これで終わり。あとは追加オプションで・・・

4参照聖句を調べる(これは几帳面に全部調べる人と、そうでない人がいる)
5聖句を質問に結びつけた注解を考える(これもできる人だけ)
 4と5は開拓者クラスの成員が得意になって行う。
 
次は、長老、僕クラス
6質問を概観し、聖句の注解を含めながら、記事全体としての適用を独自の言
葉で
  述べる。(注・独自の言葉でとは、記事に書いていない言葉で同じ意味のこ
とを注  
 解することを言う)
7同じくその節や、主題に関連して会衆に質問を適用し、成員に注意を喚起し
たり、
 奉仕を励ましたり、集会への参加を励ましたりするという見解を述べる。

だいたいこんなところでしょうか。せいぜい1から3までの個人研究、日本語
が読めて質問の意味が理解できて、あとは色のきれいなラインマーカー、また
は赤いボールペンなどが用意できる人であれば、わざわざ励ますまでのことは
ないと、司会者になるまでそう思っていました。
 あまかった・・・そう思ったのは初めて司会をした時でした。
3までも満足にできない姉妹が、本当にいるのです。もちろん中には、意味の
通らない妙な見解が次々と変更され、その都度小難しい言葉で煙に巻かれるの
で、まさに聖書は(というより協会の出版物は)暗号の書だと思う時もありま
すが、それでも一応質問が本文にまで載っているわけですから、答えくらいは
探せると思うのですが。
別にその意味まで聞いたりしませんよ、司会者だってわからないんですから。
仮にA姉妹としておきますが、この姉妹、3人の男の子がいて確かに集会につ
れてくるだけでも大変な努力をされていました。子供にいつも気を配り、そこ
までしなくてもと思うくらい、集会の間中子供達の聖書の持ち方から、座り
方、ノートの取り方、事細かに注意を払っていました。
 これをステージの上から見ると、全く別の意味からそのようにしている事が
わかって来ました。
 この姉妹個人研究による予習ができなかったのでしょう。回りが手を挙げて
いる時になると、とたんに3人の子供を代わる代わる、手を叩いたり、座り方
を注意したり始めるのです。
 挙手してから司会者が指名するまで、長くても5〜10秒程度です。その間
子供達に忙しくしていれば、手を挙げなくてもすむのです。さすがに質問のた
びにこの方法は使えませんので、A姉妹は手は挙げるけれども指名されない方
法を編み出していました。
司会者が誰かを指名した瞬間に手を挙げるのです。指名はされませんし、でも
手は挙げていたことを周囲に見せることができます。
 考えすぎだと言われそうですが、司会者は、なるべく挙手した人全員に公平
に指名して注解の機会を与えるよう、提案されているのです。いつも手を挙げ
ているのに、指名していないとなると、内心焦ってきますから、指名できない
姉妹を注意してみているようになります。すると見ている時は手を挙げず、や
むを得ず他の人を指名すると、その瞬間に手が上がるのです。これが繰り返さ
れれば、いやでも気づきます。
手を挙げるけれども指されなかったというカモフラージュであると。
 そこまでしなくても注解したくない、注解できないのであれば、手など挙げ
ずに堂々と他の人に注解を聞いていればと思うのですが、出版物で注解して集
会に参加しましょうとか、常に励まされているために、注解をしなければ集会
に参加していないという強迫観念がつきまとってしまうのです。
 あれから子供達が大きくなって、お母さんの自分たちへの注意は、本来不必
要なもので、じつはお母さんが注解から逃れるための口実だと気がついた時
に、3人の子供は順番に組織から離れていきました。結果的にはその子達のた
めには良かったのですが、個人研究一つ、その発表の場である注解一つとって
も、JWはものすごい圧力を受けていることがわかります。
 個人研究の正体は、自分の考えをなるべく早く組織の考えにすり替えさせ、
なおそれを自発的に行わせることで、洗脳の意識を持たせることなく、従順な
信者を作り上げることにあります。質問に対する答えは、一見普通の学習と同
じに見えますが、それが文章上から、特定の考えを探すことを意図して行われ
る場合、探すという行為が能動的に情報を受け入れる下地を作らされることに
なり、自分で見つけた(実際には組織が用意した)考えを、自分のものとして
受け入れてしまうのです。
 これは実に巧妙に仕組まれた洗脳教育で、これを続けていくと、模範的なエ
ホバの証人ができあがるわけです。エホバより組織への従順という本末転倒の
理論も、口ではエホバに信仰を持っていますと言うように洗脳され、本人すら
自覚できないような、無自覚の完全洗脳の組織的教育・・・これを促進するの
が個人研究でしょうか。
 いま本当に目覚めつつある人たちへ、もう一度研究記事をご自分の目で読ま
れることをお勧めします。洗脳のパターンが見えてきたら、解放の日は近いか
もしれません。

《編集者より》
私はエホバの証人の「研究」のやり方は、考えずに物事を覚える、つまり丸暗記のような学習に効率的な方法であると、いつも思っています。これは小学校の低学年の学習に近いやり方で、一つの質問、一つの言葉に、それに対応する答え、それに対応する説明や聖句、を対応付ける学習です。それは2x2と言われた時は、考えることなく4と答える訓練と似ています。しかし、ものみの塔協会が「世の知恵」として避けさせる高等教育では、まず自分の頭で考えて、事実を先ず客観的に観察し、論理だってそれを分析して、最後に自分の頭で結論を出す、その思考過程そのものを訓練されます。このような学習は、エホバの証人の研究では絶対にありえないし、あってはならないのです。充分な知能を持った大人に対し、小学校低学年の方法で、言葉や概念の対応を記憶させるだけの教育を押し通す、ものみの塔協会のやり方は、「洗脳」、「マインドコントロール」と言われても仕方がないのではないでしょうか。