「そこに愛が見つかりますか を読んで」さんへ フリーダムより

(6-29-03)

「FROM DANDELION」さんへ
ダンディリオンってお読みするのでしょうか。辞書で調べてみる前までは何かのアニメの
主人公の名前かな、なんて思っていました。
「たんぽぽ」だったんですね。たんぽぽさんが私の投稿に関する感想を書き綴った投稿も
お読みしましたが、その前のたんぽぽさんのお母さんに宛てて書かれた投稿も読ませて頂
きました。
 
ところで私が投稿するときには自分のメールアドレスを公開しているのですが、この当初
の目的はまだ現役で組織の中にいて,間違いに気づいているにもかかわらず,マインドコ
ントロールのためにやめられないで悩んでいる人たちの背中を「ポン」とメール交換とい
う方法で叩いてあげられたらいいな、くらいのかるい気持ちで公開したのですが、実際メ
ールとして届くのは自分と同じ二世の境遇で育った人たちからのメールを一番多く頂きま
した。実際たくさんの元二世の方からのメールを頂いて読んでいくうちに,自分の子供の
頃からの経験とやめるまでの現役の頃の経験が、メールを読むたくさんの二世の人たちの
経験と重ね合わされて共感して読んでくれているのだなと思いました。そしてそうした元
二世の方々からのメール一つ一つは逆に私の心を今度は共感させ,自分と同じ境遇の人た
ちがこんなにたくさんいたのだということと、いまだにまだ完全には癒されていない現在
のわたしの心も癒してくれるのを感じます。
 
たんぽぽさんのようにとても辛い思いをされた方に、私の今までの投稿が少しでもたんぽ
ぽさんの前向きな見方に役立つことが出来たとしたら、投稿をしてきて本当に良かったと
思っています。
 
私の母親の事,少し書かせて頂けますか。去年の7月の時にした投稿で,私は少し訂正し
なければならない部分があります。それは自分の事を「典型的な二世」だと紹介している
こと。じつは「典型的な」という言葉をあまり深く考えずに使ってしまいました。という
のは、私の母親はエホバの証人にならなかった,バプテスマを受けていない未信者の母親
だったということです。父親はバリバリの長老として働いておきながら母親は最後まで自
分がエホバの証人になる事だけは抵抗したのです。このことは現役の頃からたくさんの人
たちに珍しがられました。長老に推薦される条件として「家族のものを立派に治める」と
いう条件を父親は満たしていなかったのです。父親は特開者の姉妹から「見よ」の小冊子、
当時はわら半紙のザラザラの紙で印刷された薄っぺらいものでした。父親はその小冊子一
冊を研究するだけでバプテスマを受けることになったのです。そして数ヶ月で地元初の
「長老」として推薦され、気がついた頃にはすでにもう長老たちの中でも一目置かれるよ
うになり,私の父親の長老としての資格を根掘り葉掘り言い出す勇気のある長老は周囲に
は一人もいなくなっていったのだと思います。ただ父親が長老でありつづけることの出来
たもう一方の理由は、母親がやがて非常に協力的な未信者になっていった事なのかもしれ
ません。父親はエホバの証人になってから世俗の仕事を辞め新聞配達の仕事に就きました。
収入が極端に減っても母親は父親に不平を言いませんでした。集会や野外奉仕へ父親と私
たち子供全員が出掛けるときも母親は父親のズボンとワイシャツにアイロンをかけ,子供
たちの服をちゃんと準備して送り出してくれました。巡回監督や他の会衆からの講演者の
食事招待のときも、母親は一生懸命料理を作りそれらの人たちを歓迎したのです。一緒に
研究しませんかという会衆の姉妹たちからの誘いに母親は最後まで応じることはありませ
んでした。
 
母親はなぜそれほどまで抵抗したのだろう、私が思うには母親がエホバの証人の組織の本
質を実際は薄々気付いていたのではないだろうかということです。それは,父親は自らエ
ホバの証人になる事を選んだとしても,私たち子供たちが本当に喜んで集会には行ってい
ないこと、どこか無理して伝道者になり,バプテスマを受け,開拓奉仕の道を選んでい
った私たち子供四人の様子を観察していたのです。会衆で,家から家の奉仕で心無い一言
で傷ついてしまった時、その悩みのはけ口,そして受け皿はいつも母親でした。そんなと
き母親はいつも聖書からではなく,親としていつも公平な冷静な「ものの見方」というも
のを教えてくれました。ある時私の姉が奉仕から泣いて帰って来たことがありました。そ
れは奉仕ではいていったスカートの丈の高さが短いとみんなの前で奉仕の司会者の兄弟か
ら指摘されたからなのでした。その当時はミニスカートが流行っていてなかなか丈の長い
スカートは見つける事が困難だったのです。そのスカートも母親と買い物で見つけまわり,
やっと無難な丈のものを買ってはいて行ったのです。母親はこの時さすがに頭にきたよう
で、その奉仕の司会者の家まで押していき、そんな細かい服装のことで人の価値や聖書を
教えまわる資格が関係するのかと不満を思いきりぶつけたのでした。さすがに父親はこの
時取った母親の行動に動揺が隠せませんでした。一番上の兄が特開者として数年働いて地
元に戻ってきた時,母親は「あの子は特開で帰ってきてから,少し性格が変わったね」と
言いました。兄の本来の持っている良いものを見失い,他の人の目をいつも気にしてしま
うようになった兄を母親はしっかり見抜いていたのでした。私が長野で働いていた時もそ
うでした。私が一緒に暮らしたパートナーはとても「要領よく」会衆の中で立ち振る舞う
ことにたけた,「グランドプレイ」のうまいパートナーでした。ある時遅くなった深夜、
私はパートナーの兄弟が自分の親に電話をかけて(彼もやはり二世でした)長野の今の主宰
監督として働いている兄弟のところに「カステラ」を付け届けてほしいとお願いしている
会話を聞いてしまったのです。それは昨日私たち二人が主宰監督の兄弟の家族のところで
食事招待され、会話に上ったひとつの話題でした。主宰監督の兄弟がカステラが大好物だ
ということです。私は「汚い」と思いました。しかしそれでいて不安に刈られたのです。
自分も何かしないとまずいのではないかと不安に刈られたのです。この不安は日にちが経
つにつれ心の中で膨らんでゆき,とうとう私は親に電話をし,事情を説明し「主宰監督の
兄弟の家に何か送ってあげてほしい」とお願いしてしまったのでした。父親はそのお願い
をすぐに承諾しました。ところが次の日に母親が電話をかけてきて、「おまえがそのよう
なこそくな手段で人にへつらい、こびるような子にはなってほしくない」ということ、
「主宰監督の兄弟に気に入れられる前に,会衆の中の目立たない立場の弱い人たちから気
に入られるよう努力する事がもっと大切なのだ」ということを教えてくれたのでした。母
親は長年、自分の父親のところへ近づいて,贈り物を持参し、へつらい,こびを売ってく
るたくさんの兄弟たちの醜い姿を冷静に見ていたのでした。私は自分がした事をそのとき
恥ずかしく思い、父親にしたお願いを撤回しました。そのとき父親も別に私がそのような
人間になって欲しくないと思っていたのでしょうが,実際組織の実情(そのようなこそく
な手段を使う人たちが組織の中で出世し,用いられている)を知っているゆえ,応じてく
れたのだと思います。長老である父親の口よりも,エホバの証人でない母親の口から重く
力強い言葉が出てきたのでした。
 
長々と自分の母親のことばかり書き綴ってしまいました。たんぽぽさん、私の母親とあな
たのお母さんにはひとつの共通したものを私は感じとります。それは,自分としての何か
しっかりした考えを持った,そして自分の中の正直な心を信じ、そしてあの組織の中でも
「自尊心」というものを失わなかった「凛とした姿」です。組織はいつも「自分のことを
必要以上に大切にしてはなりません」とか「自分の考えに頼ってはなりません」と教え、
私たちから徐々に自信を失わせ、自分はダメな人間なんだと思わせ,私たちから「自尊心」
をいったん奪い取ろうとします。そして代わりに自尊心を唯一得られる方法「場所」とし
て、野外奉仕で特権を捕らえること、会衆の中で長老や奉仕の僕になること、たくさんの
研究生の司会をすること,組織の拡大に貢献する時にだけに、そこだけに「自尊心」を得
られる場所があるのだと教えるのです。たんぽぽさん、あなたのお母さんは自分を集会で
叱らなかったとありましたね,懲らしめのむちは子供の「自尊心」を一番踏みにじる事に
なるということをお母さんは知っておられたのだと思います。あなたのお母さんが「組織
の基準」ではなく「親としてのしっかりとした基準」をしっかり持ち、「子供の立派な育
て方」というものをしっかりと見極めていたからなのですね。自分の中にしっかりと「自
尊心」を持つときにはじめてそれは「他の人の自尊心」も気遣ってあげられる,つまりた
んぽぽさん、あなたの「自尊心」も蜷リにすることをお母さんは理解していたのだと思い
ます。以前の私の投稿で「親は中途半端な奉仕や集会にたまに来る子供と交わらせません。
」と私は書きました。「優しさやおもいやりを持つ良い子でも、それは意味をなさず・・・
」とも書きました。たんぽぽさん、あなたのお母さんはそのような組織から教えられた育
て方や考え方の無意味な事をしっかり理解していたのです。あなたが集会でよそ見をした
としても,伝道に携わらなかったとしても,それはお母さんにとってどうでもいい事だっ
たのです。そう,それよりももっと価値あるものをあなたがすでに持っていること,そん
な事よりも,もっと価値のある事をあなたにこれからも見つけていって欲しいと思ってい
たに違いありません。そう,たんぽぽさん自身も親と同じような「自尊心」を持ち、自分
の生き方に自信を持つことのすばらしさを見つけていって欲しいと願ったのではないでし
ょうか。
 
「聖書以外にも自分を成長させ高めてくれるものが沢山あるということ、自分たちが世の
人と呼び軽蔑していた人々にさえ自分は支えられていたということに気づきました。」た
んぽぽさんが私に宛てて書いた「投稿」の中の一文です。よかったですね。このことにた
んぽぽさんが気付いて一番喜こぶのはお母さんでしょうね、ぜひこれからも自分を成長さ
せてくれる、いろいろな本を読んだり,いろいろな人たちとの出会いを大切にしてゆきま
しょう。そして,これからも「自分の事をもっともっと好きに」なるようにしましょう。
私たち元二世にとって一般社会で幸せに生きてゆくうえで大切な事は組織の中で失ってし
まった「自尊心」を早く取り戻すことのような気がします。自分のこころの中の「大好き
な部分」と「あまり好きでない部分」をしっかりと見つめて向き合い(組織の中で染み付
いてしまった裁く傾向を捨て去り)、自分を信じ,自分を愛することがやがて「自尊心」
を生じさせ、世の中で自信を持って生活してゆく事が出来るようになるのだと思います。
 
 
私は現在その母親と一緒に二人で暮らしています。時々亡くなった父親の事が話題になり
ます。年に数回母親と父親の眠るお墓に花束を持って出かけるようにしています。組織に
いる時はそんな事考えられませんでしたが、不思議とその墓の前にたたずむと気持ちが和
むのがわかるのです。組織はその行為を父親を崇拝することだなんていいますが、私にと
って父親は神様になったのでなく,相変わらず「優しく,そして厳しかった」父親のまま
です。たんぽぽさんもこれから先、いろいろな事経験したり,出会いがあったり,そして
辛いことも楽しかったこともいろいろあるでしょう、そんな時お母さんのお墓の前で心の
中で話しかけてみてください。おすすめです。そしてこれからも立派なお母さんを持てた
ことを「誇り」にしていってください。立派なお母さんに自分が育てられたんだというこ
とを「誇り」にしていってください。
 
 
フリーダムより

《編集者より》
これは、「「そこに愛が見つかりますか」を読んで 」と「「お母さん、ありがとう」・・・私が他の2世と違う理由」とに対して投稿されたものです。心暖まる二人の母の話です。どの宗教に属するか、宗教の中でどのような地位にあるか、よりも、何よりも一人の人間としてどう生きるかが、最も重要なことであることを、あなた達の対話を通じて感じました。