「ごめんなさいのページ ”読めない言葉、見えない心”」

(5-31-03)

見えない心、読めない言葉

《訂正とお詫び》
 さて、前回の投稿に編集者様からのお言葉を戴き、やっぱり誤解が生じてしまったな…
と、反省しています。
 まずは、ごめんなさい
 わたしが取り上げたかったのは、エホバの証人の国語の能力ではありません。
それで、あえて、"読めない言葉、見えない心"と冒頭に記述したのですが…。
 なんか解りにくくて、誤解が生じてしまいましたね。
 本当にごめんなさい。
 
 間違いって誰にでもあることだし、間違いをしない人は完全な人だけです。
だから、読めない言葉があっても、間違ったルビをふっても、不完全な人間ゆえ、
しかたないのですよね。

 私が書きたかったのは	こっから先。
じゃあ、間違ったり、読めなかったりしたら、どーする?
 答えはかんたん。
  あやまること。 間違いを認める事。 間違いを訂正する事。

なんで、エホ証って、
 絶対、あやまらないの?
私は、それが不思議?

 どんな世の出版物だって、<訂正とおわび>というコメントが載ってますよね。
でも、ものみの塔って、絶対、あやまらない。
わたし、彼らのそんな"心"がわからないのです。

何年か前、"永遠にいきる"の本が突然、"新しい版"と交換する事って、おふれが出て、
なんでなのか理由は述べられてなかった。
うわさで、理由をきいたけど、この時不思議だったのは、
"なんできちんと理由を説明しないんだろう? 有耶無耶に摩り替えるんだろう?"
って、疑問。
 
きちんと認めてあやまったら、
心のある人は納得すると思う。

それから、難しい言葉を使いたがるお偉いさんにいいたいのは、
イエスだって、言ってるじゃないですか。ってこと。
"あなたは癒されてますと言うのと、おきて寝台をとりあげて歩きなさいと言うのと、
どちらがやさしいですか?"って。
  
例えば、
"荘厳な静けさ"と言うのと、"祈りのような静けさ"と言うのと、
どちらがイメージ沸きますか?
 
では、難しい言葉で説明するのと、やさしい日常的な言葉で説明するのと、
どちらが、楽ですか?

優しい言葉で説明された方がわかりやすいし、難しい言葉で説明する方が楽ですよね。

なんでだろう?

言葉には心が関係してるからって、わたしは思います。
 
なんか、まとまりなくてごめんなさい。
なんとなく、伝わったかな?

《編集者より》
はい、今度は伝わったと思います。エホバの証人、特にその指導者が誤りを認めたり、あやまったりしないのは、「神の地上の組織」と「エホバの民」のプライドが邪魔をしているからだと思います。霊的な食物のはずの出版物の中に誤りがあって、それを公に謝罪して訂正したら、それは神からの霊的な食物ではなく、ただの人間が調理法を間違えた、作りそこないの料理であることが丸見えになるからです。そしてそのような指導部の傲慢で高ぶった態度が、末端のエホバの証人の間にまで浸透しているのだと思います。