「純粋な愛を育むには」−フリーダムより

(5-30-03)

小さな子供の心はじつに純粋で真っ白です。そこに汚れは見られません。黒人と白人のあ
いだでも,イスラエルとパレスチナのあいだでも子供同士の世界ではそこに国境や心の壁
は存在しません。では,そうした子供たちの心の純粋さが大人になっていくうちに、いつ
のまにか敵対心に変わり,憎しみに変わり,軽蔑に変わってしまうのはどうしてなのでし
ょうか。そう,それは「だれかが」その心に、ある特定の人たちに対する「偏見」を教え
込み、「軽蔑心」を抱かせ、「恐怖心」を抱かせるのです。
 
「ものみの塔」2003年7月1日号「純粋な愛を育むには」この記事に本当の純粋な愛を育
む方法が書かれているのでしょうか。
 
○「親は家庭内で、娯楽,道徳。目標,優先すべき事柄に関する,家族のための高い規準
に付き従う事によっても愛を促進できます。」
 
○「家族全員が神に導きを仰ぎ,その基準に従う時,個々の成員は安心感を得,子供は親
に対する愛や敬意を深めてゆくことでしょう。逆に
 家庭内の基準が二面性のある,あるいは欠陥のあるものだったり,いい加減なものだっ
たりすると,子供はイライラし,腹を立て,反抗的に  なるかもしれません。」
 
家族の中に存在する「聖書の原則」にのっとった「高い基準」それは親が自ら示す「手本」
よりもはるかに高く設定された基準なのです。
この基準がやがて、親と子供との間に高い壁となってそそり立つのです。組織の指し示す
基準がやがて親にとって変わり、子供にとって「親の持つ権威」よりも「組織の権威」が
優先されてゆくようになるのです。家庭内の基準に二面性があると子供はイライラすると
ありますが,これはまさに事実で、両親のどちらかがエホバの証人でない場合,子供はそ
の聖書の「高い基準」を満たしていない親を次第に裁き、尊敬しなくなってゆきます。子
供の事を心から愛し,子供のために尽力し、立派な手本を残してあげようと努力しても、
親と子の間に絶えず存在する「組織の権威」この権威があるおかげで,そこに心から信頼
し合える,親密な絆を結び合う事はむずかしくなっています。父親が読む週刊誌の中に水
着を着た女の人の写真があるだけで、もうその父親は「不道徳な」人間として子供から裁
かれてしまうのです。いつのまにか組織は「エホバの証人ではない親」に対する「偏見」
を、そして「エホバの証人にいつになってもなろうとしない親」に対する「軽蔑心」を育
むよう仕向けます。そしてやはり最大の「偏見」をその純粋な心に植え込もうとする組織、
記事の中では次のように述べられています。
 
○「世の霊は邪悪な影響力で,その出どころは,神から疎外された人類という「この世」
の「支配者」悪魔サタンにほかなりません。」
 
○「人がその悪い霊を吸収するのは,物質主義的で自己中心的な考えや,暴力的な態度,
さらにはこの世でごく普通に見られる,愛に関す  るゆがんだ、そして多くの場合,倒
錯した見方に身をさらす時です。純粋な愛において成長したいと思うなら,世の霊に断固
として抵抗しな  ければなりません。」
 
「神から疎外された人類」、エホバの証人ではない人たちは本当に「エホバ神から疎外」
されているのでしょうか。本当に「邪悪な霊の勢力」
の影響力で汚れているのでしょうか。こうしたエホバの証人ではない人たちに対する「偏
見」は純粋な愛を育むどころか,その人たちに対する「軽蔑心」を抱かせ、もうその人た
ちに対する愛を示すための扉を閉ざすよう働きかけるのです。「野外奉仕」という方法以
外には。聖書の中に見られる「親切なサマリア人」にヨするイエスの例え話の意味がわか
りますか。このような偏見を「サマリア人」は持たなかったのではありませんか。一般に
サマリア人とユダヤ人は交渉を持たない習慣がありました。しかしイエスが強調したのは
そのような偏見を抱くことなく、その怪我をしたユダヤ人に対してなされた「純粋な愛」
そのものではありませんか。最後に記事は次のような恐ろしい言葉で締めくくられます。
 
○「そうです。そのみ言葉を心に銘記し,聖霊を祈り求め,クリスチャンの兄弟と定期的
に交わってください。まもなく邪悪な者が皆いなくなり、
 純粋なクリスチャン愛を実践する人々だけになるというというのは,なんと心温まるこ
となのでしょう。」
 
邪悪な者,つまりエホバの証人以外の人たちがいなくなる事,つまりハルマゲドンで「滅
ぼされる」ことが「心温まる」ことなのですか。そして「仲間のエホバの証人だけが」救
われる事だけが「心温まる」ことなのでしょうか。そしてそんな恐ろしい考えを平気で主
張する組織に「純粋な愛」は見出せますか。むしろ彼らが差し出す愛は純粋どころか,
「裏のある愛」「下心のある愛」、つまり組織のいいなりになり,野外奉仕に活発に預か
り,組織の拡大に貢献するときだけに与えられる「条件付きの愛」なのです。
 
 
pfreedom@nifty.com

《編集者より》
私はまだこのものみの塔誌の記事を読んでいませんが、確かにエホバの証人の世界の外側から見れば、恐ろしい内容だと思います。それが「クリスチャン愛」という名前の砂糖でまぶされて、エホバの証人の内部だけで納得し会っている所が恐ろしい所だと思います。フリーダムさんの深い洞察はいつも的をついていて特に付け加えることはありません。