「私がこれまでやめなかったわけ」

(5-26-03)

わたしがこれまでやめなかったわけ
  5月に掲載された広場の読者の方から「そこまでわかっていたのなら、これまで
なぜやめなかったのですか?」という質問がありました。その投書の中でこのウェ
ブにアクセスすること自体が排斥の理由になるのではないかという指摘もありまし
たので、わたしがアクセスする理由も申し添えたいと思います。
  わたしがこのウェブサイトにアクセスをして自分の考えを公表するのは、去っ
て行こうとする自分の気持ちを整理し、心を癒すため、また自分の考えの正しさを
確認したいがためです。またできるのなら、励ましの言葉をいただきたいとも思い
ました。
  密告でもされて、このウェブにアクセスしていることが知られてしまえば、お
そらく奉仕の僕は削除されると思いますが、サイトの管理者が排斥者や背教者では
ないと主張していますのでわたしを排斥することは無理でしょう。また排斥された
人のページが存在してはいますが、どこの誰かを確かめようがないので、わたしは
怪しいことをしている烙印は押されるでしょうが、実際の排斥者と連絡をしている
のかを確認することはできません。ですから、レイモンド・フランズ兄弟や大勢を
排斥に追い込んだような無理な言いがかりでもつけない限り、排斥にはできないと
思います。でも、そうなったときはそうなったときです。覚悟はできています。
  さて、わたしの投書を読まれる限り、組織の誤りをかなりよくわかっていると
いう印象を与えるであろうと思います。それから、5月のわたしの投書には、多少で
すがこれまで去っていかなかった理由の一端がうかがえるであろうと思います。
  たしかに、4月と5月に掲載していただいた投書の内容は以前から脳裏にあった
ことは事実ですが、はっきりとした確信がありませんでした。その投書で何度も述
べているようにおかしいと感じていただけであり、おかしいと感じる理由について
の根拠にはっきりした自信がなかったのです。あのような考えを持っていることが
知られれば、背教者扱いされることはわかりきったことです。しかしながらそうし
たことよりも、わたしは教理上の誤り、特に預言の解釈を重要なものとはみなして
はいませんでした。なぜなら、研究生時代から、1976年の年鑑などを読んで過去に
おいて組織が預言の失敗を繰り返したことがあり、これからも恐らくはさまざまな
変更が加えられるだろうと考えていたからです。そのようにも考えていたのです
が、そこまでの変更以上の変更はないだろうとも考えました。それにしても、なぜ
このような組織と関わることを選択したのかということですが…。
  それは、10代後半から20代前半のわたしには組織が世界中でいちばん高潔で信
頼できる人々の集団に見え、また組織による聖書解釈は変更されたとしても真正な
神の言葉そのものの預言が成就せずに終わることはないと確信できたからです。
また、世界情勢から考慮して、もし現代に人間以上の存在が人間の物事に介入して
変革を生じさせないのであれば、人間いや生物全体が滅びてしまうと考えました。
わたしは高校生時代から、世界に見られる美しく調和の取れた法則を考えて人間以
上の知性が存在することを信じていました。それが神であるのかはわかりませんで
したが、その存在が人間を助けてくれなければ、人間は自らの愚かさで滅びてしま
うと考えたところがこれ以上の預言の変更はないだろうと考えた理由です。それ
で、その知性ある存在が助けてくれるか、滅びてしまうかのどちらかだと考えてい
たところで、家庭聖書研究に応じたのです。そうしたわたしには実にぴったりの教
義だったのです。
それから、わたしはエホバの証人と研究する前には二、三の宗教と関わりを持って
いました。それらの宗教は行ないや教義の面でわたしの考えにあいませんでした。
特にわたしにとっては、どの宗教でも多くの場合、障害を持つ人や病気の人に対し
て宗教にはいるのであれば病気や体の不自由さの回復を唱えることは気にいりませ
んでした。これはそれらの人々のもっとも弱い点を逆手にとって利用することです
ので、わたしには不公正でずるく感じたのです。
また、多くの場合金銭などの寄付も要求されるのです。確かに世の中で生活してい
れば金銭なしで物事を行なうことは不可能です。しかし、高校生のわたしのような
ものにも寄付の要求をほのめかすことをするのですから、おかしなものだと感じま
した。
わたしと研究してくださった方は、当時寄付制だった書籍や雑誌の寄付をほのめか
すこともなく、さらに自分のポケットマネーから食事などをさせてくれました。そ
して、病人や障害者との接し方も、それまでの宗教とは異なり信じていれば、奇跡
的によくなるという主張も聞いたことがありませんでした。わたしにとっては居心
地がよかったわけです。そのような人間の扱い方をわたしは気に入ったところで、
さらに深入りし、マインドコントロールされていったのだろうと思います。  
そのようなわけで、わたしにとっては預言の教義の変更はささいなことでした。し
かしながら、わたしがこの組織を去ろうとする理由は、精神的・感情的に危険を感じ
始めて、この組織にとどまるのであれば、これらの危険な状態が自分を廃人に追い
込んでしまうであろうという根拠がはっきりしてきたからです。多くのウェブペー
ジでも公表されていますが、組織が聖書的であると主張して信者であるわたしたち
に守るよう教える教義はほとんどか、まったく聖書には記述されておらず、だれも
聖句の根拠を示すことができません。そして、人間の生来の欲求に対して奇妙なぐ
らい不自然です。それで、よくよく聖書を自力で読んでみれば、それらに該当する
記録がないのですから、根拠を示すことができないのは当然だったのです。
先ほど組織の人々がいちばん信頼できるように見えたと述べました。確かにそのよ
うな人も大勢います。それは社会の中でもそのような人が存在するのと同じです。
あとから分かってきたことは、わたしにそのように見えたのは研究生であるわたし
はお客さんであり、そのお客さんに組織の悪い点や不都合なことを言うわけはない
ということだったのです。バプテスマを受けてから十年ほどのころでしょうか、信
者からの扱いにうんざりしたわたしは年長で信頼のおける兄弟に“組織に関して話
すことに自信がなくなったのでどうしたらよいだろうか?”と相談したことがあっ
たのですが、彼の返事は“よいところを話すしかない”というようなものでした。
どのような組織であれ対人関係の不和や誤解が生じるのは当然のことで、この組織
も例外ではありません。研究生時代には、人間はアダムから受け継いだ罪のために
間違いを犯すことは誰も避けられないということを徹底的に学びます。それでわた
しは聖書の原則を当てはめるのであれば、たとえ不和や誤解が生じても穏やかです
みやかに解決できることを期待しました。でもそうではなかったのです…。
詳しくは徐々に時間をかけて投書するつもりですので、ここではいくつかを簡単に
述べてみたいと思います。
不和や人生において大切な事柄は男性であれ女性であれ個人的に対面し、話し合っ
て解決するというのが、聖書の原則などを知らなくとも行なうべき人の道であると
わたしは信じてきました。ましてわたしたちエホバの証人は聖書の原則を文字通り
当てはめる真理の組織であると自負し主張するのですから、マタイ5章や18章に記さ
れている不和を解決する原則などは守ることができて当然だと思います。それは組
織の提案などではなく直接の神の独り子イエスが教えているのです。それで話し合
いを申し込んでも、あなたのことは嫌いですとか、男性とは公の場所でも会わない
ことにしているなどという理由で、話し合うことすら拒否されることが多いことに
わたしは当惑し、動揺しました。
また、ウェブでも多くが語られていますが、長老たちの偽善的な行為にも大いに心
を悩ませました。
世の中で学校や職業訓練施設など多くのところは、前もって予告されてお役所の検
分というか査察のようなことがあります。その場合、職員は普段では到底なされて
いないことを行ない、検分の数分間だけ、いつもはそれを行なっているかのように
見せかけるのです。
わたしは聖書の原則を知らない人々のことだから、そのようなことがあってもまあ
いいかと思ってきました。でも、証人たちの巡回訪問のときなどはこれにそっくり
な状況が生じています。たとえば、ある長老は普段の日は集会時間ぎりぎりに来る
か遅刻です。他の人の歓迎なども行ないませんし、わたしたちに握手なども求めま
せん。また、集会中には協会からの手紙を読んだり、コピー機などを操作したりし
ます。ところが巡回監督の見えるところでは、時間より20分も30分も早く到着し、
歓迎や握手などを行ないます。普段行なっていることは一切せず、巡回訪問用のシ
フトに切り替えるのが非常にすばやく巧みで世故にたけています。巡回監督と言え
ども人間をだますことは簡単なことです。
人間は誰しも悩んだり問題を抱えるものです。組織の出版物は長老は巧みな人を癒
す助言を与えるべきだと述べはしますが、特に感情の絡んだ問題になると、聖書の
原則や出版物を用いて相談者の感情を真っ向から否定しにかかり、問題を抱える人
を悪者扱いすることが多いのです。わたしも他の人もこのような扱いを多く受け、
気が狂うのではないかと懸念するほどの状態に追い込まれたことが幾度もありま
す。
わたしも強いマインドコントロールにかかっていたのでしょう。情報が少ないこと
もありました。わたしが追い込まれている状況は自分のおかれているごく一部の場
合に生じていることであり、統治体や支部のレベルでは健全な状態が保たれている
はずだと、神が時期を見て解決されるはずだと、必死に自分の心に言い聞かせてな
だめようとしていたのです。要するに自分を自分で欺こうと必死でした。
でも、長いこと組織と交わっていると多くの情報が入ってくるものです。特に長老
の不祥事については多くを聞きますので、自分に生じていることは例外ではないと
分かってきます。そして決定的だったのが、親友のエホバの証人からJWICを知らさ
れたことです。彼はJWICを見るようすすめてはくれましたが、わたしにすすめるの
は怖かったそうです。それは当然ですが、勇気ある彼に感謝もしています。この情
報源を通してわたしのおかれている状況が長年の組織の方針であり、染み付いた体
質であったということがはっきりしたのです。長老や不誠実な人々はこの方針や体
質の厳密な描出であり反映でした。それで、苦しむのは当然のことだったのです。
わたしはエホバの証人の述べる聖書の解釈をすべて否定はしません。よい教えもた
くさんあります。楽園は来るかもしれません。復活はあるかもしれません。事実そ
うであってほしい気持ちは十分にあります。しかしいつ来るのか分からないこと、
不定の時のそれまで自分の感情を否定しつづけることが非常に危険で不可能になっ
てきたことを悟ったのです。もしそれを自分にこの先も強要しつづけるのであれ
ば、自分で自分を精神的・感情的廃人の道をまっしぐらに進ませることになるで
しょう。
現在のわたしはこれらのことをはっきり理解しています。それですから、徐々に身
を退いて行くつもりですが、大切な友人を失ったり、傷つけることは望んでいませ
ん。そのようなわけでこれまで組織に留まって来たのです。

《編集者より》
これは、奉仕の僕として3月に「1914年の世代について」の投書を頂いた方からです。詳細なあなたのエホバの証人としての歴史を書いていただき、本当にありがとうございました。長い歴史の中で、様々な矛盾を通して「良心の危機」を体験してきたことは、他の多くの誠実なエホバの証人の体験と一致するものです。他の投書にも書きましたが、私の助言はあくまであなたが受ける傷を最小限に留める形で、徐々に身を引くことです。もう一つ、これも私がいつもお願いしていることは、同じ苦しみを抱える人々や、後に続く方々への助けになってあげて欲しいことです。元エホバの証人同士の助け合いは、非常に重要であり、貴重なものなのです。