「協会への怒りを込めた抵抗宣言」

(5-17-03)

神の霊に導かれる組織に固く付き従う。どんなに不公正や理不尽な仕打ちを目の当りにし
ても、この魔法の呪文で疑問、怒り、幻滅など全ての気持ちが鎮圧される。おかしいんじ
ゃない?聖書にはキリストにしっかり付くようにとある。組織はキリストをどう思ってん
の?公正と義の神を信じているならどうして監督の支配がまかり通るの?どうして唯一通
りの解釈だけが絶対の基準になるの?俺はこういう事を密かに話していく事にした。協会
よ、何時までも蹂躙され続けはしませんぜ。俺たちは人間なんだ。あんたらのペットじゃ
ない!
私が開拓者だった頃、月収は12万円でした。その中から部屋代、光熱費などの他に会衆と
協会への寄付も取り分けていました。五千円づつ、計一万円です。まさか株式などに投資
しているなどとは知らなかったのです。食べるので精一杯で、39度の熱が出ても医者にか
かりませんでした。
今はかろうじて現役ですが、普通に働いています。忙しければ集会を休みます。寄付はび
た一文しません。株で儲けてるんならそれで賄えばいいんです。私は他人の寄付を投機に
使うのは道義に反すると考えます。無駄になる可能性があるから。
水泳部で才能が発揮した。先生も期待し励ました。学校の名誉のためではない。優秀な教
師は生徒の個性を伸ばす助けをする。生徒が達成感を得、自分に価値と自信を培わせるの
は大切な教育だ。経験によると彼女は部活を辞め、補助開拓を始めた。自分を高める目標
を追い求めるより人に仕える生き方を選んだ模範だということだ。彼女は本当に幸福なの
か。大会で人前に出た、名が知れた、それが価値なのか。若いうちは周囲に迎合すること
に心砕くより自分の個性を思い切り研くべきだ。そうする事で自信を得他の個性を受容で
きるようになる。
「昼寝するぶた」という掲示板に、武田みさえ判決以後JWを受け入れる病院が激減してお
り、医療連絡委員会はサービスできないようになっている、という書き込みがあった。問
い合わせても自分で探せと言われるそうだ。同掲示板にはまた、大ちゃんの親御さんが交
わっている会衆では、大ちゃんの話は暗黙の内にタブーになっているという現場からの報
告もあった。血の教理が微妙に緩和されてきてた。大ちゃんは死なずに済んだのではない
かという疑念が、組織に疑念を持ってはならないという掟に抑圧されているのだ。正義に
背く人間は後ろ暗く憂欝だ
例えば姉妹は結婚を考える時、考慮すべき点の一つに、相手の兄弟が会衆でどんな責任を
担っているか、がある。しかし現実には任命に際し、人格の完成度や聖書理解の程度が問
われるのではない。開拓者であり、巡回監督の気に入るかで査定される。だからJWの努力
は主に報告用紙に関する事だ。より善いクリスチャンになろうとするのではない。世渡り
の上手な者が模範となる。むしろ純粋な徳性は置き去りになっている。クリスチャンの努
力は神を実在者とみなし、その道徳に沿って自己を高める事が最初でその上に宣教がある。
愛は仕事ではなく徳性が築くから
JW問題は根本主義的な教理と人間関係に分かれる。人間関係は冷淡に反応される。JW特有
ではないし一方だけの意見で判断できないからだ。しかしJW親が子に与える影響は冷淡に
突き放してはならない。欝や引きこもりだけでなく、自分と他の人の幸福を素直に喜べな
い事がみられる。自分が本当にしたい事を抑え、組織から与えられた義務を望んで楽しん
でいるかのように演じる。自分を欺いて生きていると素直さ、人間性を喪失するのではな
いか。見事に完成された官僚人間が20才といいのを見ると、JW式管理からの解放こそ彼ら
に必要な救いだと思う
JW用語に「裁く」というのがある。他の人の行動や考えを批判し、恥じさせるものだ。未
熟な振る舞いとされているが、依然はびこっている。他者の尊厳を否定する悪徳だ。人は
自分の経験の範囲内しか考えが及ばないし、自分の経験則の多くは自分にしかあてはまら
ない。自分の教訓に他者を従わせようとするのは場合によっては他者の生活、人生に損害
を与える。画一化を図る野心はファシズムを連想させる。心を破壊するJW問題はみな裁く
ことが原因だ。だが監督やキャリア姉妹たちにとって裁き、服させるのは自負心を満足さ
せる甘く喜ばしい手段なのだ。
結婚は日本人にとって重要なものだ。欧米のように選択肢の一つではない。だからJWは利
用する。円熟したJWのための特権だった。結婚したいなら奉仕の特権を捉えるよう努める。
即ち巡回監督に認められるよう努力する。JWにとって結婚はイコール性的な結びつきだっ
た。だから「我慢できないなら」結婚してもよいと話された。結婚は淫行と紙一重だとい
う理解である。卑俗な見解だ。低俗な見方でしか考えないのは淫行は断罪と言う字句にこ
だわるのと無知から来る恥じらいのためだ。人間は家庭から生き甲斐を得るのだ。単なる
オスとメスの生殖ではない。
JWは独立の精神を悪魔的とみなす。生きる目的、思考と行動の規範を神の道徳律の範囲に
収めるのがEverything is fineの秘訣だという。一部そう言えるかもしれない。だがJWの
問題点は神の道徳律がJW独自の解釈にすり替わっている事だ。宗教作法の解釈ならともか
く道徳まで統治体の人々のセンスで決められてよい訳がない。自分のありのままで生きて
ゆけないというのは重いストレスとなる。JWが変わってると呼ぶ人には自分らしく個性的
に生きる人がいる。その批判には自分を無理に殺してきた人のそねみがこもっている。JW
には欝、引き籠もりが多い。
この世のスナック食品。JWは一般の情報を個人の信条、思想を形づくるものという意味で
食品に例える。JWの教理を否定し疑問視する情報だからJW精神にとって不健康なジャンク
フードと言う。講演で一つの用語として使われるので初めて来た人には分からない。さら
に情報摂取が食事に例えられ、JW教育をよく調理して、つまり実生活にJW教理を活用させ
た研究を欠かさず定期的に行なえと言う。例えが独り歩きしている。例えをベースにその
上に解釈が発展し、それがまた一つの規範となる。こうしてJW教理はどんどん聖書から遠
ざかって行くのである。
若い人は尋ねる、の記事では十代の文化、生態が秤にかけられる。陳腐なテーマが多い。
ラブソングはどうか、オルターナティブ音楽はどうか等。どうか、というのは基準に叶っ
ているかどうかだ。JWの思考が伺える。白でないなら黒という思考だ。世界は悪魔の配下
にあるので、その文化娯楽は皆罪への入口だというのだ。しかし統治体の好みが色濃いの
は明らかだ。ジャズは退廃した世相で流行し、マーラーは死の脅迫観念を作品に表現した、
で記事は止めている。自発的にNOを言わせるのだ。聖書は他人の好みを批判するのでなく
自分の心が納得するように教えている。
腹で思っている事はきっと口から出る能書きとは違う。組織に遠慮して、否組織を恐れて
真相を語らない。本当の姿を見るのが恐いから。それとも組織から与えられた誉れを愛し
ているのか。または失うモノが大きすぎて恐い?離れられない。でも皆のように組織の流
儀に馴染めなかった。孤立無援がつらい。だがこれで良かったのかもしれない。自分の情
けなさ、弱さ、醜さを一部直視できた。本当はもっとひどいのだろう。でも今はJWがそば
にいないのが心穏やかだ。僕もいつか完全に足を洗える日を見れるだろうか。JWの拘束か
ら心を解放できるか?
官僚的というのは何だろう。能率のために個人的な、人間的なものを後回しにする。成果
がまず評価される。そういう評価をもってアイデンティティとする人は人間性というもの
には関心を持たない。監督たちは、心を思いやる自然の情愛も萎えたのかもしれない。情
にかまっていれば成果は上がらない。個人の事情ゆりも集団全体の成果が重要だ。ビジネ
スの世界ではそうかも知れない。が人がキリスト教に期待するのは人間性の豊かさだ。心
のつながりだ。が、JWには存在しなかった。JWが説く愛は、組織への官僚的な忠節であっ
て、決して人間性の回復ではない。

《編集者より》
この投書は、5月17日に始まり、現在でも続いている携帯電話からの同じ人の連続のメールをまとめて掲載したものです。現在まで13通、ほぼ連日発信されています。様々な観点からエホバの証人の批判を続けているようで、文面からは元開拓者で「今はかろうじて現役」とのことです。あなたも組織の矛盾をここまで見抜いた以上、「完全に足を洗える日」を目指して、他の元証人の方々と交わって心のリハビリを考える必要があるかもしれません。なお、アメリカでは携帯電話でメールをやり取りするのは日本のように発達していませんので、全く経験がありませんが、メールの長さが限定されているようで、簡潔にまとめるのにコツがいるようですね。それから携帯電話から、このようなサイトを見ることはできるのでしょうか。アメリカでは、携帯電話からのウェブへのアクセスは一部可能ですが、人気は余り無くて盛んにはなっていません。日本と違って通勤電車の中で長時間を過ごすことがなく、ほとんどが車を運転している時間なので、携帯電話はほとんど話すことだけに使われているようです。