「二つの級はいつからあったのか」

(4-24-03)

最近おもしろいことに気がついた。
気がつくと、どうしてエホバの証人は誰も気が
つかないのだろかと不思議だ。
それとも、みんな気がついてるのに黙ってるの
かえ。
本当に気がつかないのだとしたら、それは明ら
かに変な現象だ。だって、普通に読んでいれば
すぐに気がつくはずのことを、何回読んでも気
がつかないのだからね。(自分も含めての話)。
心理的マジックにかかっていることは否めない。
思い込むと、明らかに2と書いてあるのに、人
に指摘されるまで3だと確信していることがあ
る。2を見ても、脳が3と認識してしまうのだ。
脳のトリックがあるんだね。

4月20日のものみの塔の研究記事に出てきた聖
句にエフェソス3:18とヘブライ6:10があった。
よく引く聖句だよね。
エフェソス3:18はこうだ。
「そうしてあなた方が、すべての聖なる者たち
と共に、幅と長さと高さと深さがどれほどであ
るかを悟ることも、知識を超越したきリストの
愛を知ることも十分できるようになり、こうし
てあなた方が神の与えてくださる満ち満ちたさ
まに余すところなく満たされるためなのです。」

これは、文を簡略化して書くと「あなた方が、
すべての聖なる者と共に、・・・できるように
なり、・・・満たされるためなのです。」とな
り、“あなた方”と“聖なる者”が別個に明記
されていることがわかる。つまり、「あなた方」
と言われている人たちと、「聖なる者たち」と
言われている人たちの、二つのグループが指摘
されていることがわかる。
何、わからない?
中学校をやり直してこーい。
まさかこんなひどい奴はいないと思いたいけれ
ども、いる可能性があるからこわいよ。
エホバ・イエス・あがない・楽園・復活に関す
る、幼稚園生でも持っている程度の浅い知識は
あるが、それ以外の教理はどうでもいい、真偽
なんかもどうでもいい、霊的なことに深い関心
なんかサラサラない。本当の関心事は、自分の
結婚、自分の車、自分の服、自分の持ち物、自
分の食べ物、自分の評価、そして異性等々、中
身は丸々「世のもの」でありながら、しかし、
厳しい世で仕事をやっていく能力も常識もなく、
役立たず扱いしかされないことを本能的に察知
し、唯一の自己顕示のありどころとしてエホバ
の証人の組織を避難所にしている、そういう腐
った証人(若者に多いかな)に手を焼いている
会衆は結構あるそうだ。中身は見えないことを
いいことに、伝道時間と集会の注解という外見
だけは保って保身をするし、全く困ったもんだ。

つい憤ってしまったが本題に戻ると、さっき引
用したエフェソス3:18の聖句の冒頭、エフェソ
ス1:1では、それと調和してこう書かれていた。
「パウロから、エフェソスにいる聖なる者たち、
およびキリスト・イエスと結ばれた忠実な者た
ちへ」。冒頭でも二つのグループに向けて呼び
かけている。

ヘブライ6:10も同じだ。
「神は不義な方ではないので、あなた方がこれ
まで聖なる者たちに仕え、今なお仕え続けてい
るその働きと、こうしてみ名に示した愛とを忘
れたりはされないからです。」とあって、“あ
なた方”は“聖なる者”たちに今も仕え続けて
いると言っている。
“あなた方”と“聖なる者たち”が別だという
ことがわかるし、ヘブライ人の中にも二つのグ
ループがあったことになる。

他に、コリント第一の手紙の1:2では、「・・
・聖なる者となるために召されたあなた方、な
らびに、いたるところで・・・わたしたちの主
である方の名を呼び求めているすべての人たち
へ」となっている。

コリント第ニ1:1では、「コリントにある会衆、
ならびに全アカイアのすべての聖なる者たちへ」
となっている。

フィリビ人への手紙1:1では、「フィリビにいる、
キリスト・イエスと結ばれたすべての聖なる者、
ならびに監督たちと奉仕の僕たちへ」となってい
る。

コロサイ1:2では、「コロサイにいる、キリストと
結ばれた聖なる者たち、また忠実な兄弟たちへ」と
なっている。

統治体の解釈からすれば、1世紀には「天的クラ
ス」の14万4千人に含まれる人たちしかいなかっ
たのだから、これらの聖句からわかる二つのグル
ープは、両方とも天的クラスの人たちを指してい
ることになる。天的クラスに二つのグループがあ
ったことになるわけだ。しかし、その点について
の統治体の解釈は今まで聞いたことがない。

それよりも、今まで統治体が出してきた年代がこ
とごとく外れてきたことを考えると、1935年から
やっともう一つのグループ(地的クラスの大群衆)
が登場したというのは間違いで、1世紀から二つ
のグループに分けられていたと考えたほうが自然
だと思う。統治体によって植え込まれた先入観抜
きで読むと、そういうふうに理解するのが当然だ
よね。
前にもこういう投稿があって、何となく気になっ
ていたけれども、4月20日の研究記事の予習をや
っていたとき、やっぱりそうだよと思った。
祈りながらやっていたから、エホバの導きじゃな
いのかな。それとも、あくまでも理解の導きは統
治体にしかないの?
別に統治体に張り合う気なんかサラサラない。
ただ、間違いは間違いだと思うわけで、だまらっ
しゃい方式はフセインや金 正日体制と同じでい
つかは崩壊する憂き目に遭うと思う。
エホバの証人の場合は、バブル期に手を広げ過ぎ
た各支部体制を維持できなくなる経済的逼迫が引
き金になる気がする。信者という「水」が組織を
支えきれなくなっていくと思う。
それとも、ヘンシェル兄弟たち、元祖エホバの証
人が亡くなっていくにつれて、統治体内部から崩
壊していくのかな。ある程度は無理がきいても、
堤防の決壊と同じで、いつまでもは無理だからね。

サーズの実態を中国が隠したのは、江 沢民の考
えだったらしいが、若い胡 きんとうさんが方針
転換して情報を正直に流するようにしたらしい。
古いタイプの人たちの「経験」はそれなりの価値
があるかもしれないが、古いしみ込んだ「体質」
は前進や改善の邪魔になるという顕著な例だと思
う。
会衆からも古いタイプの人たち、年齢とは別問題
かもしれないが、40代でも50代でも、古い体質が
しみ込んでいる人たちは、潔く長老を引退してく
れる方が、会衆の発展のため、エホバのため、イ
エスのためだと思う。60代、70代でも頭の柔らか
い、体質改善が本当にできている本物は長老でい
てくれたほうがいいかもしれない。

《編集者より》
聖書が「選ばれた者」として一般信者と別に一つのクラスの信者を語っていることは確かですが、その実体が何であるのか、私はよく分かりませんし、これこそ色々な解釈ができ、そこからものみの塔のような自分を中心に持ってくる自画自賛的な解釈もできるのだと思います。いずれにしても、協会の公式な聖書解釈は、次回に変更の発表があるまでは、それが絶対的真理として確立していますので、自分の頭で疑問を感じても、それは自分で隠しておくしかないと思います。