「責め言葉が聞こえる」

(4-23-03)

「やさしそうなご主人」とJWからはいつも絶賛されていた前夫。
したり顔の前夫の正体をJWは知っているのだろうか?

口元に薄笑いを浮かべ
「早く自立してください(笑)」
客間に集まった隣人達の和の中で
「猫のトイレが掃除して無かったよ」
公開講演について来ては、わたしのノートをのぞきこみ、
「字が間違ってる」

気がつくと、私は、習慣的な過呼吸に陥っていた。

眠れない夜がやっと明けると、
「やるべき事をきちっとやって、体を使っていれば、自然と眠くなるはずなんだ」
おいかぶさるような一言が待っている。

誰か、私を助けて。
かすれた血の叫びが、心の闇の中に落ちていく。

お願い、私を責めないで。
責めないで。責めないで。責めないで。

手に脂汗を握り、真夜中、過呼吸に陥った。
隣に寝ている腕に、思わずしがみつく。
「どうしたの?」
事の異変に気付いておきあがったその顔は、今の旦那様。

「何でもない。ただの過呼吸。」
私の顔に、焦る主人の汗のしずくがかかる。
「大丈夫。前は、しょっちゅうだったから。慣れてる。」
荒い息の中で説明すると、主人は私を抱き寄せた。
暖かい腕の中で安心すると、過呼吸は嘘のように治まった。

そして私が知った、主人のしずくの正体。
それは、涙。
その後、落ち着いた私を見て、主人はもっと泣いていました。

前夫は高校時代、JWと研究していました。
集会にも定期的に参加していました。
でも、前夫は、2世ではありません。
高校卒業と同時に上京し、研究もとだえたそうです。

そんな前夫の過去を、まだ私も知らなかった当時、私はJWから再訪問を受けていて
「それは違うんですねえ」
と高飛車な責め言葉の前置きをされては、くどくど出版物を薦められていました。
やっと、JWの訪問攻撃から解放された頃には、コンロの煮物はマックロ焦げ。
まだ乳児だった我が子が、泣き出していることもしばしばでした。

ため息と涙がごっちゃになっている私を見ては、前夫はいつも一言、
「あの人達(JW)はいい人だからなあ」

前夫の言葉を謙遜に受け入れた私は、やがて、研究を始め、抗って、抗って、抗って…。
それでも、JWの言葉を謙遜に受け入れて、伝道し、バプテスマをうけて。

ああ、でも、謙遜さとは、自尊心を捨て、責め言葉に服従することとは違うのですね。

「なにが泣き寝入りだ! 充分、さからってるじゃないか!」
前夫は吐き捨てるように言ったけど、
抗っても、抗っても、
結局、従うしかなかった私のどこが、泣き寝入りじゃないのですか?

責め言葉が生むものは、
「破壊」、「破滅」、滅びに向かうあらゆるものたち。
一人で戦うの、もう疲れたよ。

「大丈夫。俺がいる。俺がいるから。」
見上げると、ひびわれた心の闇に、薄い光が差していて、
暖かい腕。私の髪をなでる手のひら。優しい誉め言葉。
「俺、ほんとに幸せだなあ」

築き上げる言葉に、難しい言い回しなんて、いらないのですね。
もったいぶった大義名分よりも、
ありふれた誉め言葉が欲しい。

誉め言葉が生み出すもの、それは、
「安心感」、「やすらぎ」、「心地よさ」。守られているという確かな手応えのすべて。

自分が本当に求めているものが、やっと、解った気がする。

ありがとう、まこちゃん。
大事な事を教えてくれて。
そして、どうか、いつまでも、私の傍にいてください。

追伸
皆さん、JWの大義名分よりも大事なものを、より多く見つけてくださる事を願います。

《編集者より》
「習慣的な過呼吸」に陥るあなたの心には、証人時代の「責め」とそれから来るストレスによる反応がにじみ出ているように思います。あなたの心はしばらくの間、過去の責め苦と現在の安らぎとの間を錯綜し続けるかもしれません。大災害や戦争体験を持った人々が、あなたと非常に良く似た症状を持ち続けながら生き続けています。「何でもないただの過呼吸」として、ありのままに受け止めてそれと闘うのではなく、共存して徐々に整理していければ、あなたはきっとこれを克服して更に心の平安を得ることが出来ると思います。