「なんでだろう?」−フリーダムより

(4-9-03)


テレビで人気者の「テツandトモ」がやる漫才、なんでだろうが私は大好きです。日常の
中の素朴な疑問を取り上げて、♪なんでだろー、なんでだろーっ♪小さな子供の口からは
この「なんで?」が連発します。なんで空は青いの?なんで勉強しないといけないの?なん
で?なんで?・・・。
さらにエホバの証人に育てられる小さな子供たちの口からは、何で幼稚園の友達とは一緒
に遊んではいけないの?なんでクリスマスケーキは食べられないの?何で集会中はじっとし
ていなければならないの?けっして幼子には理解できないような「なんで?」が連発するの
です。親は子供たちの質問に,それはね,エホバがそう言っておられるからとか聖書にそ
う書いてあるからぐらいのことしか答えられずほんとうは組織がそう教えているからとい
う本当の答えを親自信も気づかず、最後は体罰で子供の「なんで?」を黙殺するのです。
こうして子供は自分で考えるということをやめ思考能力はなくなってゆきます。エホバの
証人の子供にとって「反抗期」は許されません。子供にとってそれは親に反抗するという
よりも親の考えと子供自身の考えが思いの中でぶつかり合い,その過程で子供の心は成長
してゆきます。何でだろうと考えて、疑問を持ちその答えを見出した時ある場合はその答
えに賛同し,ある場合は反対意見を主張してみたり、こうして人は成長してゆくのではな
いでしょうか。
 
エホバの証人になっていく過程で組織はその人の本来持ち合わせている思考回路を停止さ
せるうえで巧妙です。地上の楽園で永遠に生きられるとか,終わりが近い事など人は始め
そんな事は信じません。ましてやその人の人生がこれから先組織の考えだけを信用してゆ
き,組織のいいなりになり利用されてしまう事など、そんな事が最初から分かっていたな
ら,だれもエホバの証人になどなる人はいないでしょう。ではなぜ人はいつのまにか組織
のいうことをすべて信じ,すべて組織の言う事が正しいと思ってしまうのでしょうか。
 
再訪問の最初の頃は司会者は聖書のひとつの聖句を紹介したりして、聖書がどれだけ家族
生活や自分の生活に役立つかといった話し合いで親密になろうとします。しかし司会者は
早く「質問と答え」という出版物からの独特のスタイル形式の話し合いにもってゆこうと
します。節とその下に組織が用意した質問があり研究生と司会者は答えを節から探すとい
う形式です。最初のうち研究生は自分の意見や今まで歩んできた上で身に付けた多くの経
験を話したり主張したりします。次第に研究生は「司会者がいつも望む答えとは自分の意
見や感想などではなく,その節の中から答えを見つけそれを言えばいいんだ」という事を
悟ってゆきます。淡々と進められていくその独特の「質問と答え」形式に最初は違和感を
持つ研究生もやがて集会に出席するようになると、ものみの塔研究などで一番賢そうで自
信満万の人たちがみな同じような答え方「質問と答え」形式で淡々と執り行われてゆくの
を見て、そのやり方が不自然なものでなく正しいものなのだと思い込んで、自分自信の本
来持っていた知覚のほうを疑ってしまい受け入れてしまうようになるのです。この質問と
答えの形式をいったん受け入れてしまう時その人の思考回路の停止状態が生じてきます。
答えは努力して自分で考えて探す必要はなくなり人生におけるさまざまな答えは組織の出
版物を調べてみればよいのです。そして,その頃には同時に組織から外部か轤フ情報がい
かに「世の知恵」で無価値なものか、サタン的な影響を受け入れやすいのかが頭に叩き込
まれてしまっているため,自分の中で組織の一方的な情報だけしか受け入れなくなってし
まうのです。しかし組織の教義は一見調和がとれて,一貫しているように見えますが,部
分部分をよく見ると疑問が起きてきます。ある教義に疑問を持つ時,その答えをリーダー
つまり長老に尋ねるよう組織は提案します。しかし尋ねたところで「待ちなさい」とか
「その質問は適当でない」といって結局その疑問は本人の心の奥底にしまって置かれるの
です。教義は受け入れるものであって理解するものではなく教義に対する個人の解釈や逸
脱の余地は許されません。
 
通常,一般常識として人に何かを教える立場になるためには,まず自分が十分の知識と経
験を持ち合わせ確信を持った後、人は他人を教えられるようになるものです。しかし組織
は研究生がこれが「真理」だと感じその表れとしてバプテスマを受けるもっと前の段階、
一冊目の「知識」の本を学び終えるかそこらの段階で神権宣教学校に入り,伝道者として
家から家の活動に加わるよう勧めます。これは皆の前で発言させ、他人を説得していくこ
とが自己(研究生)の信念をさらに強化していく最も効果的な方法だということを組織が十
分理解しているからです。もちろん組織が伝道活動を推し進めるには出版物の配布による
寄付の増加と組織の拡大という目的があります。しかし,そのためにも伝道者の一人一人
が組織の教義に対する揺ぎない確信と「王国をふれ告げる」という大義名分の元で組織の
成員を増やすことの使命感を心の中に強く持ってもらう事が必要なのです。神権宣教学校
の目的は成員が教える技術を磨くためでもありますが、もう一方で皆の前で組織によって
あらかじめ決められた教義を発言させることにより,発言する本人がその教義の正しさを
確信して強めてゆくという隠された目的があるのです。家から家の活動に携わることは携
わる本人がますます組織の教義に対する確信を強めてゆきます。伝道者が再訪問をしやが
て研究生を持ち,今度は説得し教える立場になってゆく時,知らず知らず司会している側
の自分が自分を教え説得する結果となっているので、このような状況の時その人は「自分
も組織が勧めるさらなる大きな霊的進歩を遂げよう」という確信を強め、あるものは開拓
者を目指し霊的な活動に没頭していってしまうのです。
 
「人は、義のために心で信仰を働かせ、救いのために口で公の宣言をするのです。」
 
私が伝道者になったのは小学校三年の時,神権宣教学校に入ったのはその前の年の小学二
年。そんな小さい頃から私の思考回路は停止し,何の疑問も持たず伝道者になり,私の小
さな口はみんなの前で救いのために公の宣言をしていたのです。小学校5年生の頃だった
でしょうか,祝祭日の特別活動の日、普段は家族全員で奉仕に出かけるのですが、その日
は私以外が全員風邪をひいてしまい、父は私が奉仕に一人で出かけるつもりがあるかどう
か聞いてきて,私はもちろん出かけると応えたのです。父はその日の朝の日々の聖句の時
の祈りの中で、私のことを今日たった一人で奉仕に出かけるので集合場所までの自転車の
道のりの安全と奉仕そのものを祝福をしてくださいと祈りの中に含めてくれました。当時
は特別活動といえば年の奉仕の網羅率が半年に一度あるかないかの田舎の村や町に出かけ
ていったので、その日は長い上り坂の坂道を強い北風に向かいながら1時間近くかけて集
合場所にたどり着かなければなりませんでした。予約活動の月でものみの塔と目ざめよ!
の購読料がそれぞれ1500円ぐらいだったでしょうか、その日の成果は予約がものみの塔と
目ざめよ合わせて8件、書籍が11冊、雑誌がたしか20冊ぐらい配布するという私の伝道者
史上最高の記録を経験したのでした。今考えると田舎の町で小さな小学生が書籍と雑誌を
売り歩く行商のようなことをしてたので、哀れなマッチ売りの少女のように同情されて家
の人は買ってくれたのだと思うのですが、当時の私はうれしくて、うれしくて神が祝福し
てくれた,父親がしてくれた祈りにエホバがしっかり応えてくれたと、帰りの道のりはそ
の事を早く父親に報告したくてたまらなかったのをよく覚えています。今考えてみるとあ
の頃から私は親から与えられた「人生のレール」を自分の前に敷かれてしまっていたんだ
なぁーと思い、なんとも言えない気持ちがこみ上げてきます。それまで私は「なんでだろ
う?」という^問を自分の人生の歩みに関して考えずに歩いてきてしまいました。でもそれ
は親のせいではありません。その私の前に敷かれたレールは親が敷いたものではなく,組
織が敷いたものだったということが今は理解できるからです。私の親は組織からいつも
「成功した親」になるためそうしたレールを敷かざるを得なかったわけですよね。レール
から子供がそれる事、伝道者にならず、バプテスマを受けず、開拓者の道を選ばなかった
としたら,それは親としての資格そのものを否定されてしまうことになってしまっていた
のですね。私は今そのような育て方しか選べなかった親の置かれていた立場が理解できま
す。そして親自身の人生も組織から知らず゛知らずのうちに組織の引いたレールに歩かさ
れてしまっていたということも。
 
「読者の広場」で投稿された「ごめんね守ってあげられなくて」さん。私はあなたの投稿
が今は死んでいってしまった父親からのもののように感じ読ませて頂きました。残念なが
ら私の父親は組織に疑問を持つことなく闘病生活を続けていく過程で痴呆の状態が激しく
なってゆきそのまま楽園での復活の希望を抱きながら亡くなりました。私の親と同様あな
たも組織の犠牲者の一人なのですね。ごめんね,ごめんねとお子さんに謝っていますが,
どうぞ素直に自分が間違った組織の提案を信じてここまできてしまった事を話してあげて
みるのはいかがでしょう。きっとお子さんはあなたの気持ちを素直に受け知れてくれるに
違いありません。そしてこれからの親子関係の中で普通の暖かい関係を築きあげていく事
が出来ます。そうした関係をこれから築くことこそ組織が神から認められた組織ではない
事,組織の提案する聖書の原則がいかに間違っていたかが、今いまだに組織の中にとどま
って苦しんでいる親子に対する一番のメッセージになるのです。組織は「成功した親」が
一番幸せで子供が神権家族の中で暮らす事が一番だと主張しますがほんとうは「失敗した
親」こそが間違いに気づきその後本当の意味での家族を築き上げる事が出来るのだという
事を証明できるのです。

《編集者より》
あなたのご自分の経験に基づいた、エホバの証人の形成過程の分析は、実に核心をついていると思います。新入者を洗脳しながら、それが自己洗脳になる過程は、ものみの塔の勢力拡大の要となるものです。またいわゆる親権家族内のプレッシャーもあなたの証言からよくわかります。親権家族とその子供たちの悲劇のメカニズムを理解をするのに役にたつものと思います。


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