「おきてを守り行い続けなさい」−フリーダムより

(3-27-03)

長野県の必要の大きな会衆に移動したばかりのころ、当時は大きな会衆から小さな会
衆に移りいきなりいろいろな割り当てや特権を果たすようになり、忙しくて忙しく
て、それに加えて個人研究、集会の予習、野外宣教、世俗の仕事のアルバイトと、そ
こにあっという間に時間が過ぎて行く自分がいて、自分は特別開拓者を目指すんだと
張り切り、パートナーともちょっぴり張り合って。常に自分は会衆の成員の模範とな
らなくてはいけないんだと、いつもニコニコ、疲れたところは決して周囲に悟られな
いような顔をして・・・。そんなとき会衆の書類のコピーをするために立ち寄った本
屋。相田みつおさんの「にんげんだもの」の本に目がとまり、少し読んだだけで自分
の中の何かぴーんと張り詰めていたものがふわぁーと解けてゆくような感じがして、
その一つ一つの詩に感動して、「こんな気持ちに自分がなれたらどんなに楽になるだ
ろう。」と。
本屋を出ると、もうそんな気持ちはかき消して再び張り詰めた自分に戻っていく。あ
のころは本当に「霊的に元気」だったよなぁー。んっ、だったのかな?

「おきてを守り行い続けなさい。」なんでもかんでも鵜呑みにして,それに従い,そ
れを守ろうとするとき。しかし逆に,従いたくても従えないとき,守ろうとしたけれ
ども守れなかったとき私たちはどのようになってしまうのでしょうか。そこに激しい
情緒のアップダウンを経験するのです。次々と要求してくる組織からの提案や取り決
めは数え上げれば切りがありません。その中には感情面、行動面、道徳面での聖書の
原則からの高く設定されたハードルを越えることが含まれてきます。

感情面でわたしたちは伝道中も、王国会館の中でも、家の中でもいつも温和で柔和で
いつもにこにこしていなければなりません。そう自分の感情をコントロールするよう
に提案されているからです。いつのまにか本当の自分の個性が消え、会衆の中の(あ
の姉妹、あの兄弟)に似た表情、話し方を真似ているのです。それは自分の霊性の高
い評価を周囲から得るための必須条件といえるでしょう。しかし本当の自分の中にあ
る感情はそんなきれいなものだけでなくて、ある人に対して、嫉妬心があり、憎しみ
があり、イライラしたり。会衆の中で気の合わない人がいても神権宣教学校で割り当
てを組まされれば、いかにも仲良しそうにステージ上で会話をし、相手に本当の抱い
ている自分の感情を悟られないようにして。そしてそういう感情を抱く自分の心をエ
ホバはご存知なはずでどうご覧になるかと思うと激しい不安にかられて。

組織はわたしたちがいつ何をして何を目標にしなければならないか、行動面でコント
ロールすることを提案してきます。五つの集会とその集会で扱われる出版物の予習、
注解、日々の聖句、野外奉仕(開拓者であれは要求された時間)と個人研究、親であ
るならば子供を霊的な子に育てるための訓練、これらを完璧にこなすよう提案されて
いるのです。その行動のハードルをひとつずつ越えるとき、わたしたちは周囲からの
賞賛を受け、また自分の中の「エリート意識」や優越感を感じ、自分は認められてい
るという、また周囲から愛されているんだと一時的な満足やよろこびといった感情の
高まりを経験することが出来るのです。また組織がわたしたちの前に用意する「ご褒
美」もわたしたちの行動をいっそう駆り立てて行きます。それは、兄弟の立場である
ならば、「奉仕の僕」や「長老」といった階級の昇進、巡回大会などの自発奉仕の監
督の立場、大勢の人前で扱うプログラムの話し手としての特権、自分は周囲とは違っ
て特別なのだという「エリート意識」を抱かせるべテル奉仕や巡回監督や地域監の立
場など。組織は人間が本来持っている物質欲や性欲などに厳しいハードルを掲げてい
るのに対し「権力欲」や「名誉欲」というものを満たすことをいわば黙認しまたは利
用してそうした特権を追い求めるよう励まし、またそのためには開拓者などの更なる
行動に出ることの必要性を意識させ続けるのです。姉妹たちの場合も同様で「開拓
者」になることが自分が会衆の中で一定の評価を得つづけるためのいわば「保証書」
となることを知っていて、開拓奉仕を降りることは必ず自分の評価を下げることを
知っているです。その他会衆内の評価の基準となるのはその人が研究生を何人持って
いるか、親として子供を順調に霊的な子に成長させているか、それに奉仕の僕や長老
の妻としての立場などなど。より良い行動を評価された姉妹たちは会衆内の会計、図
書、雑誌などの奉仕を任されたり、奉仕会での実演の特権、記念式でのパンを焼く特
権、さらには野外奉仕の面で成果を上げた姉妹たちは巡回大会、地域大会などで大勢
の前で経験を語るという特権が与えられるのです。組織は次から次へとやるべきこと
を成員の前に置いていきます。自分の行動に満足してもらっては困るのです。いわば
霊的な活動に没頭させることによって組織の外との接触を少なくし、外に対する関心
をそぎ、エホバの証人に関する外からの批判的な情報を得られない環境を作り出すと
いうことを知っています。いうまでもなく会衆内のすべての成員が組織の提案するさ
まざまな基準を超えられるわけでなく、また超えようと努力してもその基準を超えら
れないとき今度は感情の激しい落ち込みを経験します。自分はダメな人間なんだ、神
のご要求に応えられないんだと自分の価値をどんどん過小評価してゆくようになるの
です。病気、経済上の理由、家族の状況の変化などいつかは誰もが組織の要求すると
おり行動することが出来なくなります。そうなると周囲の人たちも次第に冷たいもの
になってゆき、その人が開拓者を下りなければならないとき、長老の立場を下りなけ
ればならなくなったとき、今までその人に向けられていた敬意はなくなり、注がれて
いた賞賛と愛は無条件に与えられるものではなく、その人が立派に行動するときにだ
け与えられる条件付のものだったんだということを悟るのです。

私の父親は長老をしていましたが、長い闘病生活の後数年前に亡くなりました。葬式
を済ませた後父の机を整理していたとき引出しの一番奥に一通のかわいらしいイラス
トの封筒を見つけました。それは父親がまだ長老として現役だったとき会衆のある十
代の開拓者の姉妹が父親に宛てて書いた手紙でした。何でこんな場所にしまってある
のかなと不思議に思いましたが、読んでいくうちにそれは父親に打ち明けた「罪の告
白」だったことがわかりました。マスターベーションの罪の告白でした。恐らく泣き
ながら書いたのでしょう、インクの文字はにじみ紙には涙が落ちた跡が残っていまし
た。組織が掲げたあまりにも高い道徳面のハードルのためこの姉妹はどれだけ悩み、
苦しんだのでしょう。さらに手紙から読み取れることは、自分が今までその罪を隠し
ていたことが原因で当時の会衆の成員の数が増えないのではないかと自分をさらに責
めていたことです。そこには組織が決めた別の「聖書からの原則」の適用がこの姉妹
をさらに罪悪感を抱かして苦しめる結果となっていたのです。小さな子供でも「聖書
物語」の本から教えられるその恐ろしい聖書の原則とは「アカン」の隠された罪で
す。イスラエルがアイの都市での戦いで敗北したのはアカンの隠された罪が原因でし
た。一人の人の隠された罪がイスラエル全体に影響を及ぼすのです。エホバはこれを
現在でも適用されると組織は教えます。この適用によってエホバは進んで心から許す
神なのに、隠された罪を抱え込んでいる限りその人にとってエホバは決してその罪を
許さない恐ろしい神に代わるのです。組織が掲げる道徳のハードルが高ければ高いほ
どそれを越えられる人の数は少なく、大勢の成員が「隠された罪」を抱え込む結果に
なります。十代の頃は異性のことで頭がいっぱいです。性に関して興味が出てくるの
が自然な成長の過程であることを誰もが知っています。そうした自然なことも独身の
若者は思い巡らすことすら罪なのです。思い巡らすべきことは、いつ来るかもわから
ない王国のこと、宣教活動のこと、奉仕、奉仕、奉仕にその若い力を用いるのです。
その結果多くの若者たちが大切な青春時代の時間と思い出を無駄にしてしまいます。
性的な面以外でも高い道徳基準のゆえに多くの人が自分の中に隠された罪を抱え込む
結果となっています。

エホバの証人の会衆内では自分の弱さを他人に知られることを極度に警戒します。ま
してや自分の犯してしまった罪があるならばその罪の度合いが些細なもの,重大なも
のにかかわらず、それは絶対他の成員に知られてはならないのです。以前のメールで
も述べたとおり,会衆の成員はすべてが「パリサイ人」的傾向を持つ人たちであり,
ちょっとした落ち度でもそれは裁かれ,密告され霊性の低い人としての烙印を押され
てしまうのです。成員が隠された罪を抱え込みやすくするために組織は感情面で、行
動面で、道徳面で高いハードルを掲げます。この本当の目的は組織の成員たちの心の
中に「自責の念」をいつも持たせつづけさせることにあります。自分が犯してしまっ
た罪を誰にも打ち明けられなくなってしまう状態,そのような時、情緒の激しい落ち
込みが絶えず自分を襲ってきます。自分はダメな存在なんだ、自分が罪深い傾向にあ
り,組織が定めたある基準に達することができないのはすべて自分に責任があるんだ
といって,自分を責め、そうした落ち込んだ状態から脱出するためには,更なる個人
研究が必要であり,更なる活発な伝道活動に励むことが必要なんだと結論付けなけれ
ばならなくなるのです。この状態がひどく続く何人かの成員はノイローゼになった
り,何らかの精神安定剤に頼るようになったりしてゆくのではないでしょうか。
組織は成員に決して自分自身の行動や考え方、ものの見方などにおいて自信を持ち、
満足してもらっては困るのです。繰り返すようですが,自分が絶えず至らない存在,
自信のない存在,常に組織の指示,ものの見方などにおいて組織に頼りつづけなけれ
ばならないような不安定な状態になっていてもらわなければならないのです。また,
よく取り上げられる「独立の精神」による危険性が頻繁に研究記事で取り上げられる
のも,こうした効果を狙っているのでしょう。

北朝鮮が「地上の楽園」だと信じて日本から渡って行った人たちにとって、そこは地
上の楽園どころかその日の食べ物にも事欠くほどの飢えと不安と恐怖に満ちた生活で
した。指導者に対する不満や悪口は一切許されず、それは自分の心の中にそっとし
まっておかなければなりません。それでいて指導者の誕生日の日にはみんながニコニ
コうれしそうな顔をして。国を抜け出そうとしてもそれは命がけの、決断するには非
常に勇気の要ることで。どこかの組織と似ていませんか?そこが「霊的パラダイス」
だと信じて過去の友人をすべて捨て、大切な親戚関係を軽視して、大学進学をあきら
めて、会社を辞めて・・・・。忠実で思慮深い奴隷級から出される食物は栄養豊かど
ころかどんどん自分の中の個性を失わせ、組織に入る前にあった心の豊かさをむしば
んでゆきます。いつのまにか自分の中の自信がなくなって組織の言うがままに行動し
てしまい、そこを抜け出すことすら考えるだけで恐ろしくなってきます。北朝鮮から
逃げることに成功した人たちにわたしたちは心からエールを送ります。その人たちの
勇気と行動は自分の残された人生を有意義に自由に自分らしく生きていきたいという
強い願いが突き起こしたものです。もう組織が間違っている事が分かっていながらそ
こを去ることが出来ないでいることは、自分に残された人生を、もう結果が出ている
野球のリーグ戦のシリーズ最後の消化試合に費やすことに例えることが出来るでしょ
う。そこにはもう目的も達成感も無いままただ時間だけが過ぎてゆくのです。
「霊的脱北者」として私は組織の中に残っている人たちに、特に組織を抜け出したい
と願っていながら抜け出せない人たちに言いたいのです。組織を出て八年が経とうと
しています。出たばかりの頃は確かに虚無感に襲われたことは確かです。でも安心し
てください。それも少しずつ薄れてゆきます。事実私はこの村本さんのホームページ
を初期の頃からちょくちょく開いていました。でも自分の過去を思い出すことすらい
やで自分のことを投稿したりする気にはとうていなれませんでした。でも過去を直視
できなかった自分が徐々に組織を冷静に見つめ、自分が歩んできた道を冷静に見つめ
ることが出来るようになった今、過去も過去として現実に受け入れ、自慢できるまで
にはいきませんが徐々に自分の生き方に自信を持つことが出来るようになっていま
す。だから今、こうした投稿を書き込むことが出来るようになったのだと思います。
この八年、いろいろな人たちとの出会いがありました。良い出会いもあれば出会った
ことに後悔する時もありました。いろいろな思い出が脳裏を横切ります。楽しかった
思い出もありましたがつらい思い出、多くの失敗もしてしまいました。でもなぜかそ
のような失敗も懐かしく思えてきたりして今では良い思い出になっています。自由に
自分で考えて、自分で下した結論からきてしまった失敗には後悔が無いんですよね。
人生の目的ですか?そんな崇高なことはもう考えないようにしています。でも夢中に
なっていることはありますよ。友人と冬はスキー、そして夏は山歩きをしています。
それから元証人としてその経験を生かし現役の証人を組織の間違いに気づくように、
またやめた後のケアなども微力ながらやってゆければと少しずつ準備していきたいと
思っています。今はとにかく自然体で生きています。それが一番「にんげんだも
の。」

メールアドレス pfreedom@nifty.com

《編集者より》
この投書の最後の段落(「霊的脱北者」として・・・)は、組織に留まるエホバの証人、組織を出たばかりで心の混乱を来たしている人々に対する、「珠玉の言葉」と言えるでしょう。多くの方々が、この部分を繰り返し読んで、組織を出た後の人生の励みにしていただきたいと心から希望します。