「ちょっと、愚痴ったひとりごと」

(3-27-03)


愚痴を言ったら、イツも却ってくる言葉は

「相手に完全さを求めてるんじゃない?」

っていう、もっともらしいお説教。

でも、そうかな。ちょっと、疑問。

その疑問、15年も、解けないままだった。

違う。何かが違う。

何が、どう違うのか、説明できなかったもどかしさ。

やっと、解った事は、

「相手に完全さを求めているんじゃない?」

って、言われたその瞬間、

私が彼女に、完全さを求められていたって事。

愚痴は誰にも或る事だから、

愚痴を言わない人は完全な人なんだよ。

立場逆転、本末転倒。

そっか、そんな簡単な事に気付くのに、

15年もかかってしまった。

私って、相当な、おおばか者かも。

だって、しょうがないジャン、

私、完全な人じゃないんだからさ。

《編集者より》
私もエホバの証人がよく「相手に完全さを求めているんじゃない」とか、「誰だって不完全なんだから」というのを聞いたことがあります。これは一見、大変理にかなった見方であると見えますが、よく考えてみると、その使い方に隠された意味があるのに気がつきます。それは「不完全」であることで擁護しようとしているのは、ほとんど常にエホバの証人の指導者や統治体、ものみの塔組織であって、たとえば背教者やキリスト教世界といった「敵」に対してこのような言葉を使うことはないからです。つまり、「相手に完全さを求めているんじゃない」とか、「誰だって不完全なんだから」という言葉の裏にある本音は、「不完全だってやはりエホバの証人とものみの塔の組織が常に一番正しいのだ」ということです。これを直接に表現せず、いかにも一般論のように言うことによって、あなたのように「ちょっと疑問」と思う人の、批判の口を15年間も塞いできたのですから、実に巧妙な批判(「愚痴」)を封じ込める手口としか言いようがありません。


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