「そこに愛がありますか」(2)−フリーダムより

(3-12-03)

あなた方の間に愛があるなら,それによってすべての人は,あなた方が私の弟子であ
ることを知るのです。
2003年2月1日号のものみの当の研究記事で扱われた内容は、今までの組織から自然消
滅的な形で離れていった人たちに対する協会の方針転換のような気がします。その記
事から私が読み取ったこと,感じ取ったことを投稿させてください。なお、この投稿
を読んで私に対する意見や反論は,メールにて積極的に受け入れますのでお聞かせく
ださい。

今まで組織とその成員は,自ら辞めていった人たちに対して,ある意味で軽蔑の眼差
しで無関心を装っていました。組織を離れていくこと自体裏切り行為であり、街角で
やめていった人に会えば無視するか,冷たい視線で去っていくのが当たり前でした。
そのことは記事の中でも触れられ,大切なのは会衆の各成員が、これからは「弱く
なった人についてどう感じるか」であると述べています。このことは言い換えれば今
までの辞めていった人たちに対する「感じ方」を変えていくことを成員に示唆してい
るのです。また,記事は次のようにも記述しています。

「そのような人は霊的に弱いかもしれませんが,反逆的であるとは限りません」
「私たちは,霊的に弱い人たちを失われた羊とみなします。見込みのない人とみなし
たりはしません。「弱い人一人ぐらい気にすることはない,会衆はあの人がいなくて
もぜんぜん困りはしない。」などとは考えません。」

これは今までの会衆の成員の見方が,それら辞めていった人たちを10羽一絡げにし
て「反逆的な人」とみなしていたことを暗示していますし,あの人がいなくても困ら
ないという考え方は、各個人の見方というよりも組織が今まで辞めていった人たちに
そうした見方をしてきたことを反省しているようにも見えます。先進国の成員の数は
今まで組織に疑問を抱いて辞めていった数よりも布教活動によって増えていく成員の
数のほうがはるかに上回ってきたため、組織はそれら辞めていった人たちに気も留め
てきませんでした。エホバの証人の数が減少に転じているため,組織はそれら辞めて
いった人たちにようやく注目しだし、それらの人が再び組織に入ってくるならと,減
少に歯止めをかけるため躍起になっているのです。また次のような記述にも注目でき
ます。

「失われたものが羊飼いと女性の目に依然として貴重であったのと同様,神の民と接
しなくなった人もエホバの目に依然として貴重です。」
「それゆえ,エホバは,昔の時代と同じく,そのような人を性急に「御顔の前から捨
て去ったり」はされません。」

エホバはその人を貴重なものと今でもみなしている,また捨てていないということは
組織も同じようにその人のことを忘れないということです。
最近私は買い物をしていて,ある現役時代親しくしていた主婦の姉妹と偶然会いまし
た。驚いたことに最近私の名前が王国会館の掲示板に張られている群れの成員簿の中
に記載されているというのです。そして私がまだ群れの成員として見なされていると
いうのです。もうやめて八年近くなる名前がどうして再び王国会館の掲示板に復活し
たのでしょうか。この研究記事の辞めていった人たちに対する見方の変更が影響して
いるのかもしれません。組織はもしかすると最近のエホバの証人の毎年の統計の中
に,私たちのような自然消滅した人たちも含めようとしているのではと考えます。い
わばそのような「幽霊会員」も統計の中に加えることによって,今後本当の正確な記
録を知らせないようにするための布石とする目的があるのかもしれません。これはあ
くまでも私個人の憶測です。このことをさらに詳しく知っている現役の証人の方がお
られるならば,この村本さんの投稿ページか,私のメールに情報を下さるようお願い
します。
辞めていった人たちに対する感じ方を変えるよう変更した組織は、成員がそれら辞め
ていった人たちに対する警戒感を取り去って,気軽に会いに行ったりすることを勧め
ているのでしょうか。いいえそのようなことはありません。組織は依然として成員に
その人がなぜ辞めていったのか,その理由を知られることに警戒感を持っています。
それゆえ次のような記事の中で取り決めを設けているのです。

「ですから,弱い人に助けを差し伸べることは,すべてのクリスチャンが担うぺき努
めです。」
「いうまでもなく,それを最も効果的に行うためには,長老たちと協力する必要があ
ります。」
「必要な援助を誰が行うかを判断する一番よい立場にあるのは,恐らく奉仕監督で
しょう。」

すべてのクリスチャンが担うべき努めと言っておきながら個々のクリスチャンが、援
助するために単独で会いに行くことは許しません,結局は会衆の中で比較的霊的に元
気な,つまり組織に何の疑問を持っていない,また組織拡大に夢中になって活動して
いる人を限定して接触させるのです。援助する人に万が一辞めていった人がたとえば
この村本さんのホームページを見てその情報に触れてやめるきっかけになったと話し
たとしても,マインドコントロールが強固に働いている人ならすぐに「この人は危険
な人だ,背教者だ,」とすぐに感じ取り,それは長老たちに報告され,長老たちは援
助をすぐに中止しその人に対する扱いを「背教者」としての危険な存在として各成員
に伝え,接触することを絶つ取り決めを講じるでしょう。
それではこの取り決めの中に愛を見出すことは出来るのでしょうか。最後の節にある
記述に注目できます。

「援助を受ける人は,真の友と再び共になるという幸福を味わいます。」

この記事全体の中ではっきりと読み取れるのは援助する側と援助される側のはっきり
とした上下関係があるということです。「霊的に強い者と弱い者」の関係において協
会の出版物を討議する,しかもその目的はその人の真の友になってあげることでな
く,再び霊的に強くすること,伝道活動に活発に預かり,集会でも立派な注解をする
ような人になるよう,その人に「再教育する」ことが目的なのです。はっきりいえる
ことですが,エホバの証人の人間関係の中で真の友を作り出すこと、友情関係を築く
ことは不可能です。高校時代の友達との同窓会に参加したときのように本当の友達と
の間には上下関係はそこに存在しません。自分の思っていること,不満に思っている
こと,本当に興味を持っていることなど,何でも話し合える関係がそこにはあるはず
です。
しかしながら,今回の研究記事において,自然消滅的にやめていった人たちに対する
「感じ方」が今までは冷たく,冷淡なものだったのに対し,今度からはいつか戻って
くるかもしれない可能性のあるもの,価値ある存在と感じるよう見方を変えるよう指
示したことは自然消滅的にやめていった人たちにとって、愛ある取り決めの変更とい
えるかもしれません。それはもうスーパーなどで買い物をしている際,偶然行き会っ
たときのあの冷たい態度や視線が無くなるかもしれないからです。そしてこれから組
織を離れようと計画しているする人にとって,自然消滅的にやめていく方法が一番自
分が傷つかない最善の方法となってゆくでしょう。

メールアドレス  pfreedom@nifty.com  まで

《編集者より》
自然消滅者に対する偏見が減っていることは、体験者の話からも裏付けられていると思います。そのことは、自然消滅が、排斥や断絶と比べて、ますます安全で確実なエホバの証人の辞め方になってきたことを示します。それと同時に、今後は「出入り」する証人、つまり不活発になったり活発になったりを繰り返す人も出てくるでしょう。そうなると、「内」と「外」との境界がはっきりしにくくなり、組織のカルト色はますます減っていくのではないかと私は推測しています。ものみの塔宗教も、他の宗教の歴史にならって、幼稚で常識外れのカルトを次第に卒業して、より常識的で体制にはまり込んだ(つまり「この事物の体制」に近づいた)組織宗教としての道を歩むかもしれません。