「やる気の無さ」

(2-18-03)

最近の若者は無気力だとよく耳にしますが、エホバの証人の若者(二世)にも例外なく
無気力な人たちがいると思います。
私の観察によると世の中一般よりその割合は多いのではないかと思います。実際、やる
気があり生き生きとした若者はやがて組織から離れて行き、やる気のない若者だけが留
まっているように見受けられます。これは、別にもともと無気力な若者が組織に留まっ
ているのではなく、組織に留まるがゆえにやる気がなくなっていくというシステムの問
題ではないかと考えられます。
では、なぜ組織に留まっている若者が無気力になってしまうのでしょうか?そこには当
然いろいろな原因があるわけで簡単に一言では語れないでしょうが、私の思いつくまま
に書いてみたいと思います。

普通人間には、自分の行動は自分で決定したいという欲求があります。そのことがやる
気を保ち大きな達成感や満足を得るのに不可欠なわけです。しかし、誰かから命令され
て行なうとか、やむをえない理由で行なうことは、うまくそれをやり遂げても達成感を
得るというよりは安堵感を得るだけというものに、なってしまうのではないでしょうか。
最近のものみの塔(2002/10/1)には、若者がインタビューに答え「両親はエホバへの
献身を決定するように私に圧力をかけたりしませんでした。それは自分で決定すること
だからです」「開拓奉仕者になるよう親から圧力をかけられたことは一度もありません」
と言った記事が載せられましたが、これは現実を反映しているとは言えません。
実際多くの二世の若者は、家庭・会衆からの圧力(主に言外の圧力)により献身したり
開拓奉仕をしているのは明らかでしょう。私の知るある神権家族の若者は、中学時代に
エホバの証人を辞めたいと言ったら、長老である父親に、それなら中学を卒業したら家
を出て自活しろと言われたそうです。彼曰く、せめて高校には行きたかったので選択の
余地はなかったということです。成人した今、彼は組織から離れています。また、私は
二世であるにも関わらず唯のサラリーマンをしていた時、よく開拓奉仕をしている若者
に羨ましがられました。
結局、エホバの証人の多くの若者(二世)は、人生の中心となる部分で自分の意向では
ない行動(集会・伝道・献身・開拓奉仕など)をとらざるを得ないのが実情です。本来
嫌ならやめれば良いのですがエホバの証人はそうはいきません。やめればそれまでの主
要な人間関係を全て失わなければならないからです(それには家族関係も含まれます)。
これは、幼い時から組織にいるものにとっては大変厳しいものです。
当然、人生の中では自分の意向に沿わないことでも行なわなければならないことは沢山
あります。しかし、普通は自分の行動を自分で決定しつつ様々な不本意であろう事も行
ないながら、最終的に物事を成し遂げて充実した達成感を得ることが出来ます。ところ
が、二世は根本的に人生のスタート時点で自分の意向でない歩みを強制されるので、そ
の後の積み重ねがあっても周りから認められるといった安堵感はあっても、なかなか充
実した達成感は得られないのではないでしょうか。結果としてイマイチやる気がない状
態になってしまうのでしょう。
私自身二世として強制的にエホバの証人にさせられたので、若い頃は常に気持が乗らな
い状態で組織に交わっていました。そして、その中で周りに流される様に数年間正規開
拓奉仕も行ないました。その中でそれなりに努力し、やりがいも感じ、成果もあったと
思いますが、本当に充実した達成感というのは味わうことは出来ませんでした。一生懸
命自分を奮い立たせても、常に精神的疲労が抜けずどうしてもやる気が起きないという
状態でした。やはりそれは、スタートの時点で本当に納得して自分で考えて始めたので
なくて、言外の圧力などによりなんとなく始めたのが問題だったと思います。

また、人間は自分の力の範囲では統制できないことや運・不運で決定されてしまうこと
に対しては、無気力になるようです。エホバの証人として歩むと、ただ漠然と近いと言
われていて、いつ来るかわからない常に先延ばしされる楽園を待たなければなりません。
また、どんなに自分自身が努力したところでその楽園に入れるかどうかは保証されませ
ん。また、組織に改善してほしいことがあってもエホバを待つしかなく、いつ改善され
るかもわかりません。また、統治体のツルの一声で、自分自身の人生に関わるような重
要な問題であっても180度方向転換しなければなりません。
そういった中でやっていくのは大人であっても辛いものです。まして若者であればいつ
まで続くかわからず、自分の力の及ばないものに微かな希望を持ちやっていくのでは、
やる気が起きないのも無理ないのではないでしょうか。

また、人間は自分にあった分野、自分が特に力を発揮できそうな分野を探します。そし
て、自分の能力・適正・興味を知りそれに沿って努力することが人生をよりよく生きる
上で重要だといえるでしょう。若い時であればまだ試していない様々な才能や可能性を
持っているので、やる気に満ちて将来を夢見る時期であるはずなのに、二世は自分の力
を試すことが出来ません。自分の可能性は(開拓奉仕などのために)犠牲にしなければ
ならないのです。
というのも、エホバの証人として要求されることは、まずは伝道に出ることなのです。
そして実際に見える数字でそれを証明しなければなりません。(個人で聖書を研究する
よりも、伝道に出ることが人から求められ評価されるのがエホバの証人らしいところで
す)実際、エホバの証人としてステップアップするには全時間奉仕を何年行なったかと
いうことが最重要です。それが無ければ次の段階に踏み出すことは有得ません。
もともと社交的ではなく、人と対面して話すのが不得手であってもそれは関係ありませ
ん。また、兄弟であれば大勢の人前で立派に話さなければなりません。それらが出来な
ければそれなりの評価になってしまうのです。そうした中で元来営業向きの性格であっ
たり、自分の能力を組織の中でそれなりに発揮できる人は良いですが、そうでない人に
とってはやる気を保つのは難しいと思います。
一昔前から伝道が苦手な人は、建設奉仕という受け皿ができ多少それで救われている人
もいるようですが、実際、様々な才能がありながら、伝道が苦手という理由で、会衆で
は能力を発揮する機会もなく、結局会衆内外どこにも居場所がなく何となく無気力とい
う若者が大勢いました。私は常日頃そうした埋もれた才能を発揮できない若者を見るた
び、もったいないと思っていました。

今の若い人たちには無気力になり、自分の可能性を無駄にしてほしくありません。ぜひ、
自分の行動は自分で決定し、能力・可能性を十分発揮できるようその部分に努力を傾け
てください。親であるならば、自分自身でさえ納得していないような、漠然とした将来
に対する漠然とした希望を与えるよりも、やる気の芽を摘み取らずに若い時代を無駄に
しないよう援助してあげて下さい。

《編集者より》
エホバの証人が無気力になる理由は多くありますが、あなたも指摘するように、先送りを繰り返してきた「楽園の希望」はその大きなものでしょう。あれだけ何度も希望を先送りをしておいて、しかもその後で「今度こそは」と言って士気を振起そうとしたって、無理なことは目に見えているのですが、それにも懲りずに同じ「餌」で証人たちのやる気を起こそうとする、ものみの塔の指導部の浅墓な計算が大きな原因です。そして大部分の証人は、その教義の枠組みにはまり込んだ以上どこにも行きようがなく、表面的に嬉しそうな顔を作って伝道を続け、その実は奉仕の時間数と組織内での昇進しか見えない無気力な人生を送るしか選択がないのです。このような「墓穴」を掘りつづける空しい証人の人生に気がついたあなたのような少数の証人以外は、いつまでたっても組織から出られないのでしょう。少しでも多くの証人が立ち止まって気を取り直し、自分の周囲を見回して、現実に目覚めてほしいものです。