奉仕の僕の方よりエホバの証人の児童虐待について

(2-16-03)


<前略>
  わたしはエホバの証人の組織に交わるようになって
28年になろうとしている現役のエホバの証人で、現在は
奉仕の僕です。

  まず、この膨大なサイトを管理し、運営されている
こと、現役か現役でないかにかかわらず、わたしたちの
気持ちの発表場所を提供し、愛情深いきめの細かい返事
をしてくださっていることについて深く感謝いたしま
す。わたしはあなたのご返事も含めてすべての広場への
投書を二月かけて読むことができました。組織の出版物
を読むよりも心に染み込んできたような気がします。

  わたしが“エホバの証人情報センター”を訪れるよ
うになったきっかけは親しい友人であるエホバの証人の
家でこのサイトから「良心の危機」というタイトルを見
たことでした。それについて彼に質問したところ「兄弟
が真実を知りたければこれを見たほうがいいよ」とすす
めてくれたのですが、その返事の前には「兄弟が忠実を
保ちたいのであれば見ないほうがいい」とも彼は言いま
した。それでも、わたしは真実をどうしても知りたかっ
たのです。

  わたしはエホバの証人になる前から真実や正直さを
人間として大切なものとして生きてきました。ですか
ら、聖書の原則を好ましいものとして受け入れたわけで
すが、長いこと組織と付き合っているとこの好ましい特
質をそのとおり実行しようとすると悪者扱いにされるこ
とを知りました。非常に残念で悲しいことです。

  わたしは人生の半分以上をこの組織と交わってきま
したので、エホバの証人としてよりも人として、人間と
して大切な人も大勢います。それでこれらの人々と切り
立たれることはわたしの人生において損失が大きすぎる
のです。そうなることをわたしはまったく望んでいませ
ん。彼らの中の一人にわたし自身が抱えている苦しみを
打ち明けたところ、断絶はしないでほしいとも告げられ
ました。彼らもわたしがそうなることを少しも望んでは
いないのです。

  わたしも友人もエホバの証人として、いや人として
良心的に努力してきたこと、自分なりに聖書を研究して
学び知ったことはたくさんありますが、発表する機会や
場がなく、ごく限られた信頼のおける友人だけに公表し
てきました。

  しかし、近年になってインターネットという強力な
器を用いることが可能になってきました。情報センター
を訪れる兄弟姉妹、過去においても忠実な証人として苦
しんできた兄弟姉妹たちにも少しでもお役に立ちたいと
いう気持ちもあります。投書を多くされている「物事を
ありのままに見つめるエホバの証人」の兄弟のようにさ
まざまな見方を持っている現役の信者もいるということ
も、さらに知ってほしいのです。

エホバの証人に関する考察

−むちについて−

  わたしはいわゆる二世ではありませんので、エホバ
の証人である親から体罰のむちは受けたことがありませ
ん。しかし、このむちが使われるところを目撃したこと
は今でも鮮明に生々しく映画のように覚えています。

  わたしは高校生のときに研究生となり20代の早い時
期にバプテスマを受けました。これは1977年のことで
す。現在はこのころとは異なり、王国会館でむちやそれ
に代わるものが使用されることもなく実際に体罰が行わ
れることは皆無です。しかし、30歳すぎで四人の子持ち
の母親に聞いたところ司会者から体罰を行なうようにし
きりに促されたそうですが、彼女はそれをおこなっては
きませんでした。これ確認したのは数年前のことです。
それでどうも、最近ではいわゆる古参の姉妹たちがしき
りに体罰を促すようですが、中には過去において体罰を
おこなったことを悔やんでいる人もいるのです。

  さて、わたしがバプテスマを受けた1977年ごろは物
差し、皮ベルトなどで実際にむち打つことは当然の習慣
でした。そう、わたしはあの光景を映画のように覚えて
おり、その女の子の着ている上着の色まで思い出せるの
です。その子の母親は当時20代後半、父親は30代のはじ
めで、長老だったのです。その子は3歳ぐらいでした。

  どう考えても子供が夜遅い集会に出席して2時間の
長きにわたるお経のように難しいプログラムをじっと聞
いていることは困難だと思います。それで当然のことな
がら、何か親の意向に沿わないことをおこなうことはあ
ると思います。このときわたしはその子の斜め右うしろ
に座っていたのでその子が何をしたのかはわかりません
でした。しかし突然母親がそのこと抱きかかえ、口をふ
さいで−わたしの方へ−トイレに向かって行きました。
しっかり口はふさがれているのですが、その子のふさが
れた口から“いやだよう、いやだよう!”という言葉が
もれ、必死に抵抗していたのです。その声はわたしの耳
に焼き付き、その苦渋に満ちた顔ははっきりと覚えてい
ます。母親は竹製の物差しを持っていました。わたしは
これを正面から目撃し、物差しでたたかれることがどれ
ほどの苦痛なのかを考えました。

  あまりにもショックだったせいか、集会から家に
戻って、自分で物差しを使い、その痛さを確かめたので
す。直接は見ていませんが、むち打つときは下着を脱が
せて素肌を打ったそうなので、わたしも自分のズボンを
下げ、右脚のももを思い切り物差しで打ってみました。
残念ですがどれほどの痛さかをどうしても思い起こすこ
とができません。

  そうであっても、最近のわたしは子連れの親子が王
国会館の集会に出席する光景を見てこのときの出来事を
深く考えるのです。そして自分が目撃した戦慄を覚えさ
せるむち打ちの光景の意味は果たして、いったいなん
だったのだろうか、という思いがよぎるのです。

最初に記したように最近の王国会館や大会では実際のむ
ちを使う光景を見ることがありません。むちを使わない
からというので子供たちが集会中に行儀悪くなったのか
というのなら過去においてのむち打ちも、少しの意味は
あったでしょうが、現在では集会中の行儀は問題がほと
んどないであろうとわたしは思うのです。もちろんのこ
と、集会のような公の場所でなく、個人の家のような隠
れた場所においてなされているのかもしれません。

  その現状はさておき、わたしがこうしたことを思い
出して振り返る、もうひとつの理由は、いわゆる二世の
年若い人々の態度や表情がどことなく変だと感じさせら
れたことにあります。この変だと感じさせられた態度や
表情を言葉で表現することは非常に難しいのですが、お
おむね次のようなものです。

  目の色がどことなくうつろで沈んでいる。他の人に
対して妙におどおどしたよそよそしい態度で接する。下
向き加減で返答をする。口元は笑っているように見える
が目は笑っていない。失敗に対する言い訳を考え出すこ
とが非常にうまい。野外宣教など時間の報告ができて公
に他の人の目に触れることは熱心だが、個人的で目立た
ない援助や手伝いを避けようとする、などです。

  もちろんこれらはエホバの証人の一世にも当てはま
るのですが、二世の場合極端な傾向が見られるように感
じています。でも、なぜこうしたことが二世の人たちに
多く見られるのかずっと考えつづけてきました。

  わたしはこうしたことの原因の多くが過去において
親からむち打ちを受けた二世たちに多く見られることを
観察しています。もうひとつ考えられる理由は聖書やも
のみの塔出版物に基づいたと信じ込んでいる、あるいは
信じ込まされている原則によって極端な感情の否定をお
こないつづけたことです。これについては別の機会に投
書したいと考えています。

  先ほど述べた女の子の家庭ではこらしめとして食事
の制限もありました。一食ぐらいならわたしもやむをえ
ないかと当時は考えましたが、この家庭ではなんと二食
抜きまでおこなっていたのです。わたしが母親に聞いた
ところ、一食では効き目が薄いので二食にしているとい
うことでした。父親とその父の母親(もちろん信者)が
むちや食事のこらしめについて母親に「何もそこまでし
なくてもいいのでは」とたしなめても聞き入れなかった
そうです。

  わたしは若すぎたせいもあって、当時こうしたこと
の意味や影響を理解できず、大会や集会で子供たちがお
となしくしていることを組織の自慢として、他の人に話
していました。

  わたしは最近まで、むち打ちが取り入れられたいき
さつや理由を知りませんでしたが、ウェブサイトの「昼
寝する豚」の編集者が克明に明らかにしており、非常に
興味深く読ませていただきました。わたしが読んだ出版
物や古参の証人から聞いたことでは、むち打ちが導入さ
れる前は大会などでは、託児所があって親たちは子供と
は別にプログラムを聞くことができたそうです。

  わたしが覚えている当時の会衆には怖いおばさんで
60歳ぐらいの姉妹がいました。この人はご主人が長老、
二人娘がおり、長女は日本支部委員の妻でした。この怖
いおばさんの姉妹は相当に影響力のある人で、他の人か
らの話では自分のご主人に圧力をかけて個々の人の排斥
の理由までも知っているようだったのです。それで当然
のことですが、長老の妻、あるいは年長の姉妹として年
若い長老の妻に助言をしていることもあったようです。
わたし自身もこの人からの意見をうっかり聞き入れて実
行したため、10歳ぐらいの子供を深く傷つけたことがあ
りました。

  そのようなわけで、まわりの若い子供を持つ親たち
がむち打ちを実行していることと、年長の人々からの暗
黙の圧力などもあって虐待行為のようなこらしめに走ら
ざるを得なかったようでした。

  わたしがこうしたことを書く目的は、現在の集会で
文字通りのむちがおこなわれなくとも幼い子供たちの行
儀よいことを観察して、果たしてあのようなむちに意味
があったのであろうかという思いと、自分が若すぎて意
味を理解できないこともあったけれど、彼らを守ってや
れなかったという自責の念にかられるからです。わたし
には子供がいませんが、それでも責任を感じて苦しいの
です。その時代を生きて多くの人を傷つけた事実を目撃
してきたからでしょう。

  ご主人から殴られて顔がはれ上がり、サングラスで
隠して伝道に参加していた姉妹、いつもおびえて何かを
訴えているような子供たち、打ち沈んで自分の気持ちを
何とか取り繕っている姉妹もいたのです。

  わたしは直接これらの傷つける行為にかかわってい
ませんが、これらの記憶が、その当時に何かをしてやれ
たのではないかという気持ちを抱かせ、こうした宗教に
足を踏み入れた愚かな自分を責めるのだと思います。

  これらに気がつき、目覚め始めたエホバの証人とし
て、最近再び研究を始めた若者が、幼いときに母親が開
拓奉仕などで忙しくて十分にかまわれずさびしい思いを
していたことを知りましたので、当時の事情とお詫びの
言葉を手紙にして渡したことがありました。

  たしかに、エホバの証人情報センターや数多くの
ウェブサイトで公表されているように、過去において実
際におこなわれたむち打ちは理由のいかんを問わず、多
くの人の心と体に多くの傷跡を残し、いまだに苦しめて
いますが、直接の当事者でなくてもこのようにして大き
な影響を残してきてしまったということを知っていただ
きたかったのです。

  このような経験を直接にもウェブサイトを通じてで
も多くの人に知っていただき、同じ過ちを繰り返させな
いよう努力をはらっていきたいと思います。


《編集者より》
先ず、現役で奉仕の僕でありながら、エホバの証人の問題を勇気を持って偏見なく直視されるあなたの態度に心から敬意を表します。あなたが現役であること、また直接の虐待の被害者でもないことが、あなたの発言の説得力を大きなものにしていると思います。この実態を知らない比較的最近の証人、研究生や部外者は、虐待は一部の親の間で行なわれたことで、協会の組織的な指示があったことを疑っていました。今後も、内部からありのままにエホバの証人の問題点を外部の人々に開示していただければ幸いです。ものみの塔の組織が内部に山積する問題を外部に知らせずに、依然として信者の勧誘を続けている以上、このような内部情報の開示は重要な安全弁となるのです。


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