「人間性を問う」

(1-2-03)

私は今までいろんなエホ証の方たちとお会いして
思ったことがいくつかある。
人間は間違いを犯すがエホバに許しを乞うということだったかな
いろいろ教えていただいたことあるが私には理解できない。
神に似せて作られた人間が間違いを犯すってことは神の失敗作では
ないか?というおもいがある。アダムとエバからいままで人間は繰り返し
大きな間違いを犯し目覚めては犯すの繰り返し
エホバを信じている人たちだけが間違いを犯しても救われる
そんな無責任な理屈が神のお考えなのか?そんな神がなぜ?
人間というものを私は許せない。ということは神をも許せないことになりますね。
動物は自分たちが生活するために最小限の殺し合いしかしません。
それで地球上でバランスのとれた環境なんです。
人間が手を出したばっかりに壊されていく。
神が人間というものさえつくらなかったら本当にこの惑星は楽園なのかも
しれません。
そして
エホバを信じている方の中になんて視野の狭い方が大勢いるのかということ
エホバのためなら他の人の人格認めない
私はそれが悲しい ほんとの人格者はあいての弱さも認めてあげる強さがほしい
私はまだそんな人にめぐり合ってないのである。

《編集者より》
人間が元々罪深い存在で、それが神や仏の力で浄化されるという思想は、エホバの証人やキリスト教に限らず、多くの宗教で共通する見方です。ただ人間は、自分の罪を意識できるだけ、他の動物よりはましなのかも知れません。動物は自分の生存に必要であれば、殺すことも環境を破壊することも気にしません。そしてその結果自分の生きていく環境も破壊することになり、そこで自然に勢力が弱まってバランスが取れてきます。彼らが際限なく餌を食べ尽くせば、それ以上増えることは出来ないからです。人間以外の自然の世界がバランスが取れているように見えるのは、そのような絶え間ない弱肉強食と生存競争のバランスの結果なのです。人間は他の動物以上の破壊力があると同時に、他の動物にない罪の意識と知恵があり、そこが違うのでしょう。現代の世界で、人間が環境を守り、開発を制限しようとしているのも、全体からみればやはり自然のバランスかもしれません。これまで人間は自分たちが生き残り繁栄することで精一杯でしたが、その結果が自分たちにとって結局生き残りにくい環境を作っていることに気がつき、そのことが自然と人間の活動を変化させているのでしょう。神が人間というものを作らなければ、地球は他の動植物にとって楽園かも知れませんが、必ずそれ以外の問題が起こると思います。神が病原菌というものさえ作らなかったら同じように楽園かもしれませんよ。

エホバの証人やある種の宗教者が狭い視野を持つことは、ある意味で当然でしょう。これらの宗教は、「エホバの見方」と称する一定の偏見を持った見方を人間の頭に植え付けることがその本質ですから、それらの人に別の視点や視野を期待することは、ある意味でお門違いであると私は思います。