「自分で物事を考える」

(12-23-02)


 この読者の広場を拝見しますと、多くの元信者の方々が前向きな考えを持って生活なさ
っているようでとても励まされています。

 私も4年前に組織を離れましたが、約16年のエホバの証人生活で経験した事、感じた事
などを、こうした場所に発表出来れば皆様のお役に立つことが出来るのではないかと考え
ました。それで、実際にペンを取ってみましたが、自分の考えがどうもうまくまとめられ
ません。どうしてなのか考えてみますと、これは長年培ってきたエホバの証人としての思
考パターンによるのではないかと思いました。

 エホバの証人の教えは、「自分の理解に頼ってはならない。歩んでいる人の道もその人に
属していない。エホバのお考えを自分の考えにするように」というものです。人間は非常
に限られた知識や経験しかないので、その中で考え決定するのは愚かである、むしろ人間
の創造主エホバに全面的に頼るようにと教えます。
 これは、言い換えると、ものみの塔協会の出版物に書かれている考え方(聖書ではあり
ません)を、自分の考え方にするようにという事です。その為繰り返し考え方のマニュア
ルを叩き込む事がなされるのです。(集会・奉仕・個人研究・・・によって)

 こうした中で特に培ってきたことは、独立の精神を避けなさいという事です。全ての行
動や考えは(聖書ではなく)協会の出版物や長老の裏付けが必要だと教えます。その為非
常に多くの証人は、些細な事でもすぐに長老に相談します。また、演壇から話すことや、
宣教奉仕で話すことは、自分の考えではなく全て協会の出版物の要約に過ぎません(そう
でなければならないのです)。
 また、協会の出版物に反する情報は一切避けるようにとも特に訓練されます。この事は
かなり徹底されていて、見るもの、聞くものでちょっとでも怪しいにおいのするもの(協
会に反する考え)は、見事にかぎ分け確実に避けるようになります。それがどんなに正当
なものであっても、その意見や、なぜそういったものが出るかという事は一切知る必要の
ない事なのです。

 その為、さまざまな情報を取り入れて、自分の中で考え整理するという人間にとって最
も大切な事は、一切出来ない様になって行くのです。一方通行の情報を鵜呑みにして、そ
れに沿って常に考える様になるのです。それで、「協会の考えは・・・」というのが先ず頭に
浮かびそれが自分の考えになるのです。

 考えてみますと私自身、幼少の頃から培ってきたこうした思考パターンがしっかりと身
に付いているようです。今では、以前のものみの塔一辺倒の考え方だけではなく、様々な
ものの見方、考え方を柔軟に取り入れられる様になっていますが、それでも自分自身の考
えを持つということが余り出来ていないような気がします。
 いろいろな情報を取捨選択し、自分の中で考えを巡らせた時に「この事について、あな
たはどんな考えですか?」と言われると、こちらの立場ならこうだろうし、あちらの立場
ならこうだろう、こういった見方も出来るし、ああいった見方も出来るといった意見しか
言えない事がよくあります。(これは客観的見方と言うより、自分自身の考えを持てないと
いう事だと思います)以前は、協会の考えを調べてそれを自分の考えにしていれば良かっ
たのですが、今では、その協会の部分が空白になってしまっています。

 それでも、最近感じるのは人間はたとえ限られた知識と経験しか持っていなくても、し
っかりと自分で物事を考え判断することが必要なのではないかと言う事です。
当然の事ながら、長年培ってきた思考パターンがそうは簡単に変えられないでしょうが、
別に焦らなくても、いろいろな情報をフラットに受け入れ、常に自分で物事を考える癖を
つけていこうと考えております。そしていつか、かつては「協会の考えは・・・」といってい
たところを「私の考えは・・・」と自信を持って言えるようになりたいと思います。

《編集者より》
エホバの証人をやめる際に非常に重要な心構えの変化だと思います。よく考えてみると、誰もがみな、結局は自分で決断をしているのですが、エホバの証人の場合、その決断はエホバ(組織)の言うとおりという決断であり、そのため自分で考えて自分で決断するという勇気と能力と責任が衰えてしまうのです。これはある意味では気楽な決断、しかし人任せの無責任な決断であり、実際エホバの証人をやめて、責任ある社会の一員となる場合、それに伴う勇気と能力と責任感の欠如が大きな挑戦となるのでしょう。