「永久追放により」−排斥者への対応の投稿を読んで

(12-9-02)


やはり、サマリア人の例えをエホ証に適用すること自体が、無理なことかと思われます。
読んでいて、本当にお気持ちは手にとるようにわかりました。
私は排斥にこそなりませんでしたが、不活発になり、弟は審理委員会にかけられました。
あなたが本当に心からの友だと思っていた兄弟姉妹達は、その人達自身はきっと、あ
なたのことを心の底では真に顧みていると思いますよ。
ただ、それを表面に表してはいけない、という教えを強制している、組織に対して疑
問を持って下さい。
1人1人は本当に、心の優しい、あなたにとって良き友なはずです。

それを阻んでいるのは、組織の教えなんです。

少なくとも私は、そう思っています。

私は恵まれており、離れて9年経った今でも、親友と呼べるほどの現エホ証の友達がいます。
お互いに、自分の知らない世界を認めあい、生きてきています。
そのような、真に賢い友がいるといいですね。
まだまだこれからだと思います。

排斥も大変だと思いがちですが、普通一般からすれば、なんの問題もないことに気付
いて欲しいと思います。
これから、本当にゆったりとした、いい人生を歩めますように、願っています。

《編集者より》
これも「永久追放により」−排斥者への対応に対する意見です。他の投書にもありましたが、排斥後の人生がどうなるかは、その人の排斥前の組織への依存度にもよるのではないでしょうか。元々人生の全てを組織にかけた人でなければ、排斥の影響も部分的なもので終わりますが、レイモンド・フランズのように人生の全てがエホバの証人そのものであった場合、出直して立ち直るには並々ならぬ苦労がいります。あなたは自然消滅、不活発化の道をとられたので、排斥者の苦渋は味あわずに、今でも昔の友人を保つことができています。あなたの例も、私がここで何度もお勧めしている、不活発化による離脱の道を支持するものであると思います。やはり排斥や断絶はトラウマの規模が大きく、お勧めできません。