「はじめまして、昔研究していた者です」−「すえこ」

(12-5-02)

 はじめまして、こんにちは。
 小学校から大学初期までエホバの証人の研究生をしていた、すえこ(仮名)という
ものです。
 以前からサイトのほうは拝見させていただいておりますが、何度メール出そうと
思っても、踏ん切りがつきませんでした。
 書いているうちに愚痴になってしまうのではないか、なんて考えていましたが、自
分の胸のうちをやっぱり聞いてほしいなと思い、メールすることにしました。

 私がエホバの証人の研究生になるきっかけは、小学校から中学校にかけての同級生
がエホバの証人だったことでした。
 小学校のころにいじめられていた私と仲良くしてくれたのはその友達だけで、その
友達と仲良くするようになり、家に遊びに行くようになりました。
 その彼女の家は親権家族で、その友達のところに遊びに行ったのに、いつの間に
か、彼女の母親である姉妹との研究になっていました。
 私はエホバの教えには比較的ライトに接していた、というか「どうして?」「なん
でこうなるの?」と比較的冷静にきいており、その教えに染まるということはありま
せんでした。
 ただ、子供ながらも「いじめられない世界」としての楽園に憧れは抱いていまし
た。毎日泣くこともない、ぶたれることもない、そういう世界だって思いました。
 エホバの教えには疑問は持っていても楽園を望んだ私は、いつしか姉妹になりたい
と思うようになりました。
 母に隠れて研究を続け、高校になっていじめられることがなくなっても、大学に受
かって自分の夢に踏み出しても、「楽園」を楽しみに、姉妹になりたいという希望を
持っていました。
 しかし母が宗教に関して非常に厳しかったので、バプテスマをうけなかった原因は
そこにあるのかもしれません。
 そんな私が、エホバの証人に幻滅を抱いたのは、あるとき、「生活案」を提示され
たときでした。
 ・学校の授業では心理学とか哲学とか思想関係のものはとらない
 ・大学生活を第一にしない
 ここまでだったら、まぁ、普通のエホバの証人の言うことだな、で終わったので
す。
 しかし、その「生活案」にはこんなことも書いてありました。
 ・姉妹一家をお手本に規則正しい生活をすること
 ・食べ物に気をつける(カップラーメンとマクドナルドは週一回)
 は?ッて思いました。
 とどめは、
 「毎日マクドナルドとカップラーメンばっかり食べるからすえこちゃんはデブなの
よ」
 この瞬間、私の中で何かが切れました。
 私は、姉妹に毎日そんなものを食べてるなんて言った事ありませんでした。まして
や、そんなもの、週一ペースすら食べてませんでした。
 そして、そんなこと、世の誰にも言われたことありませんでした。
 「私、そんなの月に一度も食べてませんよ?」というと、
 「人間は不完全だから間違うこともあるから、ごめんなさいね。私はただ司会者と
してすえこちゃんに正しい生活を見につけて欲しかったの」
 なんていわれました。生活リズムが乱れているとも言ってないのに…。
 また、何かにつけて「人間は不完全だから」…。
 私は、この瞬間にエホバの証人との決別を決めました。
 その少し前にやや遠くに引っ越したこともいいきっかけだったのかもしれません。
 ものすごい悔しくて悲しくて、何であんな世の人でさえ言わない暴言を平気で吐い
て、「人間は不完全」という魔法の呪文に逃げ込むような人についていったんだろ
うってしばらく自分を責めました。
 あの研究をしている時間に受験勉強をしていたらもっといい大学にいけた、もっと
自分を見つめられた。そんな後悔が私を支配し、しばらく凹んだ状態が続きました。
 しばらくして立ち直ったころ、過去の自分を否定すると自分がバカみたいだと感
じ、GOOGLE検索でこのサイトとであったことをきっかけにエホバの証人とはな
んだったんだろうと考えるようにしました。

 ・楽園に行ったら近視が治る(めがねなくては歩けないほどの近視なのです)
 ・スタイルもよくなる
 ・いじめがない世界
 ・みんな笑顔でハッピー
 この4つが、姉妹から言われていたキーワードでした。
 そこで感じたのは、「みんな笑顔でハッピー」は永遠に不可能だということでし
た。
 人間には個性がある、一人一人顔が違う。目が小さい人は二重まぶたのパッチリし
た人にあこがれる、胸がない人は大きい胸にあこがれる。
 逆もまたしかり、人間は「満たされているように見えてまったく満たされていな
い」から。
 個性がそこにある限り、反転としてのコンプレックスもまた永遠に存在し続ける。
楽園になったって、その人が個人としている限り、憧れが消えることはない…。
 もし憧れが消える日があるのなら、外面内面ともに「個性」を消すことができた
時。
 また、近視が治るというのも、だったらなんでここまで近視になる前に気づいてく
れなかったのだろう…?
 なんか、人から宝物を盗んでおいて、返して欲しかったら奴隷になれ、と言ってい
るようにきこえて…。
 そこでこの矛盾を解消するためにサタンという悪役が必要になり、また、エホバが
その状況を許しているという話になってくるのだと感じました。

 ものすごい読みにくい文章でごめんなさい。また、文章にまとまりがなくてごめん
なさい。
 ただ、私がこの研究を通じて気づいたことは、
 楽園は都合のいい空想だということと、スタイルが悪い、近眼だ、その事実を否定
せずに受け入れて生きていくしかないということ。
 そして、私が今までで言われた最大の暴言は、自らを「聖なる民」と言いながら
「不完全」という魔法の呪文を唱える姉妹だったということです。
 村本さんのサイトと出会わなければ、エホバの証人について考えることもなかった
かもしれません。ただ一人で悲しい気持ちでいただけかもしれません。
 前へ進むチャンスを、ありがとうございます。これからも、がんばってください。
 応援しています

 すえこ

《編集者より》
人間の「完全」、「不完全」という見方はエホバの証人がよく口にします。「人間はみな不完全」であると共に、「楽園」では「完全」になるというものです。そもそも「完全」な人間とは何でしょう。あなたは近視の問題を取り上げましたが、体重や身長や視力は何が完全なのでしょうか。たとえ正常な視力を持った人間でも、人間には持って生まれた盲点があります。人間の聴力は、イルカの聴力に比べれば「不完全」ですし、人間の嗅覚は犬に比べれば「不完全」です。人間は元々全て不完全です。それが全て完全になり、人間がイルカと同じ聴力や犬と同じ嗅覚を持つようになるというのでしょうか。そして病気や死がなくなるそうですが、そうなったら「地上の楽園」は怪物のような老人だらけのとても住めない世の中になるでしょう。

現実には、人は老いて死に、次の世代の人間が世の中を受け継ぎ、その繰り返しが、人間の世の中を若返らせて活力を与えてきたのです。植物が死んで地の肥やしとなり、その上に新たな植物が芽を出すように、死と誕生とを繰り返すことが生命なのです。老いも死もない「地上の楽園」は実は地獄です。その意味で、ものみの塔協会が絵に描いた餅のように、信者を釣る餌とする「地上の楽園」にあなたが見切りをつけたことは、実に正解であったと私は思います。