「エホバの『永遠性』と『全能性』の意義」

(12-03-02)

拝啓

私は時々、エホバの「永遠性」と「全能性」の意義について考えます。勿論、人類の科
学水準が飛躍的に向上しても、エホバというものが実在者であった場合には、その「永
遠性」と「全能性」の意義は変わるものではないと思いますが、聖書が宛てられた古代
イスラエル人にとっての言語表現の意味するところと21世紀の私たちにとっての言語
表現の意味するところは違うと考えます。まず、エホバは無限の過去から未来に渡って
生き、存在しているとエホバの証人は信じています。それは啓示に「私はアルファであ
りオメガである。そして、最初であり最後である。」と表現されています。しかし、こ
の表現を「エホバは無限の過去から未来に渡って生き、存在している」という意味に解
釈できるでしょうか?そもそも、「無限の過去から未来に渡って生き、存在している」
という概念自体、人類には理解し難いものです。すべてのものには始めも終わりも必ず
あるからです。例えば、エホバには創造に着手しようと決心した時があり、実際に着手
した時があり、最初の被造物として天使長ミカエルを創造した時があります。これらは
すべて特定の時です。では、どうしてエホバには始めがないのでしょうか?これは明ら
かに論理矛盾です。すなわち、ギリシャ語のアルファベットの中でアルファは最初の文
字であり、オメガは最後の文字です。創造者である以上すべての被造物よりも先に存在
し、またすべての被造物の後まで存在するのは当然であり、別に無理に「エホバが無限
の過去から未来に渡って生き、存在している」と解釈する必要はないと思います。すな
わち、「私はアルファでありオメガである。そして、最初であり最後である。」はエホ
バの無限性ではなく、当然のことを言っているにすぎません。また、エホバが創造の7
日間を定めて、限られた時間内に一定の目的と仕事を達成しようとする態度はエホバの
有限性を根拠付けることになるのではないでしょうか?次に、エホバは全宇宙の創造者
でしょうか?エホバの証人はそのように信じています。しかし、この根拠は創世記の最
初の「神は始めに天と地を創造された。}という部分です。各銀河には数千億の恒星が
含まれており、全宇宙にはさらそれが数千億あると計算されていますから、これだけか
ら「天」に全宇宙を含めて考えるのは飛躍的な結論です。エホバが創造された恐らくは
唯一の知的生命体の存在する惑星である地球とその太陽は、半径5万光年の銀河系中心
から28000光年の位置にあるオリオン腕最辺境の中等程度の恒星系です。つまり銀
河系の片田舎の目立たない恒星にすぎません。エホバは地球にしか知的生命体を創造し
ていないと考えるのが聖書の論理的かつ妥当な解釈です。なぜならば、まずサタンと人
類の反逆がエホバの支配者としての歴史上類例のないことのように扱われ、永遠から永
遠にわたる唯一の立証の機会をエホバは設けられたと信じられているからです。他に複
数の人類世界があれば他に先例が皆無というのは不自然です。また、聖書中に他の人類
世界の存在を示唆する部分が全くないということです。そして、地球以外の創造に関し
て触れている部分は「神は始めに天と地を創造された。}という部分だけです。さらに
、エホバ、イエス、天使たちの関心があまりにも排他的に地球に集まりすぎています。
例えば、複数の人類社会が存在すれば、エホバがひとり子イエスを地球人類のためだけ
に犠牲にしたり、イエスが33年間の人生を人間として過ごしたりできないはずです。
それはあまりにも他に対して不公平であり、なおかつ、複数人類社会の世話をしている
イエスにとっては、そのような余裕はないでしょう。さいごに、天と地の時間の流れの
速さと方向が同質的であるということです。例えば、反逆した地上の天使たちと天の天
使たちの時間のレベルは同質です。天の一時間の間に地上で1000年経てば、同程度
の能力や仕事は持ち得ないでしょう。そして、結局、宇宙はあまりにも広大で果てしな
い故に聖書の創造者エホバが全宇宙の創造者ではありえないのです。すなわち、エホバ
は辺境宇宙の創造者にすぎないでしょう。もう一つ、エホバの創造の動機に関して、エ
ホバの証人は「彼は愛ゆえに他のすべての者も命を楽しむことを望まれた」と言ってい
ますが、これは結論が原因より先にある発想です。すなわち、エホバが創造を計画され
たのは、御自分の利益と関心があってのことです。その意味では創造の動機は利己的で
あったでしょう。御自分ひとりしか存在しないのですから、自分の利益と関心を中心に
するのは当然です。いざ人間が死に直面してもエホバとの個人的な関係を普段から築き
上げて、人格者として知られていなければ助けてもらえないとすら言わしめる神に「彼
は愛ゆえに他のすべての者も命を楽しむことを望まれた」という表現があてはまるでし
ょうか?それこそ誰一人人格者としてはいまだ存在していないのですから。    
From Gog in Magog

《編集者より》
投稿者のエホバの証人との関係がよくわからないので、こちらのカテゴリーに入れましたが、エホバの証人について詳しくご存知のようですので、もしかしたら関係者かもしれません。いずにしても、聖書解釈に関する本質的な問題を追及する考察です。私は基本的に、聖書は「古代の書物」として解釈し、その内容も「古代の真理」として扱われるべきであると思っております。そのことは必ずしも、内容が無意味であることを意味しません。古代において聖書は非常に大事なことを語っていたし、現代でも様々な指針を与えてはくれます。しかし、その個々の内容は現代にそのまま当てはまりません。あなたが問題にしているエホバの「永遠性」と「全能性」も、全て聖書の筆者たちの限られた知識と知能で考えられる限りの「永遠性」と「全能性」であって、現代人の知能と知識では到底理解できませんし、それをそのまま当てはめようとするエホバの証人は、お門違いの「真理」を信奉していると私は思います。輸血拒否がその典型ですが、聖書の言葉を取り出してきて投票を拒否したり誕生日の祝いを禁じるなど、全て時と場所をわきまえないお門違いの「真理」であると思います。その意味で、エホバが「永遠」で「全能」であるという解釈も、あなたの指摘されるように、矛盾だらけのものになるのではないでしょうか。