「永久追放により」−排斥者への対応

(11-29-02)

  野球が大好きな私は、シーズンオフのこの時期になるととても寂しく、例年ならば早く
春にならないか今から待ち遠しいのですが、去年からは、まだまだこの季節にも野球を楽
しめるようになりました。
  と言うのも、マスターズリーグというプロ野球を引退した往年の名選手(今では40代・
50代あるいはそれ以上)がプレーする様子を見られるようになり、それがとても楽しみ
になりました。去年も何回か球場に足を運びましたが、今年も通おうと思っています。
  その中で、「黒い霧事件」でプロ野球界を永久追放になった、元西鉄ライオンズの池永正
明投手が復帰し、みんなの前にまたその勇姿を見せてくれたのは大きな感動でした。
事件から30年余り経ち、沢山の仲間の活動や署名運動により復権を果たしたのでした。

  私は現役当時の彼を知りませんが、それでも関心を持つのは、私もエホバの証人を永久
追放(排斥)されたからです。
  彼に関する幾つかの記事などを読んでみますと、永久追放になった後は飲み屋を経営し
ていたようですが、西鉄の同僚をはじめとするそれまでの仲間は、「おまえたちに迷惑がか
かるから俺の所には来るな」という池永選手の言葉を無視し通い続けたそうです。
  永久追放になった事の真相はわかりませんが、彼は野球界を追放されても大切な友人を
失うことは決してなかったようです。

  それに対し私は25年間エホバの証人として、正に人生をかけて身を粉にして組織のた
め頑張ってきました。ところが、ちょっとした人間の弱さのため排斥になってしまいまし
た。そうしたところ、信者である親兄弟をはじめ、長年同じ証人として肩を並べて励んで
きた誰一人として、私に会うことは勿論、連絡を取って来る者もいませんでした。(勿論、
排斥者への対応の仕方は重々承知です)
  それでも私としては、これまで必要の大きなところへ移動したり様々会衆にも交わって
いましたし、それなりに幅広く人脈を作ってきたと思っていましたし、真の友と呼べる仲
間も何人かいると考えていましたので、何人かは連絡して来るのではないかと僅かに期待
していました。
  ところが誰一人として私を心配し様子を伺おうという人はいませんでした。その時の寂
しさ、悲しさ、悔しさは言葉には表せません。
  結局私にとっての本当の意味での友人とは何なんだろうと考えこんでしまいました。私
は、一人の人間としてどんな存在なのでしょうか?

その時に思いにうかんだのが次の聖句です。
「ルカ10:29〜37」(エホバの証人訳)
  ある研究生は巡回監督に尋ねた、「真のエホバの証人とはいったい誰でしょうか」巡回監
督は答えて言われた、「ある排斥された兄弟が道を歩く途中で、強盗たちに襲われました。
彼らはその洋服をはいだうえに殴打を加え、その人を半殺しにして去って行きました。さ
て、たまたま、以前同じ会衆だったある長老がその道路を下って行くところでしたが、そ
の人を見ると、反対側を通って行ってしまいました。 同じように、ひとりの奉仕の僕もま
た、そこまで来て彼を見ると、反対側を通って行ってしまいました。ところが、その道路
を歩いていたある兄弟がやって来ましたが、彼を見て哀れに思いました。それで、その人
に近づきその傷に応急手当をしてやりました。それから彼を自分の車に乗せ、病院に連れ
て行って世話をしたのです。そして次の日、一万円札二枚を取り出し、それを病院の医者
に渡して、こう言いました。『この人の世話をしてください。そして、何でもこれ以外にか
かるものがあれば、わたしがここに戻って来たときに返しますから』しかし、それを見て
いた最初に道路を通った長老と奉仕の僕は、早速真理委員会を開き、世話をした兄弟を排
斥にしてしまいました。これら三人のうちだれが、真のエホバの証人になったと思います
か」研究生は言った、「初めに通った長老や奉仕の僕です」すると巡回監督は言われた、「行
って、あなたも同じようにしてゆきなさい」

《編集者より》
ルカの「よきサマリア人」の例え話は、イエスの教えを真に実践するのが宗教的な権威者でないことが大きなポイントです。私は、この例え話を代表とするイエスの言葉からみて、彼が後に来るものみの塔を始めとする大規模な組織宗教とその管理階級(僧職者、統治体、長老など)を考えていたとは思えません。イエスは明らかにそのような「組織」には反発していたからです。いずれにせよ、現代のエホバの証人の排斥者に対する扱いは、よきサマリア人に代表される暖かい人間性を無視した、冷たい形式だけの「組織」が一人歩きをしていることを見事に物語っていると思います。