認知的不協和について

(11-3-02)


村本様、お元気でしょうか。

私は半年ほど前に読者からの投稿欄に1と2を掲載して頂いた
不活発な証人です。自己紹介がきちんとなされていないために
あの2つが別々の人物からのような印象を与えてしまいました
ことを、遅ればせながらお詫びいたします。言い訳になります
が当時はまだ完全にトラウマから開放されておらず、とにかく
調べたことを紙面に発表したい!という一心で、非常な焦燥感
に刈られての投稿でした。
あれから好きな音楽の掲示板などで自分自身のアイデンティテ
ィーの回復を図り、よき友も出来て精神的に随分と楽になった
なあ、と感じています。以前は外出もままならず、引きこもり
の状態で反エホバ関係のネットばかり見ていましたが、最近は
エホバの証人のことが頭から少し離れるようになり、外で彼ら
を見かけてもわりと平静でいられるようになりました。
でもこの半年間で随分、日本での状況も変化しているのではな
いでしょうか。めっきり野外であの人たちを見かける回数も減
ったような気がします。それとも目立たないように少しは巧み
になったのでしょうか。(夜10時過ぎに集会の帰りか個人の
御宅を訪問する証人夫婦をこの前見かけましたが)。でも相変
わらず老人と病人達の健康維持のための散歩を兼ねた奉仕?は
私が在籍していた時の様子と変わってはいませんね...。

話は変わりますが、最近興味深い文章を見つけました。
ある大学の法学部でのレポートで 「罪の意識について」です
。

 自分の心の中について内省する場合
  頑張る自分=他人を見下す自分
  どうしても人と比較してしまう自分!
 と向き合わなくてはならなくなります。
 言葉の持つ二面性に苦しみ、アイデンティティー.クライシ
スと いう自己同一性の拡散.危機に陥り、心理的安定性に欠
く状態  が続くことになります。

 その結果認知的不協和から考えると、

  〇行動を変える位なら解釈を変える。
  〇解釈を変える位なら事実を捏造する。
  〇個人の中に互いに矛盾する2つの認知があると、その不
快   な認知的不協和を提言するため、いずれか一方の認知
を変   えようとする。

というある意味での自己防衛に自然に行き着くようになります
。
これは追い詰められた人間個人だけでなく、組織という共同体
も全く同じなのではないでしょうか。
私は上記の記述を読んで、ものみの塔組織のやり方がわかった
ような気がして、目からうろこでした。

それからです、だいぶ気持ちが楽になったのは。

また小難しいことを!といわれそうですが、不器用な私はこう
いう手段でしか自己回復を得ることが出来ません。
これからも苦しんでいる人々たちに対して、村本様が精魂そそ
いで下さっていることに感謝しつつ、村本様のお幸せを祈るば
かりです。

《編集者より》
投書者の誰と誰が同一の人物であるかは、メールアドレスに頼る以外に知る方法がありません。特にそのことに言及していないと、メールアドレスを確認しませんので、別人として掲載することも多くあると思います。認知的不協和についてですが、社会心理学者の間では、カルトやエホバの証人のように「信じ込んだらそれっきり」という宗教の心理的基盤に認知的不協和があることは、かなり前から知られています。人間個人でも起こりますし、組織としても起こります。ものみの塔がやっていることは、認知的不協和の典型的な例です。また北朝鮮は国家ぐるみの認知的不協和と言えます。いずれもあなたが上にまとめられたように、自分たちの認知を自分が最も安心するものに変えて、それを「真理」として固く信じ込むことにより、心の平安を保っていくのです。その意味で、ものみの塔の信仰はお守りや厄除けの信仰と同じように、信じ込んだらそれにすがり続けるしかなくなります。それから、身に余る声援と励ましを頂き、感謝申し上げます。


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