「エホバの証人についての質問」−バベルの塔、エホバの矛盾

(9-25-02)

拝啓
私は長年に渡ってエホバの証人の文書を読んだことがあります。幾つか彼ら
の解釈した聖書の教えに疑問を抱きました。

例えば、言語と人種の起源です。バベルで言語が乱されてから、人類の言語
は多言語になり、各言語集団ごとに全世界へ散らばっていきました。という
ことは、ものみの塔の見解によれば、ノアの大洪水後の気候の全世界的な変
化が原因で人種の分化が生じたのですから、(この点に関しては科学者も同
じ見解を採っていると思います。)実際には、分化した言語集団に従って人
種も分化したことになります。ところが、人類の流血、闘争、人種差別、虐
殺、等ほとんどあらゆる悲劇の原因はこの二つにありますから、人類の諸問
題の最大の原因はエホバということにならないでしょうか?すなわち、少な
くともエホバがバベルで言語を乱さなければ、現在のような人種と言語の分
化は生じなかったでしょうから。

また、よくエホバがアダムとエバに子孫を設けることを許されたから、あな
たは存在する、だから、あなたはエホバに感謝するべきだと言われるのを聞
きます。でも、実際には、最も優秀な子孫を生み出すはずのアベルの子孫は
カインによって根絶され、カインの子孫は大洪水で根絶されたので、セツの
子孫だけが残りました。ところが、聖書はセツに関しては、殺されたアベル
の代わりにエホバが与えられたと書いていますから、現在の人類はすべて偶
然の産物と言えます。なぜならば、アベルがカインに殺されなければセツは
生まれなかったせしょうから。エホバがアダムの子孫に憐れみを抱かれたと
言いながら、結局は、私たちは、アベルの代わりとして生まれたセツの子孫
であり、それどころか、様々な偶然の要素によって生まれなかったかもしれ
ない存在でもあるわけです。また、アダムの子孫に憐れみを抱かれたと言い
ながら、最も優秀な子孫を生み出すはずのアベルの殺害を阻止できなかった
のは矛盾であるように思われます。恐らくカインによるアベルの殺害は動機
の覚醒、醸成、決心、実行に渡って漸進的で、ある程度の時間的猶予があっ
たはずですからなおさらです。

また、サタンとなった天使はどうしてベストタイミングでエバの近くにいた
のでしょうか?サタンの任務がエバから人類から離れていれば、移動中に見
咎められたのではないでしょうか?いかにもエバをまず攻撃して、間接的に
アダムを誘惑するという点でサタンは人類の弱点に通じてもいるようです。
これは、ものみの塔の一説にあるように、サタンが「覆うことをなす油注が
れたケルブでエデンに常にいた」からかもしれません。でも、本来の原則通
り公正の原則に従って、アダムとエバが憐れみを示されずに処刑されれば、
サタンも生存し続ける理由はありませんから、ただちに処刑されたはずです
。むしろ、サタンは天使としてアダムとエバが処刑され、其の直後、自分も
処刑されることを予期するはずですのに、どうして計画に実行に及んだので
しょうか?何か成算があったのでしょうか?まさかサタンが立証のための期
間をエホバが採られるであろうことを予測していたはずもありませんが。サ
タンほどの優秀な天使に何の成算があったのでしょうか?また、サタンが人
類の誘惑を実行しようという動機を起こさせるような心理状態を、人類の近
くに配置されたに後に生じさせたとは考えにくいのです。恐らく、ごく短期
間でしょうから。サタンはすでに天にいる時から、その端緒たる動機をやし
なっていたのでは?しかし、完全かつ強力な天使たちの集団に対しては、計
画の成算が立たなかったので、知的生命体としては最も付け入る余地のある
女性を見た時、初めて成算がたって実行したのでは?だとすれば、エホバは
危険性を承知でサタンをエデンに配置したことになり、エホバにも倫理的責
任が生じるのでは?

《編集者より》
この投書は、「エホバの証人についての質問」と題されていますが、むしろ聖書についての質問とした方がいいかも知れません。というのは、聖書のこのような矛盾は、エホバの証人だけの問題ではないからです。率直に言って、私は聖書は論理の矛盾だらけの本であると思います。もちろん書いてある事同士で矛盾していますし、内容そのものも矛盾していることが多くあります。あなたが上に指摘したことに対して、私は適切な答えを知りませんし、エホバの証人が答えられないのも当然であると思います。聖書は何千年も前に、今のような知識のない時代に書かれた書であり、現代の基準で内容を判断すること自体がおかしいと私は思っています。つまり、それを現代にそのまま当てはめる、ものみの塔の考え方が根本的におかしいと思いますが、それに対して、別の読み方をすれば聖書は完全な書であるという反論もまたおかしいと思います。聖書は矛盾だらけの古代人の知恵で書かれた名作として、その通りに読むべきであると私は思います。