「拉致から開放された一年を振り返って」

(9-23-02)

集会に行かない一年が経ちました。現在は、晴れ晴れした気持ちで罪の意識はまった
く無く、本当によかったと思っています。一人でも多くの証人の方が少しでも会
衆の中で「変だな」とか「おかしいよ」と、心当たりがあるのならただちに集会に行
かないことを薦めます。

過去何十年、時間泥棒にあった気分です。統一教会の元信者が起こしている「青
春を返せ」裁判の事を知りました。彼等も私たちと同じなんだなと知りました。私た
ちも彼等ほどの勇気は無いのでしょうか。裁判を起こして失われた私たちの青春の時
間を、別の形で弁償してもらいたいです。

集会にいかない時間に読書をしています。最近は仏教を紹介している「梅原猛の授業
仏教」を読みました。この本を通してキリスト教意外にも奥深い教えがある事に気が
つきました。特に興味深いのが絶対者宗教に対して和を重んじる宗教でした。キリス
ト教で訓練されてきた私はキリストに反対するなら親でも誰でも捨てろの教えに違和
感をもっていました。絶対者に崇拝するなら「何でも犠牲にしろ」精神は恐ろしいも
のでした。

又、別の本を読みました。タイトルは「数学 嫌いな人のための数学」。数学の本かと思い
ましたが、中身はエホバ神とイスラエル人の話が多く出てきます。つまり数学はエホ
バからもたらされイスラエル人を通して浸透されたと本は述べていますが、興味深い
点は「一神教」の教えは、はいかいいえの世界である点。それが数式となり方程式とな
り、罪は死となったと書かれています。それに引き換え仏教は数式に当てはめる事が
できません。罪イコール死とはならないと書かれている点です。特に日本人は和を好み
争いを避けたがる傾向があります。

思い当たる事がこれを読んで多くありました。ものみの塔の中は争いが多く、愛の組織というの
は表面だけで、あらゆる肉の業でひしめき合い、表ではいいことばかり言っているので
そのギャップがあまりにも大きく精神病にもなりやすく、又一人の絶対者のために奴
隷にいつもなれと言われ、それに伴う犠牲があまりにも大きかった点です。

最後に、ものみの塔の真理よりも多くの人がよいと思う事が実は正しいと言う点です。何十年
も何故、他の人がこんなすばらしい神を崇拝しないのかと思って来ましたが、結局、大多数の人
がエホバの証人を拒絶することは正しかった事です。 現エホバの証人の方も、もっ
と一般の人の意見も聞いてみたらどうですか。

《編集者より》
歴史の中で最も激しい宗教戦争は、ほとんどが一神教同士のものでした。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は、現代の西洋文明の源流となる三大宗教ですが、未だにお互いの争いが絶えません。しかも、この三つの宗教は源流をたどれば一つの一神教に帰結するわけで、良いことでも悪いことでも、全てヤーウェ神(エホバ神)の影響は未だに絶大と言えるでしょう。これに対して、あなたも書かれたように東洋の宗教は唯一絶対者を信仰するという伝統はありません。この違いは人類学的に見ると、牧畜放浪民族と農耕定着民族の文明の進化の違いに伴う宗教形態の違いと見られるかもしれません。いずれにしても、愛と平和を強調する限り、日本でもキリスト教を初めとする一神教は、仏教と並んで日本人を惹きつけるでしょうが、戒律主義、非寛容の一神教は日本人の気性に馴染まないと思います。その点でも、エホバの証人の「メイド・イン・ニューヨーク」の宗教を、日本に定着させようとして無理やり導入してきたことに無理があったのだと私は感じています。日本人は一般にアメリカ製に一時は魅惑されますが、その現実を見直したときに、やはり日本の良さを見直して、自分たちの文化を堅持する傾向があるのではないでしょうか。文化人類学的には、ものみの塔の世界制覇は、マクドナルドやアムウェイと同様、アメリカ文化の世界侵略と言う観点で見ることもできます。日本人がどこまでこれらのアメリカ文化を受け入れ、どこからは排除していくのか、興味を持って見ています。