ヘブライ語聖書の翻訳について

(9-6-02)

御貴殿のホームページの読者の広場の8/28付けで
「ヘブライ語とギリシャ語との相違に関する疑問」
と言うタイトルの方への、ご意見ですが。名前をだすのが
不適切と思われれば、伏せていただいて結構です
                      京都市  有本康夫

僕も少しヘブライ語の聖書を読んだ事がありますが、
創世記の最初の所の「神」はエロヒームと書かれています。
エロヒームは何と訳しましょう、素人が訳すとエル(神)の
複数系ですので、「神々」と訳しちゃうでしょうか。
ユダヤ教でもキリスト教でも、一神教を唱えている
ので「神々」などとは訳せないはずなんです、それで
キリスト教会では、複数形に表すことによって、「神」に
尊厳を込めた表現として、「神」と訳しています。
ところが、聖書学者の中にはP資料(創世記の最初の部分
の原資料)は、ユダヤのカナン神話の多神教の名残で
あって、「神々」と訳すのが、編者の意向に沿ってるのでは
ないかと考える人もいまして(創世記1/26の「我々」等も同じ)
のっけから、それも一番重要な「神」の表現からして、議論事
になりまして、それぞれの立場や教団の教義との絡みがある
ので、一般の方が「正確」さに徹した翻訳を求めるのは絶望的
だと思います。

カトリックとプロテスタントとで共同して翻訳した「新共同訳」は、
少なくとも特定の宗教団体の枠を越えて、お互いの客観性を
確認しながら翻訳したものとして評価すべきでしょう。
それと、旧約聖書の場合多くの聖書は、一度ギリシャ語に翻訳
された物をベースにしていますが、「新共同訳」編纂の時は
ユダヤ教のヘブライ語聖書も学者をチームに入れて検討した
様です、今の時点で安価で手に入り、比較的客観性の高い
のは、「新共同訳」だと思います。

《編集者より》
興味ある説だと思います。ありがとうございました。以前にも書きましたが、2000年以上の昔に、昔の言語で昔の信仰を書いたものを、現代の言葉で現代の頭脳で理解しようとするのですから、どんなに「正確」であることを主張したとしても、そこには限界があります。従って、何が何でも聖書を現代にそのまま当てはめようとする人々は、この限界を無視して結局自分の解釈を「聖典」とするしかないのです。ここに、ものみの塔協会を先頭とする、自分の解釈を「聖典」とする、数多くの宗派が次々に出てくるのだと思います。もし、神が聖書を現代の言葉で現代の観念を使って書き直したら、これらの多くの宗派はたちまち消滅するかもしれません。