「クリスチャンとの会話で」−元二世で無宗教の方より

(8-4-02)

初めまして。 
元JW二世で現在無信仰、無宗教の者です。 

この間、私が組織から離れた後で知り合った友人のお母さんとJWについて語り合いました。
友人がお母さんに、私が元JWであることを言ったら興味を示した様で、話をしたいとのこ
とですので、会いに行ってきました。
 (友人もお母さんも元JWで現在クリスチャンです) 

最初はお互い元JWとして組織の間違いや昔話で盛り上がっていました。 
しかし、あることを境に救いについての話へ進み、雲行きが怪しくなってきました。 
私が宗教自体に否定的ととれる発言をすると話し終える前に「そうじゃないの」と 
遮られてしまいます。 
広島会衆の話しをした際にも「でもね、あの元長老は決して救われないの。ものみの塔に
エホバの証人として抗議しただけだから。組織を離れただけでイエス様に本当の信仰を寄
せてないから永遠の滅びが待ってるの。気が付いてくれればいいんだけど」とか、また、
レイモンド・フランズ氏の話でも「彼は救われないわね。教会へ行ってないもの。聖書に
は集うように書いてあるのに」など、私にとって恐ろしい発言ばかりです。 
なにかというと「救いってなんだと思う?」「イエス様を信じなければ救われないのよ」
の繰り返しなのです。 


元JWとしてお話したいというから来たんです。キリスト教を布教してもらいに来た訳では
ありません。 
「JWやめても普通の無宗教者や別の宗教に行っては意味ないの。逆にそうなるくらいだっ
たらいい人多いし、JWにいた方がまだマシよ。結局永遠の滅びに向かうんだから」 
・・・正直、虫唾が走りました。 

また、ユダヤ、イスラムの同じ聖書を聖典としている兄弟宗教について聞くと、ユダヤに
関しては「傲慢な裏切り者」、イスラムは「聖書に付け足しをしてはならないという言葉
を無視してコーランを生み出した悪霊によるもの」等、排他的なところはJWと変りません。


私が自分を「知識だけで応用できない人間」と言うと、「頭がいいんだから役に立つわよ」
とおっしゃって下さったのですが、直後「将来クリスチャンになった時に多く人やJWを救
えるわよ」と言ってきたのです。 
私はクリスチャンどころか宗教者になるつもりは毛頭ないんです。 

なぜ私のような無宗教者を尊重して話しを進めてくれないのでしょうか。 
私の自分勝手な印象ですが、JWも正統キリスト教会も同じ穴のムジナに見えます。 

ひょっとしたらその友人のお母さんだけがカルト的な考えの持ち主で他はまっとう 
なのかもしれません。 
でも、どうしても納得がいかず、恐かったです。 
友人とそのお母さんが通っているのはもしかしたらカルトかも?と思ったのですが、 
聞いてみるといわゆる普通のプロテスタント教会でした(福音自由教会)。 

結局JWに限らず、キリスト教というのはこんなモノなんでしょうか? 
恐ろしくて宗教者に近づけません。 

元々私が離れた理由はJWに対して疑問があったというよりは、聖書を用いる一神教全体
に疑問を感じたまでで、私にとっては全ての一神教を信じる気にはなれないのです。

というか、幼少の頃から集会に連れて行かれてましたが、生まれてから今まで一度も
聖書の神を信じたこともなければ、イエス・キリストを信じたこともないのです。

しかしそんなことは恐ろしくて言うことも出来ませんでした。

《編集者より》
元エホバの証人の中には、この「友人のお母さん」という人のようにキリスト教の宗派に転向する人と、あなたのように無宗教になったり更に積極的な無神論者になる人もいます。私の経験では、宗教を鞍がえする人々はエホバの証人をやめても、どうしてもその根本的な心の態度というのは変わらない人が多いようです。この「友人のお母さん」という人は、そのような範疇に入る人ではないでしょうか。「キリスト教というのはこんなモノなんでしょうか」という質問には、人は千差万別としかお答えしようがありません。自由な物の見方や態度を容認する教派もたくさんありますし、同じ教派の中でも人により大きく異なる場合があります。一般に言って、エホバの証人から原理主義の傾向の強い教派に転向した人は、エホバの証人時代の態度と物の見方を保ち続けているように思います。

なお、レイモンド・フランズについて「彼は救われないわ。教会へ行ってないもの。聖書には集うように書いてあるのに」という発言は一部正確ではありません。確かに彼はどこの教会にも属していませんし、教会へも定期的には行っていません。しかし、彼は家で家庭聖書研究の集まりを毎週欠かさずにやっています。これはほんの数人の小さなグループですが、聖書に書かれている一世紀当時の一般の家庭で行なわれていた形に近いそうです。