「本当の聖書がわからない」

(7-29-02)

「あたらしい聖書理解」(2-14-02) ーでの方が得られた理解を是非知りたいです。
つまりは、エホバでは理解できないことがわかったんですよね?
是非是非、教えてください!

初めまして。私自身、今の気持ちにあった題名に惹かれて読みました。 ステフャノの叫びのところでエホバと主が・・・とありましたので、英語の聖書を開いてみました。 確かに、エホバと書いてある・・・・・・それはものみの塔の新約聖書だから! 「内にいる」と「結びついている」では、次の文の受け止め方が変わるんですね。 コリント 12:12ー21 、 は、会しゅうないでの、成員たちに当てはめていました。 そして、訳し方で随分と意味が変わるのだと知りました。 ただ、残念なことに。 どうすれば、本当の聖書の訳を知ることが出来るのでしょうか! 死海文書を調べるしかないのですか! 単に、「エホバ」という名が書かれているかいないかの違いだと思っていました。 こんな意見で申し訳ありません、ただ、それほど悲しく思えた。。。。。。という感想です。

《編集者より》
この投書は「求めたいもの−2」「求めたいもの」を投書して下さった方からの二つのメールを一緒にしたものです。「本当の聖書の訳」というものが存在するのか、これは難しい疑問です。まず、古代文書はどのように継承されたかによって書かれたものが違ってきますし、それを現代の言葉に置き換えるとすると、当時なかった言葉で当時の事柄を表す無理が生じます。そして日本語訳の場合には、全く構造も語彙も共通性のない言語に置き換えてしまっているのです。百人一首を英語に訳したのを読んでみたことがありますが、日本語の古文を少し勉強し、英語を現在日常で使っている人間から見ると、何とかけ離れたものが出来上がったのかとびっくりしました。確かに大まかな内容は翻訳で伝わってきますが、原著者の語感と言葉一つ一つの裏にある真意は、まず失われてしまいます。百人一首でこんな具合ですから、それより遥かに前に書かれた聖書の真意が現代人に伝わらなくても不思議はありません。その意味で私は、聖書の余り細かい解釈にこだわることには大きな意味がないと最近思うようになっています。聖書には幾つかの明白で大きなメッセージがあり、それだけは時代を超え、言語を超えて訴えるものがあり、それを読み取れれば聖書の解釈はそれでよいのではないでしょうか。なお、キリスト教ではプロテスタント系の宗派は共通の聖書を使っており、エホバの証人のように宗派独特の聖書というのはないと思います。