研究生と正式な証人とのあいだの本質的な違い

(7-11-02)


 JWの場合、時系列では聖書研究の延長線上に、バプテスマがあることは事実ですが
、研究生と正式な証人とのあいだには本質的な違いがあるのではないでしょうか。例え
ばダムに水が流れ込むと、水嵩が増してゆきますが、ある一線を超えるとダムが決壊し
て、それまでとはまるで違う状況が生じます。つまり量の変化から質の変化に移行する
のです。
 聖書研究生がどんなに聖書の知識を取り込んでも、また行状が改善されても、あるい
はJWの教義に感化されても、それは量的な変化にすぎません。逆に意地であろうが、
はずみであろうが、バプテスマを受けることは「ルビコン川を渡る」ことであり、まさ
しく質の変化が生じて、決して元には戻れません。
 そのために同じく組織を離れた場合でも、元研究生と元証人とでは、天と地ほどの差
があるのです。現役の証人にとって前者はまだ歓迎すべきシンパサイザーであり、後者
は忌み嫌うべき背教者なのです。つまりJWに関心を示さない人々や、JWに明白に反
対する世の人々を飛び越えて、最も憎むべき対象になってしまうのです。
 ですから個人的な当て推量になりますが、我が国の証人たちのあいだでは、中澤啓介
氏はかなり好かれているのではないでしょうか。その次に、村本氏や林俊宏氏が好かれ
ていて、草刈定雄氏やW・ウッド氏もやや好かれていると思います。しかし明石順三氏
や金沢司氏、R・フランズ氏には、(心の内では好きであっても)邪悪な男という烙印
が押されています。
 確かに始めから組織を離れるつもりで、バプテスマを受ける者はいないでしょうし、
損得勘定で献身するわけではないでしょう。しかし世界の中の600万人から邪悪な人
間として糾弾されるリスクを考慮することは、神から素晴らしい知恵を授かった人間と
しての、当然の行為ではないでしょうか。それとも神がしかる時に、「あなたはJWで
バプテスマを受けたから救ってあげよう」「だがおまえは研究生だから滅ぼすぞ」など
と審判するでしょうか。もしそう考えるなら、神をまるで「ものみの塔」のように狭量
な存在に引き摺り落とすことにはならないでしょうか。
 現役の研究生の皆さん。研究を続けるかどうか、集会に参加するかどうか、神権宣教
学校に入るかどうかは、致命的な問題ではありません。それらは私にとっても楽しい思
い出になっています。しかしバプテスマに関してだけは、慎重なうえにもなお慎重に判
断してください。                               
 最後にこのHPの更新をいつも心待ちにしている者として、大変な労力とは承知して
おりますが、ぜに継続してくださいますよう、村本様に心からの感謝とお願いを申し上
げます。余談ですが、「クレヨンしんちゃん」の作者の臼井儀人氏がエホバの証人と聞
いたのですが、本当でしょうか?。どなたか教えてください。
                    会衆の人たちが大好きな、元研究生より。

《編集者より》
バプテスマを受けるか受けないかの大きな違いを分かり易く解説していただきまして、ありがとうございます。3月29日のお便りで、あなたがバプテスマを受けなかったことがいかに幸いしたかという体験を書いて頂きましたが、非常に適切な助言であると思います。このサイトの継続ですが、読者の役に立つ限り細々とでも続けて行きたいと思っています。


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