「エホバの証人最高指導者の人生の軌跡とその信仰」を読んで

(6-19-02)

 私は、自称、唯一の神が選んだ唯一の組織であるというあの統治体の教義とやり方に
疑問を感じ、何年も前に組織を去った元エホバの証人です。
 
 「レイモンド・フランズ―エホバの証人最高指導者の人生の軌跡とその信仰」を読ま
せていただきました。大変参考になりました。とても作り話とは思えません。フランズ
氏は全然得をしておらず逆に大損しているのですから。読後の感想は「やはり辞めて正
解だった。」の一語に尽きます。以前から統治体に対しては何となくうさん臭い連中だ
と思っていました。やはり思っていた通りでした。もっと早くこの事を知っていればあ
んな宗教に入信することもなかったのにと悔やまれてなりません。完全に騙されました
。「兵役回避」に関してダブル・スタンダード「二重の物差し」を使っていたとは驚き
ました。と言うより呆れました。これが唯一の神により選ばれた唯一の組織がする事で
しょうか?単なる人間が作り上げたどこにでもある一つの宗教組織にすぎません。それ
もかなりたちが悪い。そもそも統治体の連中がろくに聖書を研究していないというのが
一番の驚きでした。
 
 彼らの集会では確かに献金箱は回って来ません。ただ箱が置かれているだけで自発的
な寄付に任せてはいます。でも私はよくこの寄付だけであんなに立派な建物や本部や支
部で働いている人、旅行する監督、及び宣教者の生活費が賄っていけるなとずっと不思
議に思っていました。エホバの証人の組織には特権階級がないことになっていますが、
私から見れば、信者たちからの寄付金で食べている上記の人たちが明らかに特権階級で
す(当事者たちはそう思っていないですが)。今思い返してみると信者が毎週買わされ布
教で家々に売って回らなければならない「ものみの塔」や「目覚めよ!」の雑誌、聖書
、その他の出版物にかなりの利益が含まれていて、配布すればするほど組織が儲かる仕
組みになっているのだと思います。一般の信者は紙代と印刷代だけだと聞かされていま
す。とても信じられません。間接的に分からないように寄付させているに違いありませ
ん。きっと税金対策のためでしょう。売り上げとなると税金を納めなければなりません
から。収支決算の報告を一般の信者にしないのも変です。その必要があるとも思ってい
ません。国連のNGOに登録していたのも税金対策のためだったのではと勘ぐっていま
す。統治体に「名前を『エホバの商人』に変えたら。」と言いたいです。本当の聖書研
究には聖書だけあれば十分なはずです。もっとも彼らのは研究ではなく一方的な教え込
みですけれども。自分で考えてはいけないのですから。そのくせ、「研究生には自分の
頭で考えさせることが必要です。」と矛盾した事を言っています。
 
 統治体は他の宗派や宗教を批判、と言うより、誹謗中傷し過ぎると思います。あれだ
け聞かされると、たとえ本当だったとしても、「もう止めて!」と叫びたくなります。
あれほど他の宗派や宗教を悪く言う宗教団体を私は他に知りません。それにどうして職
業や選挙での投票や大学への進学に関してまで指図するのでしょうか?そのような事は
各人が自分の良心に照らし合わせて自分で考え判断して決めることです。でもフランズ
氏の伝記を読み一つ思ったことがあります。最初は「統治体」など存在しなかったのに
、本来は自分で考え判断して決めなければならない事をいちいち協会本部に問い合わせ
た付和雷同の一般の信者にも非難されるべき点があると思います。そんな事をするから
自分たちが厳重に管理されることになったのです。統治体が勧めていない職業の一つに
警察官があります。なぜなのかさっぱり分かりません。社会の治安を守る仕事に就くこ
とのどこが悪いのでしょうか?又、仲間の信者が何か統治体の教えに反する事をしてい
るのを目撃した場合には、会衆の長老に報告(私に言わせれば密告)しなければならない
のも嫌でした。幸いにも私の場合はしなくて済みましたが。
 
 統治体だけではなく一般のエホバの証人たちの中にも嫌味たらしい事を平気で言う嫌
な人たちがいました。どれだけ集会に主席しどれだけ布教しているかによって仲間の信
者を判断し裁いているのですから。何らかの理由で二週間くらい集会に行かないともう
排斥者に対するのと同じように無視されました。彼らと一緒にいても愛など全然感じま
せんでした。彼らは自分で考えることをしなくなった、統治体に操られたロボット人間
です。フランズ氏の伝記の最後にものみの塔カナダ支部の広報担当者グラハムが「私た
ちは本部の指令を受ける訳ではありません。私たちの組織は非常に開放的で実に多様な
個性が許されているのですよ。」と語ったことが記されていますが、真実を言っていま
せん。あるいは本人が本当に知らないのかもしれません。各会衆は間違いなく本部から
支部を通して指令を受けています。あれほど独善的で排他的な人たちを見たことがあり
ません。エホバの証人以外の人間を屑だと思っています。あんな選民意識に浸った偏狭
な人たちに理想的な社会が建設できるとはとても思えません。復活することになってい
る大勢のエホバの証人ではなかった人たちを迎える準備もできていないでしょう。一流
企業に勤める旦那を持つ主婦が意外と多いのにも驚かされました。他に何もする事がな
くて暇なのでしょう。自分たちが宗教活動に専念できるのは一体誰のおかげか分かって
いるのでしょうか?
 
 「エホバの証人情報センター」の「読者の広場」に「エホバの証人の姉妹たちも人間
です」(静かなる嵐)という投書があります。そこに女性の服装に関する規定が書かれ
ていますが男性にもあります。ある時、カジュアルな服装(と言ってもセーターにスラ
ックス程度)で集会に行ったら、長老にワイシャツと背広とネクタイを着用するようそ
れとなく言われました。又、夏のひどく暑い日にネクタイなしで大会へ行ったら、たま
たま出くわした別の長老に嫌みったらしく「ネクタイは?」と言われました。オフィス
へ働きに行くわけではあるまいし、どうしてそんな格好をしなければならないのでしょ
うか?エホバの証人を辞めた後に普通の教会へ行ってみた時、皆さんがカジュアルな服
装をしているのを見てびっくりしました。でもこれが普通だと思いました。スーツの着
用を義務付ける方がどうかしています。統治体によるとハルマゲドン後の将来、人々は
全員ヘブライ語(古代?)を話すことになっているそうです。その時、服装はどうする
のでしょう。「そんなに何でもかんでもユダヤ風になるならイギリス人が考案したスー
ツではなく古代ユダヤ人が着ていた服でも着れば!」と言いたいです。
 又、同じ投書の中に以下の記述があります。

べテル奉仕者がどのように若い姉妹たちをみているかひとつの話を紹介する。
あるべテル奉仕者はこう言った。「結婚相手の条件は、新しい体制に入ったら、妻の性
格は直っても容姿は変わらない。だから結婚相手は容姿端麗に限る」。べテル奉仕者の
兄弟はどこに行っても歓迎され、若い姉妹たちの熱い視線を浴びる。しかし彼等の目は
霊性では無く外見である。
この記事を読んで唖然としました。これでは彼らが軽蔑しているこの世の人たちと何ら
変わりません。いや、それ以下です。こんな奴らのために雑誌等を通して寄付された金
銭が使われていたのかと思うと本当に嫌になります。その分を孤児院かどこかに寄付す
ればよかったです。
 
 又、同じ「読者の広場」に「『エホバの証人やめれ』―『エホバ』の名前について」
という投書があります。投稿者は神の正しい名前は「エホバ」ではなく「ヤハウェ」な
いし「ヤーベ」なのだから、そのどちらかを用いるべきであると主張しています。しか
し私は彼らに正しい名前を使ってもらいたくありません。今のまま、誤読の「エホバ」
を使い続けてもらいたいです。そうすることによって彼らがどういう人たちかが分かり
ますから。それに私は「エホバの証人」という名称もおかしいと思います。どうして人
間が見えない神の証人になりえるのでしょうか?もしあえて言うなら「イエスの証人」
だと思います。実際イエス様は復活されて使徒たちに顕現されたのですから。
 
 エホバの証人たち(正確には統治体)は自分たちの布教活動のことを奉仕と言います
が、どうしてでしょうか?奉仕と言うのは他人のために尽くすことなのに。彼らが布教
するのはあくまで自分のためです。ハルマゲドンを生き残り永遠の命をもらえるよう、
つまり、エホバから是認を受けるためにしています。だから奉仕ではありません。ただ
の活動です。何であれ自分のためにする事は奉仕ではありません。大体どうして一般の
信者が布教しなければならないのでしょうか?世俗の仕事をしなくて済むように生活が
保証されている宣教者がする事です。一般の信者が布教するなら宣教者など要りません
。さらに言えば、彼らのは布教ではなく、自分たちの組織に属さなければ滅びるという
脅し付きの勧誘です。
 
 私が聖書に関心を持ったのは、やはり、すさんだこの世の中が嫌でたまらなかったか
らです。永遠の命の事は眼中にありませんでした。ただ汚職や賄賂などの不正や戦争や
飢餓などの惨事がなくなってくれればよいと思ったからです。エホバの証人に会ったの
がちょうど理想に燃えやすい大学生の時だったのでつい引き込まれてしまいました。で
も大学は辞めずきちんと卒業しました。専門職に就くのに専門的な知識を身に付ける事
が悪いとは思っていませんでしたから(うるさく辞めるべきだと言う阿呆がいましたが
)。最初からこの組織には向かなかったのでしょう。今でも理想郷を夢見ることは止め
ていません。それを止めたら生きている意味が無くなってしまいますから。
 
 私がエホバの証人を辞められた理由を自分なりに分析してみました。主な理由は次の
二つだと思います。
 1. 私にとって永遠の命は一番の関心事ではない。私にとって一番の関心事は、既に
述べましたように、汚職や賄賂などの不正や戦争や飢餓などの惨事がない社会の実現で
す。永遠の命は二の次です。村本さん、一つ参考に教えていただけますか。このような
考えを持っている人がそもそもクリスチャンになるのは間違っているのでしょうか?私
は時々、エホバの証人に限らず、たいていの人は自分の永遠の命のためにクリスチャン
になるのであって、永遠の命という報酬がなければならないのではないかと訝ります。
つまり、永遠の命という報酬がなければ何もしないのではと思うのです。そうなると神
様やイエス・キリストが永遠の命を得るための道具に過ぎないことになります。これっ
て本当の信仰と言えるでしょうか?単なるご利益宗教であり、極めて次元の低い信仰だ
と思います。鼻の下に人参をぶら下げられた馬と同じです。特に、教会へ行くことが救
いに到る絶対条件であると思っている人にこういう考えを持っている人が多いように思
えます。
 2. 生来、大企業のような組織が大嫌いである。「じゃ、どうして入信したのか?」
とお聞きになるかもしれません。私自身バプテスマを受けてからしばらくはこれ程まで
に組織化された宗教団体だとは知りませんでした。バプテスマを受ける前の討議でも「
ものみの塔聖書冊子協会」の事は詳しく教えられません。ただエホバの証人たちのため
に雑誌や聖書や出版物を発行している法人組織だとしか教えられません。これも変だと
思います。恐らく意図的に教えないのでしょう。いつだったかまだ私が辞める前に「目
覚めよ!」に「大企業」の事が特集記事として載っていたことがあります。詳しい内容
は忘れましたが、大企業に批判的な内容だったような気がします。でも私はエホバの証
人の組織こそ大企業そのものだと思います。なぜならわずか12人かそこらで構成され
る統治体が世界中にいる幾百万と言う信者を管理しているのですから。この方法は何か
の体制に極めて酷似しています。勘のいい人ならすぐに気が付くはずです。
 
 村本さんは以前エホバの証人であったわけではないようですが、よく自分が関わった
こともない宗教組織についてこれだけ研究なさいました。感謝いたします。私は、フラ
ンズ氏と同様に、今はどの宗派にも属していませんし、どの教会にも通っていません。
もう宗教組織は懲り懲りです。真面目に働き、定期的に聖書(「ものみの塔」が発行して
いる「新世界訳」ではなく、「日本聖書協会」が発行している「新共同訳」)を読んで正
しい生活をし、イエス様が言われた「自分にして欲しい事を他人にもしましょう。」の
教えを守るよう努めています。又、悩み苦しんでいる人に出会った時は福音書を読むよ
うに勧めます。これ以上の事はしたくありません。確かに聖書の記述には理解できない
箇所もたくさんあります(特に最後の「啓示の書」)。でも私には分からないままで結
構です。それを解説してくれる仲介者など必要ありません。どうせ統治体の連中だって
聖書すべてを本当に正しく読解しているわけではないのですから。それが証拠に今まで
に何回も教義(特に予言に関して)が変わっています。
 
 不幸なことに、私にとって時々、神様とイエス・キリストが統治体と重なり、神様も
イエス・キリストも嫌いだと思ってしまうことがあります。何しろ統治体の命令はエホ
バからイエスのルートを辿って出ているとさんざん教え込まれたのですから。思い出す
だけでむかむかします。元エホバの証人の中にも同じように思ってしまう人が他にもい
るのではと危惧します。恐らくエホバの証人のせいでイエス・キリストが嫌いになった
人もいるでしょう。とても残念な事だと言わざるをえません。福音書を読むとイエス・
キリストが組織など重視していなかったことがよく分かります。そんな事は考えてすら
いなかったと思います。又、統治体がイエス・キリストとの個人的な関係を築くことが
最も大事であることを強調していないのも変だと思います。新約聖書を読むとその事が
いかに大事であるかがよく分かります。これも統治体がイエス・キリストとの関係より
も組織との関係を重視している証拠だと言えます。「イエス・キリストとの個人的な関
係よりも組織との関係の方が重要である。」と言っているようにさえ聞こえます。いや
、実際に言っています。又、トマスが復活したイエス・キリストを見て「私の神!」と
言ったのは、驚いた時に英米人がよく発する“My God!”に相当するものだと言っ
ていますが、これも矛盾しています。なぜなら驚いた時などに“My God!”と言う
のは神の名をみだりに用いることに相当すると彼らはふだん教えているからです。
 
 「ものみの塔」(エホバの証人)も最初は既存のキリスト教会に満足せず、純粋に聖書
を研究し始めた人たちだったのかもしれません。しかし今ではイエス様が地上におられ
た当時のファリサイ派のようになってしまっています。私は現役のエホバの証人(特に
平信徒)にこのフランズ氏に関する伝記を読み、今一度、自分が属している組織が本当
に唯一の神がお選びになった唯一の組織かどうか考えてみることを勧めます。もっとも
排斥された者が書いた本は一切読まないよう統治体から指示されているので彼らが読む
可能性は低いでしょうけれど。又、騙されたと思って、一度、普通のキリスト教の教会
にも行ってみることを勧めます。もっともこれも普通のキリスト教世界は悪魔によって
支配されていると信じ込まされているので彼らが行くことは難しいでしょう。私も幾つ
かの教会に行ってみましたが、真面目で信仰の厚い誠実な人たちばかりだったので本当
に驚きました。決して統治体が言うように罪や不道徳で満ちてはいません。一体、統治
体は何を持ってそんな事を言うのでしょう。中には問題を起こす人がいるかもしれませ
ん。でもそれはエホバの証人でも同じ事です。教会として間違った指導をしたことがあ
るかもしれません。統治体も同じです。私がまだ組織にいた時から抱いている疑問があ
ります。天へ行くことになっている統治体の連中が全員、天へ行った後は一体誰が統治
するのでしょうか?この事もよく考えてみることを勧めます。そうすればイエス・キリ
ストが考えていた理想の社会がどのようなものかが見えてくるはずです。まさに「目覚
めよ!」です。
 
 人間社会がうまく行かない最も大きな理由は多くの人間が持っている次の二つの欲望
のせいだと思います。それは権力欲と貪欲です。ジョージ・オーウェルの「動物農場」
と「1984年」を読んだ時に私はそう確信しました。誰かが人間のためにどんなに完
璧な社会制度を考案したとしても、この二つの欲望を持っている人間が一人でもいる限
りうまく行かないでしょう。村本さんはどう思われますか?
 
 忙しい時間を割き最後まで私の手紙を読んでくださった村本さんに心から感謝いたし
ます。村本さんはとても平衡の取れた物の見方ができるお方です。村本さんに神のご加
護がいつもありますように!
 
トマス

《編集者より》
先ず、私の見過ごしのために掲載とお返事が三ヶ月も遅れたことを深くお詫び申し上げます。大変詳しくご自分の考えを整理しておられて、感心しました。クリスチャンになることの動機ですが、永遠の命や地上の楽園を求めてご利益宗教としてキリスト教入る人は現実に沢山いますし、あなたのように社会変革や理想や道理を目指して入る人もいます。別にどれが正しく、どれが間違っているとは言えないと思いますが、もう一つの大きな動機は、実存的宗教体験でしょう。これは端的に言えば、パウロがイエスによって改宗した時の体験に象徴されるでしょう。人生の紆余曲折の中で、ある人々は理屈でもご利益でもない特有の心の動きによって宗教に入ったりクリスチャンになったりします。これを「calling」と言うこともできますし、日本の表現で言えば「悟り」とも言えるかもしれません。この体験を経た人は、私の経験では人間的に強く、心の充実と安泰と希望とを、他人や「組織」に頼らずに自分で作ることのできる人です。私はこのような体験をした人はエホバの証人の中には非常に数が少ないのではないかと思います。エホバの証人の動機の多くは、あなたの言うように「ご利益」か「道理」だからです。これは宗教によらなくとも得ることはできますので、特有の宗教体験は必要ないのです。理屈を納得して、知識として覚えて、それを実行すること、それによってご利益にせよ、理想社会(地上の楽園)にせよ結果が生まれる、これがエホバの証人のような宗教になります。しかし、別の宗教には全く別の体験が存在することを認識する必要があるでしょう。

それから完ぺきな社会制度ですが、私はそんなものはあり得ないと思います。それを目指すことは必要ですが、それが実現しないからと言って絶望することはありませんし、怒る必要もありません。人間が不完全なように、人間社会も常に不完全であるのは当然で、それはそれとして受け入れたいと思います。そして不完全なものでも実にいいものがあることを発見して生きていきたいと思います。甘いだけ一辺倒の食べ物は、苦いだけの食べ物と同じようにまずいものです。甘い中にすっぱみが入っていたり、少し苦味が利いてたりするものを人は美味しいと感じます。快晴の青空の日は「よい日」ですが、よい日がうれしいのは、嵐の日があるからです。嵐は「悪い日」かもしれせんが、必要な雨をもたらし、食物を育成します。そして晴れた日が来た時の喜びを増させます。私は悲劇のない「地上の楽園」は甘いだけで何の他の味も無いまずい食べ物、あるいは365日同じような天気の場所と同じであろうと思います。私はエホバの証人の描く「地上の楽園」に何の魅力も感じません。人類の歴史は常に悲劇から免れることはありませんでしたが、そのことが人に努力をさせ、希望を与え、喜びの源にもなってきました。つまり苦味があるからこそ、甘味の美味しさがわかるのです。幸か不幸か、人間がどんなに努力してもこの世の中から悲劇は決してなくならないと思います(この点だけはエホバの証人の教えと何と一致しています)ので、今後も甘味を引き立たせる苦味がなくて困ることはないでしょう。