「エホバの証人にとって愛する人の死とは・・・」

(5-31-02)


いつも拝見させて頂いています。何度かお便りをさせていただいている現役の長老と開拓者の
立場を保っている者です。つい先日に仲間の兄弟(長老)がガンのためこの世を去りました。
そのご家族は、神権家族で奥様・成人した子供の構成です。私が驚きと悲しみを隠せないのは
遺体を前にした奥様が悲しみを見せながらも、主人は立派だった、無理をしても奉仕・集会に
行き、死ぬ間際も親族に証言して勉強する約束をして組織に愛する親族を導いた!!と語り
ました。 無理をしなければ、もう少し生きられたと思います。死ぬ間際の人間に願い事を
されれば、聞き入れるでしょう・・・ 真理を全うする生き方には敬服します。しかし、もっと
命の大切さを考えるなら無理を承知で働くのが正しいのか?否か?理解に苦しみます。
また、ご家族は、命が無い体は物にすぎないですから・・と言いその日の晩に集会に出席
しました。遺体を置いてです。確かに考え方は正しいでしょう。でも愛する家族なら、遺体から
離れて集会に参加して、皆の愛に支えられた!と言い、やはり何があっても集会の出席は
欠かしてはいけないんですね・・・と言えるでしょうか? 形が無くなるまで側に居たいと
思わないのでしょうか?復活が有るから悲しまない!と言えるのでしょうか?
私の信仰が足らないのか?客観的な見方をするので理解に苦しむのか?人の死に対して
素直で無い気がしてなりません・・・・
賛美の歌には力がある・・・兄弟の周りで大勢で歌ったから危篤状態から元気を取り戻し
持ち直した・・やはりエホバですね!と笑顔で語ったある長老の言葉・・忘れられません・・・
その後、たった数時間で息を引き取ったのですから・・・・・・・・・・・・
今の現代では神は奇跡を起こされないと組織は資料で語っているのに・・人の死に際でも
都合が良いように研究生や子供に語る。そんな死の見方が 私には悲しい・・・・

シリメツレツかも知れませんが正直な私の気持ちです。

《編集者より》
あなたがよくご存知の通り、エホバの証人の死に対する見方は、他の宗教と異なった特殊なもので、それが様々な言動に反映されてくると思います。この長老は恐らく非常に長い間エホバの証人をやってきたのでしょう。そのような証人たちは、ハルマゲドンは直ぐ目の前に迫っていると信じていましたから、健康に注意して長生きをしようなどとは考えたことはないでしょう。健康保険も生命保険も老後の年金も考えずに、奉仕に明け暮れれば、病気で早く死ぬことも不思議ではありません。死後は復活があるから悲しまないはずですが、その復活はハルマゲドンが来るまでお預けですし、そのハルマゲドンも最近の教義の変更で何時来るか分からない状態ですから、死後の無の状態も無制限に続く可能性があります。他の宗教では死後の魂を信じることが多く、死後直ぐに天でキリストと一緒になるという希望を信じている人々は、死に対する恐怖と悲しみはそれほど強くはありません。これに対し、エホバの証人は死後の無の状態が限りなく先延ばしにされる可能性を知っていますから、明るい希望を持てるはずもありません。そのことは、エホバの証人一般の死への恐怖をより強いものにしていると思います。 しかしその一方でエホバの証人の建前は、まもなく来る地上の楽園での復活を信じて、死を悲しんだり恐れたりしないはずですので、ここにまたエホバの証人に数多くある「本音と建前の乖離」が生じるのです。これがあなたの観察した、人間らしい自然の感情を押し殺して建前で振舞うエホバの証人たちの悲しい実態なのではないでしょうか。


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