「一部の二世兄弟たちへの個人的批判」−不活発な二世より

(5-4-02)

エホバの証人は人を精神面で破壊する宗教だと感じた。
不活発になってふつうに働くようになってそう思った。一部の二世の人たちは、とく
に二世の兄弟(男性)たちは社会人としてはインポテンツであると感じた。
小さな例をいうと、年長の人を敬わない。年長であっても奉仕の特権がない男性がい
ても、奉仕の最中の待合時間に車の中で車関係の雑誌を広げて読んでいる。しかし長
老の立場の男性がいると一転してすごくまじめに振舞う。これでも十分に組織内では
通用する。なぜなら、苦労し、不断の努力を払って実際的な成果を上げなくても、再
訪問や研究(といっても出版物の内容を自動的になぞるだけの非思考的作業、しかも
訪問先の玄関でブローシュアーの数節を質問と答えで終わらせれば研究とみなされ
る)の数字だけ稼いでいれば、「立派な奉仕」として評価されるからだ。
一部の、ホントに一部の二世の男性は若い自分からそのようにして「仕事」をする。
仕事に誠実に取り組むことや、ある一定の成果を生み出すために苦しい努力を重ねる
ということを疎む。表面上の数字だけ稼いでいればちやほやされてきたから。私も二
世の男子だが、エホバの証人の人たちは「人のよい」人物は多いが、仕事に対して誠
実な人はなかなかいないと思っていた。私の知る「かつて兄弟」は仕事に対して誠実
だった。そのために凄まじい妬みを買い、凄まじい反発の仕打ちのために鬱病に陥
り、組織から離れた。まともに仕事をする人はむしろ反発を買うのだ。
すべての会衆でこのようなことが日常的に起きているなどとは言わない。むしろこれ
は特殊なケースだと思う。しかし特殊なケースを生み出す土壌は共通して存在してい
るのではないだろうか。すなわち報告用紙を記名入りで提出する義務、数字だけで人
格までが格付けられるという仕組みが人格の形成に実際に作用を及ぼしていること
だ。
一部の二世の人たちのように、エホバの証人の長老たち以外の人への無礼きわまる精
神態度に本人たちは何の悪びれた感想ももっていないのを見てこのように思った。実
際の奉仕内容は休憩やおしゃべりや、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして時間を
潰して水増しされたものなのに(実際そのようにしなければ月90時間‐70時間の
要求は満たせない。区域には限界があるからだ)、中身はともかくそこに書き記され
た数字で人間が評価されるので、真の創造的な努力には関心が向けられない。ただ長
老たちに評価してもらうための表面的な取り繕いだけやってればよいという考え方
だ。エホバの証人が価値ある人助けの仕事と思い込んでいる奉仕活動は創造的な教育
活動とは呼べない代物だ。彼らはむしろ仕事で労苦しないで、遊ぶこと、楽しむこと
に生きがいを見出しているように思う。このようなことでは社会では通用しない。単
純事務作業や単純肉体労働や単純工場内作業ならともかく、営業開発、製品企画開発
などの真に創造的な仕事の現場ではここで私が批判した一部の二世の男性は無能な人
材、いや人間以下の存在、快楽に思うことしか行わない野獣のような生き物としか評
価されないだろう。

《編集者より》
核心をついたエホバの証人への批判であると思います。確かに全てのエホバの証人がこのように、無能、無思考であるわけではありませんが、ものみの塔の組織の教えと体質がこのような人々を大量に作り上げているのです。個人の独創性を押し潰した組織第一の教え、独創性を持った人生設計を押し潰す「終わりの日」とハルマゲドンの教えなど、ものみの塔の教えは人間の健全な精神の成長をはばむ「毒物」であると私は痛感しています。