「何に希望をもてばよいのかわからなくなっています」−現役証人より

(4-17-02)

こんにちわ私は1年ほど前にものみの塔でバプテスマを受けエホバの証人となったものです。
私はものみの塔でこの地を創造されたエホバ神を知り、悪魔サタンを知り、神の愛、人間の生き方、また
最大の希望である地上でのとこしえの命について学びました。それらは私にとって本当にすばらしい
教えであると思えました。その一方で、教理の中には疑問に思う点がいくつかありました。
でも、どこの宗教でも完全に納得のいく答えの出せる宗教はないのだからと思い、その疑問をうやむやに
してきました。そしてバプテスマを受けましたが、エホバの証人になってから研究生の頃にはあまり
よく知らなかった組織のことがわかりだすにつれ、今までうやむやにしてきた疑念が強くなってきました。
編集者さまもご存知のとおり、ものみの塔では背教者との接触や批判的な記事等を読むことを強く禁じて
いるので、このHPをひらくのにもすごく勇気がいりました。ものみの塔が禁じていることをすることは
エホバの教えに反することになると思うと悩みました。でも私が学んだ、愛と知恵に富むエホバ神なら
きっと今の私の心境を理解してくださるにちがいないと考え、エホバによく祈り、自分の疑問としていたことの答えを探しました。
このサイトをいろいろ見て、はじめはすごくショックでした。ものみの塔で教えられているように、私の信仰の
弱みにサタンが入り込んで罠に陥らせようとしているとも感じました。
でも、私がものみの塔の教理に感じていた疑問の答えがサイトに記載されていてそれは私を納得させる
ものでした。ものみの塔の教理の一部を否定するということは、「教理全体」に対する疑念を持たざるを得
なくなってきます。ものみの塔では神が人間をお造りになった目的とは、人間が神を崇拝しつつ地上で永遠
の命をもって幸せに暮らすことだと学びました。私は神の教えを守り行う報いとして与えられる地上の楽園
で愛する家族と共に暮らせることを最大の希望とし、切望してきました。私はものみの塔の教理しか知りま
せんし、聖書の知識もまだまだですが、神は存在されて、聖書も神からの贈り物だと思っています。
もし、ものみの塔の教理がおかしいのであれば、神は何を目的として人間を造られたのでしょうか。
また、永遠に生きるという希望がないのであれば、なぜ人間の本能に「死への恐れ」を植え込まれたのでし
ょうか。また不完全である人間は何に希望をもてばよいのでしょう・・
私は今は他の協会へ行くつもりはありませんが、今の気持ちのままものみの塔にとどまっているわけにも
いかないと思っています。
聖書の中でイエスは「集まりあうことをやめたりせず」といわれましたが、では集まり合うことをやめないため
にはどうすればよいのでしょう。
集会にも行かず、ただ日々の生活の中で個人的に聖書を読んだとしても知識の浅い私にとって信仰として
心に深くはいるのかわかりません。
このようなことは、兄弟姉妹には相談できませんし、夫も未信者なので理解してもらえません。今は自分で
もどうすればよいのかわかりません。何に希望をもってよいのかわからなくなっています・・。

《編集者より》
まず、自分の宗教を別の見方から研究する決意をされた、あなたの勇気に心から賞賛と敬意を表します。これが出来る勇気を持ったエホバの証人は多くはありません。あなたの質問に満足の行く答えができるかどうか自身がありませんが、出来る限りでお答え致します。

「ものみの塔の教理がおかしいのであれば、神は何を目的として人間を造られたのでしょうか」の質問ですが、私はわかりません。神が何故7日の間に天と地と生き物と人間とを順番に創る必要があったのか、聖書には答えは書いてありませんので、多くの宗教指導者が様々な理由をつけていますが、私はみな手前味噌の勝手な解釈だと思います。あなたは、「ものみの塔では神が人間をお造りになった目的とは、人間が神を崇拝しつつ地上で永遠の命をもって幸せに暮らすことだと学びました」と書かれていますが、もしそれだけ人間を愛しているエホバが、ハルマゲドンで世界人口の99%(エホバを受け入れない人々、すなわちものみの塔の勧誘を拒否した人々)を滅ぼして、ものみの塔のようなお粗末な団体の会員であることを地上での生存の条件にしたのか、全く理解できません。

私はあなたの質問に対する答えを知りませんが、逆に私のあなたへの質問は、なぜ神が人間を造った目的を知る必要があるのでしょうか。私はその目的を知りませんし、知らなくて全く困っていませんので、知りたいとも思いませんが、あなたはどうしてそれを知りたいのでしょうか。このように逆に質問すると、何か投げやりの無責任な答えに聞こえるかも知れませんが、私はこの世の中に分からないことが山ほどあることを知っていますので、正直に私の気持ちをお知らせしたまでです。たとえば、今から10年後に自分は何をしているか、生きているのか死んでいるのか、宇宙が出来る前に何があったのか、今から10億年後に地球と人類は存在するか、等々、面白い想像ではありますが、その答えが分からなくて悩むことはないと思います。知らなくて当然なのですから。

「永遠に生きるという希望がないのであれば、なぜ人間の本能に『死への恐れ』を植え込まれたのでしょうか」の質問ですが、「死への恐れ」は生存本能といって人間だけでなく、全ての生物に共通して組み込まれている基本的な生物機能です。それがあるために、全ての生き物は死の危険を避け、出来る限り健康に生きようとするのです。この機能がなくなれば、その生物は死に絶えます。人間でもこの本能のお蔭で、人の寿命は長くなり、人口は増え続けています。もちろん個人個人の人間は寿命が来れば死にますが、種としての人間は、既に百万年近く生き続けています。これは永遠ではありませんが、非常に長い寿命であり、今後も人が自分たちの命と健康を大事にしていく限り、更に長く生き続けることができるでしょう。なお、「死への恐れ」は年齢によって変わっていきます。あなたが何歳か分かりませんが、若い時代には一般に「死への恐れ」は強いものですが、あなたが老齢になって自然の寿命が近づくと、この恐怖は軽減します。この事実自体、人間は個人として永遠に生きるように作られたものではなく、寿命が来たら自然に次の世代と交代するように作られていることを意味していると私は思っています。ただし、種としては人間は非常に長く生きられるように造られています。

「不完全である人間は何に希望をもてばよいのでしょう」という疑問ですが、これは人によって、また時と状況によって全て答えが違いますし、違うべきであると思います。私の希望は子供の時と、大人になってからとでは違いますし、10年前と今とでも少し違っています。全ての人に一律の希望と目的を持たせることは、非常に不自然で無理があり、第二次世界大戦の時代の日本で理想社会と考えられた大東亜共栄圏や、ものみの塔が信者に希望と目標とさせている「地上の楽園での永遠の命」もそうですが、個人の自由な意志と希望を無視して組織の全員を一致させる政略でしかないと私は思っています。あなたがどのような状況にあるのか分かりませんが、その人その人によっていくらでも希望と目標は出てくるものです。希望は誰かがお皿にのっけて目の前に持ってきてくれるものではありません。あなたが自分の毎日の生活の中で見つけるものです。ものみの塔があなたの目につけたうろこを取り除いて、自分で考え自分で調べる習慣を身につけると、身の回りの中から新たな希望と目標が見つかってくると思います。

最後の「集まり合うことをやめないためにはどうすればよいのでしょう」という質問は、ものみの塔を出た元エホバの証人が頻回に突き当たる疑問です。これに関しては、以前に同じような質問をされた方にお答えしたもの(「理解できました、ではどうすればいいのでしょう」−ものみの塔の3つの命令がありますので、それを参照して下さい。また「集まり」の形式も内容も時代によって変化しますので、色々な人と色々な形で交流することは誰でもできることではないでしょうか。