「集会行ってませんが、まだやめていない証人です」

(4-9-02)

以前から見せていただいてはおりましたが、本日はじめて投稿いたします。
「手ずから働き,静かに生活する匿名証人さん」のご意見を拝見し、
うれしくなってしまいました。私の考えていた事をスパッと言い切って下さって
スカッとしちゃいました。
 集会、本当に多すぎです。わたしはかれこれ1年ほど集会をご無沙汰しておりますが、
ある日、自分がまるでよい内申書を書いてもらう為に必死で校内掃除やボランティアに
精を出す中学生のように思えてきたのです。報いばかり求めていたのですね。
 次々と迫り来る予定に追い立てられていて、幸福感のなかったこと・・・。
たまにぼーっとしていると、罪悪感にさいなまれます。
 自分の動機を振り返る暇もなく、子供の顔色さえじっくり見てやる時間が
ありませんでした。
それが今は、集会に行かなくても幸福感に満たされています。あの地獄のよ
うな生活を知っているので余計幸福な気分になれます。
 ところで、私たちはそんなに頻繁に集る必要があるのでしょうか?聖書を
読むのならいざ知らず、次々手を変え品を変えた、しかも時には聖書から逸
脱した文章をそんなにありがたそうに
学ばねばならないのでしょうか?
何を犠牲にしても、人間らしい暮らしを犠牲にしてまで集まりあってどうし
ようと言うのでしょうか?
 確かに今、多くの弊害が出ています。過労死をする長老、うつ病になる若
者(特に2世)
蓄えをしてこなかったために困り抜いている家族。(いわゆる)世の人以上
に問題を抱えているのです。
 それが宗教ゆえの迫害に苦しんでいるのならば格好もつきますが、そうで
はなく、組織の言う事を鵜呑みにして自分の頭で考えずにやってきたことの
しっぺがえしに苦しんでいるのです。
 私たちは、エホバが求めておられる事、公正を愛し、親切を行い、慎みを
もって神と共に歩む事で充分なんではないでしょうか?それには本当に多く
のことが含まれると思いますが。
それは家にいてもできることです。いや、むしろ、追い立てられずに自分で
考えながら生きていてこそできることだと思います。     

《編集者より》
あなたの文面からみますと、「まだやめていない証人です」とは言っても、心のなかでは既に組織を離れていると言っていいのではないでしょうか。集会に行かなくなって、幸福感を味わっているそうですが、会衆からの圧力はありませんか。証人をやめない理由は色々あると思います。今後の身の振り方を慎重に考えてください。