「自分の声を失わないで!」−「青春を組織にささげた元特別開拓者」

(4-6-02)


はじめてこのサイトを知りました。わたしはエホバの証人二世として20年近く組織
にいました。北海道の小さな町で開拓奉仕をしているとき、すっぱりと組織を出ま
した。26歳でした。ふるさとの神戸に帰る船の上から、それまでの伝道者カードを
海になげすてました。
  あれから25年、結婚し、子育てをするなかで、いろんなことに気づきました。
 
きょうは時間がないのでまたあらためてわたしの体験をお話ししたいと思います。

こんにちは。きのうこのサイトを知ったばかりの51歳の主婦です。 もとエホバの証人二世、今は排斥された者です。 私は母に連れられて小学校2年生のときからエホバの証人として集会に行き、伝道し 、中一で姉妹になり、大学進学をあきらめ、18歳で正規開拓者になり、19歳で特別 開拓者になり、岩手県の田舎の町に群れを設立し、次は正規開拓者として北海道に わたり、札幌で奉仕したあと、海のそばの小さな町でまたゼロから会衆を設立する ために働きました。 26歳のとき、生まれ故郷の神戸に帰り、すっぱりと組織から離れました。 その後、大学へはいり、結婚し、大学を卒業し、3人の子供を育て、今にいたってい ます。 これまでのことを文章に書いていくと一冊の本になってしまうでしょう。本当にい ろんなことがありました。 母はもう亡くなりました。姉は今も大阪のほうで正規開拓者をしています。音信不 通です。 「すっぱりと組織を離れた」私でしたが、すごく大きなトラウマが残っていました 。それは「自分の声をなくしている」ということです。小さい頃から、すべて組織 のいうままに考え、話し、行動する、という生き方しかしてこなかった私は、もの みの塔をはなれたあと、次の依存できる組織として、夫を選びました。「あなたが わたしの教祖よ」とか言って、すっかり夫を喜ばせたものです。「妻は夫に従え」 という聖書のことばもしっかりしみついていました。支配していたい夫はきっとよ い妻だと思ったことでしょう。大変おこりっぽい人で、いつもどなられたり、口を きいてもらえなかったりでしたが、私が悪いんだと、いつもあやまったりなだめた りする役でした。 しばらくは子供もうまず、画家になろうという夢を持って絵をかいていましたが、5 年目に長女が生まれ、絵はやすみました。 夫が望むままに、男の子が生まれるまでがんばって、39歳で3人めで長男がうまれま した。長男が幼稚園にはいったのを待って、絵を再開しようとした私に、夫は「こ どもが巣立ってからにしなさい」と命じました。下の子が大人になるのを待つと私 は60歳を過ぎてしまいます。どうしても夫に従うことはできませんでした。そのこ とで夫婦はいつも緊張状態でした。たぶんそれが原因だと思いますが、長女がうま く思春期を乗り越えられず、摂食障害になり、高校も中退し、今は家を出ていって しまっています。 夫とは今、別居状態です。どうしたら良い関係になれるのか、わかりません。自分 の声を失っていたことに気づいた私が、自分らしく生きていくということは、以前 の私とは変わってしまうことです。変わった私を受け入れてくれる決心を夫がして くれて、新しい私と新しい関係を築こうとしてくれない限り、夫婦としてやり直す のは無理でしょう。 組織のなかで育った私は後遺症で大事な家庭もなくしそうです。 でもまだこれから修正することはできると信じています。 編集者さん、あなたの投稿者さんへのコメントにはほんとうに励まされました。涙 がこぼれました。失った青春を惜しむ気持ちは今もすごくあります。それにもまし て、脱退したあともずっと自分の声を失っていたということがとてもつらいです。 きょうは時間がなくなってしまいました。また書きます。 なぜやめられたか、とかね。 ありがとう。
こんにちは。きのう初めてこのサイトを知りました。私は51歳、主婦、元エホバの 証人二世、特別開拓者まで経験しましたが、今は排斥されているようです。 私が伝道を始めたのは昭和33年ごろ、小学生でした。バプテスマは中一。高校を出 て、大学は許してもらえず、正規開拓者になり、20歳で特別開拓者、小さな町で会 衆を設立するために青春のすべてを費やしました。母の自慢の娘でした。 そんな私は本当はいつも心の中で、何か違う、これは本当に私の生き方ではない、 と思い続けていました。エホバの証人だけが正しいなんて、どうしても思えない、 そういう気持ちをひたすら奉仕に忙しくすることで何とかふたをしていたのでした 。だってその世界が私の唯一の居場所で、組織にしか友達もなく、そこを出てひと りで生きていける自信がなかったのです。それに組織を離れることは即、死の道を 選ぶことです。母や姉やともだちを悲しませる勇気はありませんでした。 ある日、北海道の田舎の町で伝道にあけくれているわたしのところに、高校時代の 友達が訪ねて来ました。彼はなんと私に結婚しようと言ったのです。もちろん断り ました。未信者との結婚などもってのほかです。でも彼は何度も私に手紙をくれま した。どうしてそんなに私にかまうの?と尋ねたとき、君に広い世界を知らせてあ げたいからだと彼はつぶやきました。 そんな彼の言葉に心をゆさぶられ、本当の自分の心に気づかされ、証人をやめたの は26歳のときでした。北海道からふるさとの神戸に帰る船の上から、何枚もたまっ た伝道者カードを日本海に投げ捨てました。たくさんの時間を伝道に費やし、出版 物を販売し、再訪問し、研究を司会し、そういう数字が記録されているカードです 。 それからのわたしは失った青春を取り戻すべく、働き、勉強し、夜間大学に入り、 結婚し(あの彼ではない人です)、3人の子供を育てています。 めでたしめでたし?いいえ。エホバの証人の生活から被った後遺症はちょっとこわ いものでした。 結婚生活は表面は幸せでしたが、なんでも自分の思いどおりにしたい夫は、すぐに 怒る人で、いつもわたしはあやまり、彼の言うことに従っていました。妻は夫に従 えというのが聖書の教えとして私にしみこんでいました。いうことを聞いている限 り彼はよい夫でした。それはまるでものみの塔の組織のようなものです。知らない うちに私はつぎなる依存対象を求めていたのでした。自分の頭で考えず、だれかの いうことにはいはいと従っていることの安心感から卒業できてなかったのです。 長女が中学生のとき、精神的につまずいてしまい、私はある心療内科へ相談に行き ました。わたしの話を聞いた後、その精神科医は私に「あなたはいつから自分の声 をなくしているの?」と聞きました。私は夫を恐れて、自分の声を発していなかっ たのです。夫婦のひずみが娘を病気にさせていたのです。過去のトラウマから解放 されるために、私自身が治療をうけるように言われました。 結局、そこで治療をうけることで、こんどはその治療者に依存してしまいそうだっ たので、そこに通うのはやめましたが、その後、自分の声を出そうと努力したので すが、それが自己主張が強くなってわがままになってしまったとみえるのでしょう 、夫ともうまくやっていけなくなり、今は、別居中です。そもそも支配せずにはい られない人なのですから。ものみの塔といっしょ。 娘の摂食障害はだいぶ回復しましたが、高校もやめて、家を出ていってしまいまし た。今私はこれからのことを模索しています。でも証人をやめたことはいちども後 悔していません。 エホバの証人として人生を終えた母は、死ぬ前、何度も声をだして泣いていたそう です。娘にもう楽園で会えないと思ったからでしょうか、それとも娘の青春を無駄 にしてしまった自分を後悔したのしょうか、わかりません。組織は私を排斥処分に し、母は長老たちから私と話すことも禁じられていました。おいしいものを送って あげても送り返してきました。やさしい母だったのに・・・。一度孫たちに会わせ てあげたくて、家族で尋ねたときは、私だけ玄関の外で立って待っていました。母 の育てている朝顔がきれいで、涙がこぼれました。なんでこんな因果な宗教にいた のだろうとつくづく思いました。 もやもやしている二世の皆さんや証人の皆さんに、勇気を持って視野をひろげてみ てと言いたいです。 頭の中を白紙にして、組織の考えでない、自分の考え、自分の声を大事にしてくだ さい。自信を持ってください。組織を介さないで祈ってみてください。組織の色眼 鏡を通さないで聖書を読んでみてください。イエスの与えた希望は霊的なものです 。 私が「導いて」エホバの証人にしてしまった方々、ごめんなさい。とくに渡辺くん 、高校生だったあなたの人生がすごく気にかかっています。 きょうはこれくらいにしておきます。読んでくださってありがとう。 村本さん、わたしがここに投稿しようと思ったのはあなたのコメントがとても暖か かったからです。今まで、エホバ?ふん、やりたい人はやってれば?視野のせまい 幸せに浸ってれば?というかんじでいたのですが、あなたのコメントを読んでいる うちに、何か書きたいと思ってしまいました。なんだかまだまだ体験を書くと本に なってしまいそうです。またにします。ありがとうございました。

《編集者より》
この方からは一度に4−5通の投書を頂きました。どうやら順番に書き足していったようですが、夫々に他にない大事なことが書かれているようですので、全て掲載することにしました。あなたもおっしゃるように体験を書くと本になってしまいそうですが、もし本でなくてインターネットでよければ、是非書いて下さい。いくらでも自分のウェブサイト(ホームページ)を開いて発表することができます。それも面倒なら、JWICの一部に掲載もできます。私は元エホバの証人の方々の体験談夫々に、学ぶべき多くの事柄を見つけます。全ての人の体験は夫々ユニークで、心に響くものがあります。よろしかったら是非「自伝」でも書いて下さい。後に続くエホバの証人の方々への大事な指針になると思います。勇気をもってご自分の悲しい過去を公表してくださったことに感謝申し上げます。


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