(3-25-02)
七年間の研究生は別に「例外的に長い研究生」ではありません。 その立場にもよりますが、信者の子供、配偶者は、組織からあまり警戒されませんから、 十年以上研究生のままでいられます。 逆に、何のコネもないのに、ずるずると研究生を続ける人は、それなりに証人をひきつけ る要素が求められます。 たとえば、誠実な研究生だが、仕事に忙殺されて研究がはかどらないとか---- 協会の進めにしたがって「行動」は、まだできていないが、親族の反対や友人の反対で、 足踏みしている状態とか---- 一向に真理に関心はなさそうだが、さりとて「世」にどっぷりとつかりこむ事はできそうも ない---ゆえに、いつか「突如、真理に目覚めそうな」青年とか---- 研究司会に訪問すると、真理には疑問を提示するものの、お茶だのケーキだのと、 妙に「おもてなしの精神」があって、むげに研究が切れないとか---- まあ、とにかく、開拓者は「疑わしい人」と、研究はしたくないですが、なんせ要求時間を 満たさなくてはいけないので、とりあえず「無害に見える人」との研究は、たとえ奉仕監督から 研究続行に疑問が投げかけられたとしても、おそらく、続けると思います。 巡回監督の訪問の時、研究参加はあるのでしょうか。 「あり」なら、「証人になる見込みアリ」か、もしくは「研究を切られる寸前」、「ない」なら 将来の成長は、「見込めない」、つまり開拓者の「時間つぶし」に利用されていると見たほうが いいと思います。 だいたい、研究資料はもう底をついているのではないでしょうか。 昔のように「崇拝」の本でも、やっているのでしょうか。それとも、ブロッシャーを見繕って、 研究を続けているのでしょうか。 どちらにしても、なにもコネがなく、研究生を続けている人は、奉仕者の間ではかなりの 「変人」もしくは「困ったチャン」として、有名になります。 背後で陰口をたたかれるのが、せきのやまですから、いつかそれに気づいて傷つく 前に、進むか退くか、そろそろ決断したほうが良いかもしれません。 断絶した元開拓者のミミ
《編集者より》
これは「「同じ研究生たちへ」−七年研究生より」に対する投書です。恐らく研究生でいられる長さはあなたの言うように、その人々の状況によって異なるのでしょう。それに多分会衆や、国による差もあるのかも知れません。アメリカでも例外はありますが、一般的に日本よりは早めに打ち切っているようです。一旦バプテズマを受けると一生続くような心理的な重荷を背負い込むことになりますので、組織との関係を断ち切れない人は、少なくとも研究生のままで留まることを私はお勧めします。