「大いなるバビロンとは」−「真実を求め続けたいエホバの証人」

(2-10-02)

@ 大いなるバビロンは1919年に本当に倒れたのでしょうか。
 統治体の見解は、1919年にラザフォード兄弟たちが釈放されて以来、大い
なるバビロンはエホバの証人に対して以前のような力を失った、エホバの証
人は神によって高く上げられたため、彼らの手の届かないものとなった。ゆ
えに、1919年に大いなるバビロンは倒れた、と言っています。
 しかし、その後も、マラウィやベニン、ルワンダ等々、最近でもシュワル
ナゼ大統領のいる国、度忘れしましたが旧ソビエトの国で、政治を利用した
大いなるバビロンが、エホバの証人を苦しめています。そして極めつけは、
インターネットの普及によって、大いなるバビロンは、かつてない圧迫を統
治体にかけるようになってきました。天の星のように、信者の人間からあが
められてきた統治体は、地に落とされそうになって必死にもがいています。
統治体の正体を暴露しようとする大いなるバビロンと、「あくまでも天の星
として行けるところまで行こう」という統治体の死闘を見ている思いがしま
す。
 もし、大いなるバビロンが1919年に本当に一度倒れたのだとしたら、また
息を吹き返してきたことになります。でも、ひな型となっている古代のバビ
ロンは、メディア・ペルシャに倒されたあと、何世紀も人の住む地として存
続してきましたが、衰退の一途で力を盛り返すことは全くありませんでした
。「大いなるバビロン1919年に倒れた」説も、聖書や歴史の事実と調和して
いるとは思えません。無理。 
 大いなるバビロンとは本当は何ぞや、そんなところまで考え直す必要があ
るのかも……でしょうか。
A @の続き。
 エホバはこの闘いをどうなさるでしょうか。
 もし、ハルマゲドンがあと20年来なかったら、この組織は、誰も何もしな
くても、信者という水(啓示17:15)が激減してゆきます。組織もそれをよく
知っていて、そうはならないこと=ハルマゲドンは近いことを、一層アピー
ルしています。でも、前にも何度か書きましたが、ルカ21:8で、終わりの日
のしるしの一つとして、「惑わされないように気をつけなさい。多くの者が
私の名によってやってきて、・・・『その日が近づいた』とか言うからです
。その後について行ってはなりません」とイエスが明記してくださっている
のに、懲りることなく、『その日は近い』ことを、いわば切り札として使い
続けるのは、どういうことなのでしょう。猫に鰹節、馬にニンジン方式の伝
道を神は嫌われるわけです。それで幾ら膨大な人数を集めても、突き詰めれ
ば、本質的には「ライスクリスチャン」を集めているのと同じことです。
 余談になりますが、最近、無教会関係の「日々の聖句」に当たるものを読
みました。まるで違う聖書を読んだような、心底心をゆさぶられました。内
村鑑三さんの本は文語体ですし、私の脳細胞には睡眠薬の役割しかしません
でしたが、矢内原忠雄さんの本は少し読んだことがありました。でも、「時
がある」というのでしょうか、あるいは「日々の聖句」式になっているもの
は、短いので、頭が疲労することなく読めるからでしょうか、エホバの証人
の行っている「救い」とは別の、心を揺さぶるような「救い」を宣べ伝えて
いました。霊魂不滅、天国への復活、十字架などの点でエホバの証人には抵
抗がありますが、三位一体でも、神はエホバ、イエスはみ子と言っています
し、しかるべきときに地上も楽園にしてくださると考えている点(これは矢
内原忠雄さんの本に書いてありました)、戦争不参加の実績、生活態度など
、共通点もいろいろとありました。内村鑑三さんは、1900年に「聖書之研究
」というのを創刊されたと百科辞典に書いてありました。是非、「日々の聖
句」番の一読をお勧めします。
 私は、ある事情で、今、組織を抜けるわけにはいきませんが、でも、無教
会についても調べていこうと思っていワす。
B Aの続き。
 20年たつと、かつてのモーレツ信者年代は70代、80代となり、亡くなって
いく人が増えます。そして第二次ベビーブームの世代は50歳前後になります
。この世代の二世は、ムチ信仰の犠牲者も多く、また、親の猛信にけなげに
従ってきた世代とも言えます。学校では勇気をふり絞って証言し、本当にけ
なげな努力をしてきました。表裏のある生活で逃げた子供たちもいましたが
、そういう子供はいつの時代もいるもので、けなげな子供達も本当に多かっ
たです。さらに、そういう子供達の中でも、善良さや、真面目さ、ナイーブ
さを持っていた子供たちは、その分、自分を傷つけることも多かったと思い
ますが、それも自己犠牲と考えて一心について来る純粋さがありました。今
どきの「子供様」二世とはまるで違います。(今でも会衆によっては、親の
精神年齢が正常というか、自立していて、子供も立派な会衆もあると聞いて
います。学歴と精神年齢は必ずしも比例しないとも聞きます)。世の教育は
義務教育まででいいと暗示する組織の方針に従った親たちも結構いて、中学
までしか行っていない子供たちもいました。ナイーブな精神をズタズタにさ
れた子供たちも結構いました。組織は、もちろんこういう話は全て「励まさ
ない話」、「消極的な話」として覆いをかけ、あくまでも「個人的な事柄」
として、自分たちの責任を認めません。すべては個人の決定でなされたこと
であり、個人の責任というわけでしょう。
 でも、本当にそうでしょうか。
 山道で、道しるべが右に曲がっていたら、登山家が右のコースを取ってい
くのは当たり前でしょう。それで取り返しのつかないはめに陥った場合、普
通の判断力を持った第三者は、責任を本人にのみあると判断するでしょうか
。山のことを詳しく知らなかった本人にも責任はあるとしても、それにまさ
る責任は、初心者を導く道しるべを右に曲げた者達にあるのであり、エホバ
の裁きはそこを見逃すことはないでしょう。人間の中でも、特別卑怯な人間
だけが、ホウカムリをして厚顔無恥を貫くのです。そして、卑怯者ほど神の
裁きを怖がるのです。
 公にはホウカムりをし続け、でも内心では神の裁きが怖いし、さすがに罪
の意識もあるので、タッキングだ何だかんだと巧妙にいい訳しながら、道し
るべを左に向けます。後からきた人たちは、道しるべが右に曲がっていたこ
となど知りませんし、犠牲になっていない人たちからすれば所詮は「人ごと
」、そんな話は「ひがみ」「励まされない」「消極的」という判断に従い、
そんなことより、楽園楽園と登り続けます。
 同じころの人達でも、自分の判断で、組織の提案を上手に蹴った人達は、
親子ともども犠牲になっていません。まさに「正直者はばかを見る」の一言
です。組織の提案にしたがった者ではなく、利口者が勝ったのであり、ヘブ
ライ13:7の「その行いがどのような結果になるかを見て、その信仰に倣いな
さい」という勧めは、私にとって、とても皮肉な教訓を教えてくれることに
なりました。
 結局、犠牲者は全て、過去の遺物的存在になってしまい、理不尽なツケを
全部背負わされたまま、ついていきたい人は黙ってついていくしかないので
す。
 神はこんなことを許されるはずはありません。
 これが会社で起きたことなら、人間の裁判官だって、こんなことを容赦は
しません。宗教だから許されているのであり、こういう、世間でさえ通用し
ないことが通用する特殊社会性こそ、人々を宗教嫌いにする一因でもあるわ
けです。でも、神は必ず公正に裁きます。
 アブラハムとラザロの例え話を思い出しますね。犠牲になり、弱者になり
、ツケを全部背負わされている人たち、また、不器用に正直に独身を保った
ために、「不幸で寂しい、もてない人達」として、傲慢軽薄兄弟姉妹から一
段下に見られている人たちなど=ラザロ状態にされた人達は、しかるべきと
きに、必ず立場が逆転します。神の王国で笑うのはそのような人達なのです
から(ルカ6:21)、組織の外であれ内であれ、日々、内なる心を神に近づけ
る努力をしながら、その日を待ち続けていきましょう。一に忍耐、ニに忍耐
、三、四がなくて五に忍耐。最後に勝つ者が笑うのです。
 ちなみに、結婚礼賛は若気の至りにほかならず、既婚者は案外独身に戻り
たいと思っているのですよ。離婚できないエホバの証人にとって、結婚が墓
場状態になったとしたら、長老意外には誰にも言えず、また言ったとしても
墓場から逃れることは絶対にできないのです。
 性欲は、食欲と同様、だれにでもあるものですが、程度の差が大きく、遺
伝子が大きく作用しています。ですから、性欲に負けそうな人は結婚してい
いですし、ギリシャ語聖書でも、結婚を勧めているのはその点に関してだけ
です。コリント第一7:2では、淫行に負けることと関係して勧めていますし、
7:36でも、「自分の童貞性にふさわしくない振る舞いをしていると考えてい
る」場合、若さの盛りを過ぎての結婚を勧めています。昔と違って、今は女
性も経済的に自立できる社会になりました。男性が女性を必要とする程には
、一般的に、女性は男性を必要としませんから、独身同盟でも作って、生涯
近所同士として助け合っていったらそれで十分でしょう。世の女性たちはそ
うし始めていますよね。
 独身者たち、誇りをもって頑張ってください! 精神力と助け合いとお金
さえあれば、男や姑とのしがらみなんて、無用の長物かも。……ごめんなさ
い。私は、夫に感謝しているけれども、変な親戚がついていて苦労もしてい
るので、今の独身者たちにはエールを贈りたいと思いました。最近の独身者
に関する記事を読んで、付け加えてみました。

《編集者より》
私は、今の組織の見解は「大いなるバビロン」が倒れるのは将来のことであると教えていると解釈してきました。たとえば1999年5月1日のものみの塔誌17ページでも、大いなるバビロン、つまり偽りの宗教が滅びるのは将来のことであり、それが大艱難の始まりを意味するとしています。従って組織は大いなるバビロンが既に倒れたとは教えていないと思いますが、どうでしょうか。なお、内村鑑三の著作は私も昔読んだことがあり、一人のクリスチャンのアプローチの仕方としてとても参考になり、また心を揺さぶられる信仰であると思いました。ぜひ読者の皆様にご一読をお勧めします。