「再びエホバの証人の信者の方と話し合いました」

(12-21-01)


こんにちは。福原和明と申します。
前回のお便りに対する管理人様のアドバイスをいただきまして、「エホバの証人」の
信者の方と「輸血拒否」について再び話し合いました。
管理人様のアドバイスは十分に生かしきれませんでしたが、これに関するレポートは

http://homepage1.nifty.com/revolt/jikoketteiken3.html

および

http://homepage1.nifty.com/revolt/jikoketteiken4.html

にまとめております。
さらに話し合いは継続してゆく見込みでありますので、進展がありましたらまたお便
りさせていただきます。
それでは失礼いたします。

《編集者より》
興味深く読ませていただきました。秩序だった対話で、信者の思考の裏にある矛盾を浮き立たせるのに役立ったのではないでしょうか。「エホバの証人は(聖書に書かれていなくても)こう理解しています」という言い方で、特有の説明のつかない教義を正当化する思考法は、その責任を漠然とさせることにより集団防御をはかろうとする集団心理の表れであると私は思います。ここでは決して、「私がこう理解しています」とか、「エホバがこう理解しています」とか、「会長のヘンシェルがこう理解しています」とは言いません。顔も名前もない、集団名だけの漠然とした「エホバの証人」が何かを決めて、それが2000年6月に急にまた一斉にどこからともなく「今度はこう理解します」と新しい決定に変わります。しかし、それは常にどこからか自然に湧いてきた「真理」のように感じる訓練を受けているために、その「真理」が実は政治的なかけひきを考慮した指導部の「創作」である事実に必死に目をつぶっているのです。信者が、ヘモグロビンは受け入れられて、赤血球は拒否しなければならないという荒唐無稽な教義をそのまま鵜呑みにするには、「エホバ」とものみの塔組織の指導部とをぼかしながら二重写しにする自己暗示をかけることにより、何とか心の中の整合性を保って不安を解消するしかないのだと思います。


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