「NGOの件・・家族は果たして「聞く耳」を持つだろうか?」

(12-5-01)

はじめまして。私はいわゆる元エホバの女性です。
3年ほど前から興味深く拝見させていただいています。
実家は7人家族ですが、私とすぐ下の弟のみ今は信者でなく、
両親、妹2人弟1人がいまだに信者として活動しています。

今回のNGOの件は、衝撃的でした。
(初めてこのHPを訪れて事実を知った時の衝撃にも匹敵します)
何にも知らない一般の信者に対する甚だしい裏切り行為ですよね。心底怒りを覚えま
す。
きっと家族はこのことを知らずにいるでしょう。知らされる訳がありません。
知ったら、どんな反応を示すだろうか?

私が初めてこのHPを見て衝撃を受けて事実を母親に話した時、それでも穏やかに話し
たつもりだったのですが、
母親は突然「気分が悪くなった」と言ってヒステリックに怒り出し、電話を切られて
しまいました。
「インターネット」はこの世からの悪い影響を受けるとして、私がパソコンの話をす
る度に
「私はインターネットはしないから」と言ってます。(逆に本当はしたい、というよ
うにもとれるのですが)
特に母親は盲目的に組織に忠実です。組織がこうだ、と言ったらそれが絶対正しい、
と信じこんでいます。
私が事実を知って欲しいと思って話しても、「またインターネットの話でしょ」と
言って取り合おうとしません。
最近は言っても無駄ですし、私に再びその教理を押し付けるわけでもないので、しば
らく好きなようにやらせてあげようと思い、
エホバの話はあまりしないように、穏やかに良い関係を続けています。
でも、家族はこのまま事実を知らずに死んでいくのかな、死ぬまで“楽園”が来な
かったらなんて思うんだろう?と
いつも思います。

が、しかし今回の件は事が重いと思うのですが、
うちの家族はそれでも「サタンからのインターネットを介した策略」だ、と言うのだ
ろうか?
ヘッフェル氏の手紙も添えて見せてあげたい気持ちです。
彼らがどんな顔をするのか見たいけど、その後の彼らの精神的な打撃を思うと、不憫
でやめようかとも思います。

私の家族は私が幼い頃、まず母親が信者になり、ついで5,6年後に父親も信者になり、
何もわからず集会に連れられて行っていましたが、中学生位の頃つらい経験をしてか
らエホバをやめようと決意しました。
すぐ下の弟も同様です。10歳ほど離れている妹、弟達は生まれた時からエホバです
ので、“この世”的な思い出も少なく、
両親も以前ほど厳しくなく、会衆の雰囲気も私がいた頃とは違うようなので、未だに
信者を続けていられるのかもしれません。

その後、私は家を出て家族と離れて暮らしていたのですが、
帰郷する度に、なにか家族が以前より縛られてない様子を感じていました。規則が緩
くなった、というか・・。
そんな変調があったのはちょうど10年くらい前からです。
驚いたのは、あんなにテレビはダメだ、と言っていたのに、家にテレビ(ビデオデッ
キ付き)があったことです。
なんでも、協会から出されたビデオなどを見るためだ、ということだったけど、私と
してはあまり納得が行きませんでした。
カセットに代わりCDが発売されればコンポを買ってたし、DVDが発売されればプレー
ヤーも考えているでしょう。
私が机の引出しの中に芸能人の切り抜きを置いてあるとこっそり“検閲”され、こっ
ぴどく叱られたものですが、
今となっては、9歳離れた妹の引き出しに「キムタク」の切り抜き他、私が没収され
たような雑誌類が“堂々と”入っていても
「ムチ」をされることは無いようです。
というように、家族を見ていても、この間に組織の決まり事に何らかの修正が度々
あったこと、会衆内の雰囲気に
変化が生じている事は、うすうす感じていました。
そして、何より家族は以前よりはカリスマ的に活動をしていないのです。

そんな所にこのNGOの件を知ったなら、うちの家族はどうするんだろう?
特に母親。人生の拠り所を失ってしまう事になって、彼女の精神状態が心配です。
もしくは、このままかたくなにこの情報を「嘘だ。デマだ」と信じ込むか。
この衝撃的な事実を家族に話すのに少し心の準備をしています。

《編集者より》
あなたのご指摘の通り、エホバの証人の社会は少しずつ柔軟化していると思います。そうであればこそ、組織に関するスキャンダルはもはや、「サタンがインターネットを使って嘘をばらまいている」という昔ながらの子供騙しのようなかたくなな説明ではもはや通らないのではないでしょうか。むしろ最近の態度は「否定」から「居直り」に変わっているようです。つまり、情報の自由化により資料を突きつけられた批判を頭ごなしに否定することができなくなった協会とそれを擁護する証人たちは、「それが何が悪い、組織も不完全だから時々は間違いもする、それでもエホバの組織についていればよいのだ」という態度を最近はとりだしています。以前の態度も最近の態度も、共に自分たちの心の衝撃を何とか和らげようとする必死の自己慰安なのですが、このような心の状態を持っている限り、エホバの証人の人々は衝撃を何とか切り抜けてエホバの証人を続けていける人々が多いようです。