理性による神聖な奉仕に対する疑問(七転八起)

(12-3-01)

日本列島も各地で新雪のたよりが聞かれ、冬到来と感じますが、皆様お元気
でしょうか?
寒い時期の野外奉仕は、より厳しさを増しますね。健康に留意なさってくだ
さい。
 
私自身、組織にいたころから盲信するタイプではなく、理性的に物事を考え
てきた方だと思っています。ですから、子供にも全時間の世俗の仕事につく
よう勧めてきましたし、自分自身も家業と家事と宗教活動を平行を保って行
なってきました。
 
ところが、組織を出てみて初めて自分が理性的に考えていたと思ってきたこ
とが、ごく狭い範囲でしかなかったことに気づきました。
 
例えば、組織を出てから神の御名を「エホバ」と呼ぶことに抵抗を感じるよ
うになりました。昨年の投稿記事に「エホバ」という名がでっち上げのよう
な呼び名であることを書きましたが、頭でわかっていても組織にいた時は自
然にエホバと呼んでいました。集会に行かなくなって、だんだんと組織の教
えにさらされるのが減っていくに連れて、自分で調べたことに確信がもてる
ようになりました。集会は生命線と言われますが、それはマインドコントロ
ールによって、組織の奴隷とするために不可欠という意味だと、はっきりと
わかりました。
 
また、世の人々と親しく交わらないようにコントロールされていたことにも
気づきました。組織を出て、ご近所の方々と旅行に行ったり、同窓会に出席
し、語学の学校に通い、PTAの活動に参加したり、病気の親族の面倒をみ
たりという事をわだかまりなく行なえるようになりました。それで、今まで
以上に、それらの活動を楽しめるようになりました。組織にいた時は無意識
の内に、世の人達との接触を制限していたように思います。開放されて多く
に人々と交わることによって、人々の温かさやチャレンジ精神、ポジティブ
な考え方など学ぶことが多いので、よい刺激を受けて私自身いっそう元気に
前向きに生きています。
 
このような私の経験から言えることは、集会に出ている間は、本当の自分自
身の理性によって判断しているのではない・・・ということです。無意識に
マインドコントロールされた世界の中で判断しているということです。この
実感は集会から離れてみて初めてわかることです。
 
断絶によって完全に組織から自由になったので、自分の経験や感じた事を綴
ってみました。

《編集者より》
エホバの証人が「エホバ」の名前にこだわる理由は多くあると思いますが、その中の一つの重要な理由は用語の使い分けによってグループ意識を高揚させる効果です。同じ聖書に書かれている神なのですが、それを一般的な「神」とも呼ばず、「ヤーウェ」とも呼ばず、「エホバ」と呼ぶことによりグループの「内」にいるか「外」にいるかをグループの内外の人々に即座に実感させることができるのです。これは丁度、やくざの世界に特有の用語があり、それを使う人々は直ぐに自分たちの仲間と認識されるのと似ています。どのような世界でも、組織やグループが第一の世界では共通の現象が生まれるのは興味深いことだと思います。