(11-14-01)
秋も深まってきましたが、皆様いかがお過ごしですか? 私は忙しい中でも、紅葉をデジカメで撮ってきました。神の創造物は、何も語らなくて も感動を与えてくれます。 最近、マスメディアでアフガニスタンの情報が数多く流されていますが、タリバーンの 過激な教義にエホバの証人と共通する点を感じるのですが、皆様はいかがですか? (1)偶像を禁じていること タリバーンは子供が人形で遊ぶことさえ偶像とみなします。証人はスターのポス ターを部屋に貼ることも偶像崇拝とみなします。どこか似ていると思いませんか? (2)女性の行動を制約していること タリバーンは女性の教育・就労を禁じています。証人は女性が組織の運営に当た ることを禁じています。女性の可能性を摘んでいる点では同じではないでしょうか? 他にも共通点はあるかもしれませんが、私はこの2点が気になりました。 特に、女性の能力をあらゆる分野で十分に発揮させない制約には腹立ちを覚えます。 最近、前難民高等弁務官であった緒方貞子さんがテレビでコメントしていましたが、テ ロを防ぐには貧しく将来性のない民族や国を国際的に救済していくことが不可欠である と述べていました。また、難民を救済するために国連の機関として、どれほどの危険を 犯して実践してきたかを述べていました。 日本の女性で芸術など様々な分野で活躍している人は数え切れませんが、国際政治の分 野では緒方さんは日本女性の誇りであると言っても過言でないと思います。このような 女性の活躍を退ける人達は、狭い範囲しか見れない人々だと言えませんか? 女性の活動を制約する組織に真の光があるでしょうか?女性は社会の半分を占めていま す。女性の目から見た社会の在り方が必要と感じるなら、女性を組織の重要な部署の構 成員に加えるべきではないでしょうか。 聖書が書かれた時代は、家事や子育てに今の何倍もの時間やエネルギーのいる時代でし た。現代は、それ以外の分野で活躍できる時間やエネルギーが持てる時代です。 時代の流れに合った女性観を培っていくのが、道理にかなったやり方ではないでしょう か?皆さんも、一度考えてみてください。
《編集者より》
私も聖書に書かれている女性観は、聖書の時代の社会構造を反映したもので、そのまま現在に当てはめることはできないと思っています。聖書が奴隷制度を容認しているのを現代社会にそのまま当てはめることができないのと同じことです。その意味ではこれは「全て聖書に書いてある通り」では通用しない良い例であると思います。その医学的、生物学的な違いから、男性と女性の役割が違うことはいつの時代にも当てはまりますが、女性が男性の従属的な存在であるとする古代の見方は、ユダヤ教にせよ、キリスト教にせよ、イスラム教にせよ、全て変わらざるを得ないと思います。