「個人の大切さとNGOについて」−「物事をいつも理性を持って考えたい」長老より

(11-1-01)

 「物事をいつも理性を持って考えたい」長老より(9-25-01)に掲載された者です。
まずは、村本様のコメントに返事を差し上げなければなりませんね。いままで書き込んではい
ませんでしたが、何がきっかけになったかということを。それは、これまでいろいろな投稿を
伺ってきて、単に証人以外の人々だけではなく現役の人たちも多くこのページに訪れていて、
そういう人たちに読んでもらえるならば、少しはここで書く意味があると感じるようになった
からです。また、見解の点で率直に家族で話し合うこともできるようになり、個人としての考
え方を話すことに自信も得ています。
 私は「真実を求めつづけたい」さんと同じように、この組織がある時点まで「神に近づく点
での助け」としての働きを認めながらも、そうではなくなる可能性も否定しません。もはやそ
うなっているとも思えます。特にNGOの件はショックでした。
 組織が助けになることはあるものの、ここを見ておられるすべての現役の証人の方々に申し
あげたいことは、結局はあなたとエホバ神の関係が大事ですし、さらにそれについてご自分で
考えて決定しているかということもとても大事と思います。組織がいうから従っているようで
は、あやつり人形やロボットのようなものです。ご自分の考えを持つことは大切で、本当にあ
る教理が聖書の原則と調和していると納得できるか冷静に考えてほしいと思います。研究生の
ころにそう教えられたからというのでは何も考えたことにはなりません。
 というのは、今回のように協会はとんでもない間違いを犯します。もはや組織の存続で生計
を立てていかなければならない一部の人間の世渡りの手段と化している部分があるのではない
かと危惧もしております。もちろんすべての人々がそうだとは思いませんし、良い面も少なか
らずあると思います。しかし、結局はエホバ神との個人的な関係です。この組織にいてもエホ
バに是認されない人もいれば、他の宗教にいても是認される人がいると思います。同じように
国連職員を「緋色の野獣」と同等にみなすことなど私にはできません。それは、個人と組織を
混同し取り違えています。
 この組織は、聖書の教育機関としての役割を果たしながらも、組織に属することが一定の型
に人々をはめている部分は見逃せないところです。組織が強調されると対立する組織はすべて
敵視され、最後にはそこに属する個人までが悪者になってしまいます。これはとても残念なこ
とです。同じように、「緋色の野獣」を国連全体に適用するのは、そこにいる個人や掲げてい
る良い精神の部分もひとまとめにしてしまいます。政治と宗教の裏の部分もあり、それらが啓
示の書で描かれているとしても、良い部分まで否定する必要はないように思います。
 今回の協会の決定は、私としてはとても残念です。ある組織の個人個人の尊厳を尊重する度
量があれば、その組織の正当な部分や良い精神も認められるでしょう。堂々とそれを雑誌で明
らかにし、「協会は、国連を神の王国の代理機関の地位に置いたり、神の目に*是認されない
こと*を政治と結託して行う宗教が啓示の書で非とされていることを明らかにしてきました。
そして、神の王国がもたらされればそのような機関は存在意義がなくなり、あたかも滅ぼされ
たかのように無活動な状態にななるでしょう。しかし、だからといって現在行っている人間の
努力をまったく評価しないというわけではありません。このような理由で・・・」と正面突破すべ
きでした。(もしNGOとして登録することが、第三世界に宣教を拡大するという内輪の目的
のためでないならばのことではありますが。)
 私は今回の一連のテロ事件でも、ある機関を通してドネーションしてきましたし、またアフ
リカの難民のために少しでもなるならばとユニセフにも協力をしてきました。物事を良くしよ
うとする人々の努力を真摯に受け止め、それに賞賛を送ることはとても自然なことと思います。
もちろん、不完全な人間の行うことなのでなかなか成果があがらず、また時には不正が暴かれ
ることもあるでしょう。そして、最終的には神の救いを待つ必要があるとしても、だからとい
って人間の現在の努力をまったく無意味にみなすのは極端だと思います。
 
 ちょっと眠い目をこすりながら、流れに任せて書いてみました。段落ごとにまとまらない乱
文をお許しください。ではまた。

                   「物事をいつも理性を持って考えたい」長老より

《編集者より》
とても道理にかなった理性的な見方で、私は異論はありません。協会のその後の説明を見ると、あなたの言う「正面突破」をする予定は全くないようで、「緋色の野獣」の見方は堅持されると思います。国連は不完全な団体ではあるが、この地球を皆が住みやすく共存できるように改善するために日夜努力している団体として、私も敬意を持ち支持したいと思っています。面白いことは、同じ不完全さを持ち時に過ちも犯す団体であっても、ものみの塔協会は常に正当化され、国連はそれでも常に「緋色の野獣」として軽蔑と嘲笑の対象としてしか扱われないことです。それは何故でしょう。ものみの塔協会はエホバの唯一の組織であるから、どんなに間違ったことをしてどんなに不完全でも、常に絶対服従しなければならないのに、国連はエホバに逆らう団体である(とものみの塔の教義が決めた)から、どんなに善い事をしても軽蔑され、嘲笑され、弾劾されなければならないのです。私はここに、ものみの塔協会の致命的な誤りを見ます。それは人でも団体でも、それを判断するのに、その人や団体の人格や行ないを偏見なく見るのでなく、ものみの塔協会の教義の中でどのようなレッテルが貼られるかにかかっているのです。これは国連の侮蔑に限らず、「背教者」、「世の人」、「バビロン」、などのレッテルを貼られた人々に対する一貫した偏見に表れています。つまり、「世の人」や「背教者」はどんなに善いことをしても、エホバの証人の間で「真理に入った人」と同じような尊敬を受けることはありません。レッテルによって人を判断すること、これは差別と偏見の基本的な態度です。私はこれがものみの塔協会の過ちの大きな根源になっていると思っています。