「NGOの件について/忠実で思慮深い奴隷について続き」−「真実を求め続けたいエホバの証人」

(10-21-01)

@NGOの件について
 
 NGOに関しては、開いた口がふさがりませんでした。去年の雑誌だったでしょうか、研究記事
の初めの方で、国連の働きも認めるような記述がされていましたから、平衡のとれた見方をするよ
うになったんだなとは思っていました。
これから、あわてて「聖書的」言い訳をするでしょう。知る必要のない人たち、あるいは知る権利
のない人たちに伝える必要はなかったから黙っていたという言い分だと思います。でも、もし同じ
ことを一信者がしていたらどうなったでしょうか。
動機は愛であるとか、長老、あるいは巡回監督に伝える必要がなかったから伝えなかったと言って
も、「エホバは隠れた罪を明らかにされる」とか言われて、神の威光を受けた組織を欺くことはで
きないと、「神の組織」を強調した上で、「特権」削除は間違いありません。
 つまり、同じことをしても、片方は支持され、片方は罰せられるわけです。そんなことはエホバ
のご意志ではありません。立場によって扱いが変るのは、世の精神のさえたるもの、不公正でサタ
ン的な精神態度です。
 エホバは、ご自分が用いる人たちの示す精神態度によって、その人をただの使い捨ての道具とさ
れたり、是認されたりします。(例えばネブカドネザルやサウル)。そして、たとえ一時的道具に
すぎなかった人(あるいは団体)を通してなされた事柄でも、ご意志と調和した成果については、成
果だけ是認されます。それがエホバの証人にも当てはまると思いました。
 難しいのは、他の人を導くときで、従来どおりのやり方=組織に導くとか、大会や週3回の集会出
席、伝道時間報告のために未信者の家族や仕事を犠牲にすることが「王国第一」だという導き方は
できません。マタイ6:24-34の話は、生活基盤を犠牲にするように言っているのではなく、冨を追
い求めることを警告したり、貧しい生活を強いられていた人々へ、不安に負けず神への信仰を持っ
て生活することを勧めているのです。でも、信頼できる仲間ができることや、生き方が向上するな
どの点では推薦したいので、今、模索しています。組織はあくまで人々を神へ導く通過点であるべ
きです。通過点の言うことに従わなければ神の不興を招くと言っているに等しいあり方は、全く推
薦できません。海老名から距離的に遠い会衆ほど、組織信仰、組織の証人をやっている人がまだま
だ多いと聞きます。また、90年代バプテスマくらいの人たちが多い会衆は、組織の暗部は知るよ
しもなく、明るい組織、正しい組織と信じきっていて、そこでも昔ながらの方法で他の人を導き、
その導きについて来る人が、少数ながらいるそうです。仕事をやめたりしないように、子供がいろ
いろな意味で犠牲にならないように、祈るばかりです。
 
A「忠実で思慮深い奴隷」について続き
 
統治体は、この人達は天でキリストと共に王となる人々のことと教えてきましたが、本当にそうで
しょうか。
ローマ8:15で、パウロは、「……奴隷身分の霊を受けたのではなく、養子縁組の霊をうけた人」の
ことを述べて、その人たちが「アバ、父よ」と神のことを呼ぶとも述べています。イエス・キリス
トはいわば神の実子であり、その人たちは神の養子で、キリストとは義兄弟の仲ということになり
ます。マタイ25:34-46で、イエスも「私の兄弟の最も小さな者の一人に対してしたことは私に対し
てしたのです」とおっしゃっています。
統治体は、これら、神と養子縁組をした、キリストと義兄弟関係にある人達のことを、天でキリス
トと共に王となるクラス、つまり14万4千人と教えています。
とすると、同じ時期に登場する「奴隷」と呼ばれている「忠実で思慮深い奴隷」の人たちは、それ
ら「兄弟」と呼ばれている人たちとは異なるクラスだと解釈することもできるのではないでしょう
か。つまり、地上でキリストからの任務をあずかる人たちを意味していたと考え驍アとができます。
つまり、今までの投稿の繰り返しになりますが、「忠実で思慮深い奴隷」という言葉が単数なのは
、onlyという意味でなく、各人、一人一人を意味しているのであって、信者を真剣に世話し、霊的
に養っている人たち、それぞれ各人がすべて「忠実で思慮深い奴隷」であり、キリストが裁きのた
めに到着したとき明確に是認され、裁きのあとの新秩序でキリストの持ち物全てを司ることになる
「地的クラス」を指しているという解釈も成立します。もちろん、エホバの証人だけしか是認され
ないということではなく、だれを是認するかは到着されたイエス・キリストご自身が全てをご覧に
なってお決めになることです。

《編集者より》
興味ある観点だと思いました。あなたの考え方を発展させれば、ものみの塔協会はエホバに是認された組織なのではなく、使い捨ての道具として使われている可能性はないでしょうか。そうであれば、ものみの塔の組織はある時はエホバの目的にあったようなことをするし、ある時はエホバに反することもするし、そしていずれは捨て去られるのかも知れません。もちろんものみの塔協会がエホバに捨て去られても、それで組織がなくなるわけではなく、むしろ国連と不義の関係を結ぶ「娼婦」の仲間入りをして腐った命を永らえるのかもしれません。あなたの投書を読んで思いついたことです。