「組織にとどまって行こうと決意するものとなりました」

(9-12-01)


初めてHPを拝見させて頂きました。様々な背景の方がおられ、とても感動しました。
私は2世の20歳女性です。
 
このページを読んで、どうして自分がエホバの証人になったのかが思い出されました。そして、こ
のページはエホバの証人としてこの組織にとどまって行こうと決意するものとなりました。確かに
これまで組織(特に日本)は助言された事柄に対して狭い見方をしてしまったり、ある時には長老
など人を励ます立場の人が他の人に悲しい思いをさせてしまったことがあるかも知れません。その
ような体験をされた方はきっと組織を信頼できなくなり、辛い思いをしておられるのでしょう。私
もその一人でした。でも、自分はこれまで一度も人を傷つけてこなかったか、と言われるとそうで
はありません。私が他の人を傷つけてしまった時、それは私の所属しているすべての人(例えば家
族、県民、日本など)もすべて悪いということはあり得ないのと同じように、長老や監督等の立場
の人が何らかの失敗をした時に”組織のすべてが悪い”と決め付けてしまうのは、少々狭量な見方
だと感じました。(個人的に)
 
外から見るとどうかは分かりませんが、実際のエホバの証人は将来の楽園がどうとか、永遠に生き
られるか、などといった期待はそれほど重要な位置を占めていないように思います。(もちろん、
病気を患っていたり、家族などを亡くされた方にとっては希望となりますが)それよりも奉仕や大
会の時など、こんな私でもエホバに用いて頂けているんだ、という喜びと、仲間と協力し、お互い
至らない点がありつつも許しあおうと努力している姿に信頼感と本当の友情を感じ、私は現在幸福
感に満ちています。
 
エホバの証人も『洗脳宗教だ』とよく言われますが、私は洗脳されたらどんなに楽だろう、と思う
ことがしばしばあります。日々聖書の基準に従うことは本当に大変なことです。常に物事に対して
正直であること、人の欠点を快く許すこと、特に私は若いので異性との交際や気持ちの面で大変だ
と感じることが日常茶飯事です。そんな私も以前にエホバの証人でない方と付き合ってみましたが
、結果は悲惨なものでした。結婚前の性交渉に至り、その後その男性は他の女性と付き合うように
なり、良心的にも、女性としての感情面でもボロボロでした。私にとって神の助言に従うことがこ
んなにも幸福を左右することなんて思っても見ませんでした。私たちは自分たちの知識を与えたい
とか、滅ぼされるからとか、そんな風に思って宣教しているのではありません。ひとりでも多くの
人が、この神との関係における幸福感に気づき、人間が神から愛されていることを知って頂きたい
のです。
 
管理者様はとても勤勉で、物事について冷静に考える力を持っておられます。とても立派なことだ
と思います!
でも、特定の組織に対して、というより他の人に対して常に批判的な気持ちを抱きながら生活して
いるのは本当に幸せですか?とっても良い特質をもってられるのに、なんだかもったいないような
気がします。(若いのに生意気なことをいってごめんなさい)
 
 
最後に、「あんたってほんとに気持ちの悪い人間だよね」を書いた方へ。
 
『あなたは言葉の性急な人を見たか。彼よりも愚鈍な者のほうにもっと望みがある』-箴言29:20
 

《編集者より》
何事につけ、「すべてが悪い」と決め付けることは私も賛成できません。逆にある人やある団体が「すべてが正しい」と決め付けることも問題があるでしょう。あなたはエホバの証人の組織が不完全なものであると認めながらも、その中に善いものを見出して組織に留まっていこうと決意されたようです。私は何度も書いてきましたが、組織の不完全さを十分認識して、正しいことは正しいと言い、間違ったことは間違っていると率直な見方が出来る限り、あなたのような方が組織に留まることに何も反対する気持ちはありません。(この態度を「ものごとをありのままに見る」という表現で言うこともできますし、英語では「call a spade a spade」という表現をします−たとえ自分の気にいらなくても丸いものは丸い、四角いものは四角いと言うという意味でしょうか。)

ただ一言付け加えると、そのような態度は多くの人が多かれ少なかれ自分の所属するグループに対して持っている態度であると私は思います。たとえば、エホバの証人があれだけ「偽りの宗教」と言って軽蔑するキリスト教の教会を取ってみると、ほとんどのキリスト教会の教会員は自分達の教会に問題があることを認識し、それを改善しようとしながら、教会員の生活を続けています。その人たちも自分たちのグループの中に「仲間と協力し、お互い至らない点がありつつも許しあおうと努力している姿に信頼感と本当の友情を感じ」(あなたの上の言葉)あなたと似たような心の状態で組織に留まっています。あなたはそのようなキリスト教会を「偽りの宗教」と決め付け、「すべてが悪い」とふれまわり、「偽りの宗教」から出なければならないと主張するのではありませんか。もしあなたが、あなたのような心の状態でエホバの証人の組織に留まる決意をしたのであれば、同じような心の状態であなたの言う「偽りの宗教」に留まる決意をした人々に、なぜ出なさいと働きかけるのでしょうか。それともあなたの隣人に対する愛は、自分にはして欲しくないことを他人にすることなのでしょうか。

「他の人に対して常に批判的な気持ちを抱きながら生活しているのは本当に幸せですか」とのお尋ねですが、私は幸せになりたくて人を批判することはありません。私は批判は改善のための大きなエネルギー源であると思っています。批判のない世界、批判のない組織は、塩の抜けた漬物のように腐っていきます。歴史的に見て批判を禁止した国家や団体は全て腐敗して崩れていきました。ものみの塔協会も、批判のない腐った団体になっていないか、よく目を開いて見てください。それにしても、あなたの上の言葉「他の人に対して常に批判的な気持ちを抱きながら生活しているのは本当に幸せですか」はそのまま、ものみの塔協会とエホバの証人のあなたに対しても言うことができます。ものみの塔誌を見れば、毎回のように「世」の悪いことを誇張し、「偽りの宗教」を悪者扱いにして批判し続けています。しかし、決して内部に対しての批判は一度も出てきません。「外に厳しく内に甘い」このような教えを毎週のように学んでいて、あなたは「本当に幸せですか」。


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