「真実を求め続けたいエホバの証人」さんへ―投稿(7-28-01)を読んで −「物事をありのままに考えるエホバの証人」より

(9-7-01)


共感をいただいてうれしく思います。

特定されてしまうのではないかと、ご心配もしていただきまして、ありがとうございます。実は、ご指摘のように、特定されることは、
ある程度覚悟の上で書いています。私自身、支部はすでに80%ぐらいの確率で特定済みではないかと考えているぐらいです。まあ、
そのくらいの情報分析力はあるでしょう。いまのところ具体的な兆候はみられませんが、それは何か考えがあってのことなのかもしれ
ません。

こんな話を聞いたことがあります。人がギロチンで首を落とされた時に、一体どのくらいの時間、意識を保っているのか、という点に
ついて、ある人は知りたいと思いました。首を落とされた瞬間に意識が失われるのか、あるいはコンマ何秒か、あるいは数秒程度の意
識があるのか、という点を、どうしても知りたいと思い、いろいろ思案したり、観察したりしましたが、結論が出ません。ついに、彼
が取った行動は、驚くべきものでした。それは、自分の首を落とすという最終実験を試みることでした。自分の首を落としてもらい、
意識のあるなしを、あらかじめ決めておいたサインで立会人に知らせ、そのことを記録してもらうということでした。

結果、彼はギロチンで首を落とされ、自分がある程度の時間(どのくらいか忘れましたが)意識を持っていたことを、立会人に合図し
たそうです。すごい執念ですよね。

別に、私は、自分がギロチンになりたいわけではありませんが、レイモンド・フランズも、自分からエホバの証人をやめる気持ちは、
当初なかったようです。彼が自分の良心に忠実に従って歩んだ結果、組織が牙をむいてきただけでした。統治体をやめさせられた後も、
地元の会衆でひっそりと暮らすことができたはずですが、彼が望んだのではなく、組織が望んで彼を追放したのでした。

私も、自分が学んできた聖書に愛着がありますし、エホバの証人の教えの多くに共感するところがあります。そして、エホバの証人の
組織には、数え切れない貴重な友人たちがおり、それを断ち切るのは、まさに断腸の思いがします。

でも、いろいろな矛盾点が目に付くことも確かであり、正面切って、改善を促すことが現状では難しい限り、インターネットを活用さ
せていただくしか方法が見つかりません。

以前、エッセイにも書きましたが、「知識」の本が導入されたのは、エホバの証人の組織の今日の低迷を招く重大なきっかけになった
と思っています。多くの日本支部、巡回監督たちも、それを知りながら、公の発言では、「これは神の方法なのだから、この方法が正
しいのです。いずれ理解できる時が来るでしょう」といって、一般信者に無理な要求を押し付け続けました。そして、ほぼ3年の後、
やっと方針変更されたとたんに、手のひらを返すように、それを100年前からそうであったように支持するのです。まことに悲しい
姿です。

また、最近の輸血問題に関する協会の見解は、ひどいまやかしです。でも、協会の真意は多少見えてきました。協会は実際には輸血を
行ないたいのです。輸血拒否で信者が命を落とすのをできるだけ見たくないのです。だから、実質的に輸血解禁に等しいヘモグロビン
の使用に踏み切ったのでしょう。ただ、「輸血拒否」という看板を下ろすのは、統治体の大多数の賛成を得られていないのでしょう。
確かに、簡単に下ろせるものではないでしょう。もし下ろしたら、幾百、幾千という訴訟が引き起こされかねませんし、指導部に対す
る信頼も相当揺らぐでしょう。だから、「輸血拒否」の看板はそのままに、実質的には、輸血で信者が命を落とすという問題を、少し
でも減じる措置を取っているのです。でも、それは、やはり教理的には無理があり、ヘモグロビンの解禁自体、一般信者に十分熟知さ
せていないのは、情報公開の精神に反するものですし、まして、真理を追究する組織の行なうこととしては、余りにも不親切ではない
でしょうか。

話が行ったり来たりで申し訳ありませんが、そうした私自身の良心が発する信号に基づいて行なう行動の結果、特定されてしまうとす
れば、それはそれで仕方がないと思います。それは、自ら命をかけて「ギロチンの真実」を知ろうとした人と似たところがあります。
もし、組織が牙をむいてくるならば、それは、エホバの証人の組織の実態が、最終的に自分の身をもって理解できる「真実の時」でも
あるからです。


地域大会の劇には、確かに、笑ってしまいましたね。劇そのものもずいぶんと簡素化されて、衣装以外はほとんど小道具らしいものが
使われていないのにも、ちょっとびっくりでした。的外れな適用は、あなたのおっしゃるとおりです。もっとも、最近の「ものみの塔」
誌でも、「長老が明らかに間違っていても、一般信者は、聖霊によって任命された長老には従いなさい。つまり誤りを甘受するように」
というお達しでしたから、劇の内容も予想の範囲内でした。でも、常識的には、一般信者も、エホバの証人は概して忍耐強いので、た
いていのことには目をつぶるものです。それが、あえて発言するというのは、よほどひどいことを長老たちが行なっているということ
を示唆しているケースが多いように思います。そのようにして、長老たちの不正が正されたケースを、私自身数多く知っています。協
会も巡回監督たちも、そうした事例を知っていながら、こうした劇の「教訓」や、「ものみの塔」誌の見解に従わざるを得ないのは、
本当に悲しいことですね。もちろん、いつでも、訴える側が正しいとは限りませんが、

   (箴言 18:17) 訴訟において最初の者は義にかなっている。その仲間が入って来て,必ず彼を徹底的に調べる。

という聖句を適用すれば、やはり、長老からも一般信者からも平等に意見を聞く方がフェアではないかと思います(それにしても、こ
の聖句は分かりにくい日本語ですね)。

むしろ、問題は統治体の方ですね。これは、もう、間違いだらけの人生なのに、自分を正当化することしか頭にないわけだから、本当
に始末が悪いとしかいいようがありません。しかも、決定プロセスは闇の中だから、一般信者としてはどうしようもないわけです。


「真実を求め続けたいエホバの証人」さんが、積極的な意見発言を促しているのは賛成です。このHPの読者の広場も、以前に比べて
ずいぶんと賑やかになりましたね。そして、組織内で忠実に奉仕しながら、実際にはいろいろと不満を抱えている人の発言が増えてい
るように感じられます。

そうした人たちが、本当は、組織内でストレートに発言できることが理想ですが、なかなか、この組織はそうした点では手ごわいので、
まずは、方法はともかく、発言することから始めるというのが重要かもしれません。



2001年9月7日
「物事をありのままに考えるエホバの証人」より

《編集者より》
物事氏は引き続き事態を見守りながら、今後の進路を模索しておられるようです。組織自体も時間と共に変わり、それによってエホバの証人個人個人も変わっていくことでしょう。開かれた組織、誰もが自由に率直に発言できる組織に変わっていけるかどうか、物事氏の発言はそれを試していると私は思います。目ざめたエホバの証人の先頭に立つ人として、今後も発言を続けてください。