「あんたってホント気持ちの悪い人間だよね。-もしかして、タイピングのミス?(中立的な立場からの意見)」

(9-1-01)


少し前にこのHPを知りました。

幾つかの投書を読ませて頂きました。そこで興味を持ちましたのは、「あんたってほ
んと気持ちの悪い人間だよね」(2−21−01)でした。
最初読みました時には、言葉づかいに驚きました。その後、そのことに対する「・・
・」ご意見文(3−12−01)も読みました。幾人かの人がそのことで感情を害さ
れたようで・・・
 でも、私はあることに気がつきました。 それは、「・・・」ご意見文(3−12
−01)の<編集者>よりを読んだときです。そこには、「あんたのおっしゃること
に全面的に賛成です。・・・」と、ご意見を寄せてくださった方に編集者の方が 
「あんた」と言葉を使っています。 
 そこで私は考えました。 誰でも誤字を打つものです。特に、慣れないタイピングで
文を書くとき。
もし、仮に、仮にですが、「あんたってほんとに気持ちの悪い人間だよね」(2−2
1−01)を投稿された方が
「あなた」とタイピングするべきところを「あんた」と誤字を打ってしまったのでは
ないかと考えたわけです。
というのも、「あなた」をローマ字で打つときに、私もときどきですが、急いでいた
りすると「あんた」になっていることがあるのです。あA なNA たTAn の なのNAの
Aを抜かして打ってしまうんです。                 そうすると、
ANTA「あんた」って誤字になるんです。  それに、その投稿文を読んでみますとそ
の時のその方の感情が平常心ではないとも思えるからです。きっと「エホバの証人」
について良く思わないような文を読まれたのでしょう。「やり方がいやらしい、気持
ち悪いよね。」・・・「エホバの証人をかわいそうだとか言ってバカにしているけれ
ど、・・・」と書いているからです。
聖書の箴言15:1には「温和な答えは激しい怒りを遠ざけ、痛みを生じさせる言葉
は怒りを引き起こす。」とあります。投稿者にとってみれば、このHPが良き煮付け悪
しき煮付け、その人の心に痛みを生じさせたのではないでしょうか。だからと言っ
て、怒りを正当化しているのではありません。むしろ、エホバは温和な答えで対処す
ることを勧めておられます。
これまで書かせていただきましたことは、あくまでも私の推測です。

もう一言、別の投稿文を読んで感じたことですが、確か、「エホバの証人に見られ
る”愛”について」の文に対すす<編集者>様のご意見ですが、どうも「エホバの証
人」だけが隣人に対して”愛”を示しているのではないはず・・・とのご意見のよう
に感じました。 私は、投稿者の方の考えをもっと<編集者>様が考慮してくだされ
ばと感じました。その方は、「エホバの証人」以外の方も”隣人愛”を示しておられ
ることは理解しているものと思われます。「エホバの組織」から出されている雑誌で
以前読ませていただきました。
そのことを踏まえて、このHPで「エホバの証人」を擁護する投稿文が少ないというこ
とだと思うんです。
ですから、その方は「エホバの証人」の”隣人愛”についても目を向けてくださるよ
うにと、このHPをご覧になられる方と編集者の方へお願いしているのだと感じまし
た。

インターネットでいろんな情報を手に入れることができます。しかし、それをご覧に
なりエホバに関する(組織を含む)情報を一つ一つ確かめる必要があります。私はバ
ビロンの捕囚に関するエホバの組織の教えが間違いであるということについて図書館
へ行って一般文献で正しい答えを見つけてきました。
「エホバの組織」は、聖書に基づいて、その年を西暦前607年であることが分かり
ました。
 確かに、一般の文献はその年ではありませんでした。しかし、聖書には「エホバが
キュロス王を用いてご自分の民をバビロンから救出された」事が書かれています。
(エレミヤ25章)
ある一般文献にはその年が西暦前537年となっており、エホバが捕囚から70年後
にご自分の民を救出されるという預言と一致します。
まだまだ他のこと(教え)に疑問があればいろんな角度から調べてみたいと思いま
す。簡単に情報を信じたくはありません。(自分自身に言っています)

他の人が考えておられるように「エホバの組織」に対するさまざまなご意見も否定は
いたしませんが、私自身聖書で学んだことを生活の中で正しく当てはめたいと努力し
ております。しかし、パウロもローマの8:19で「自分の願う良い事柄は行わず、
自分の願わない悪い事柄、それが自分の常になっている」と書いているとおりです。
 それで、もし、誰がが 私を含む「エホバの証人」から感情面で傷ついてしまわれ
たのであれば、それらの方に対して心からお詫び申し上げます。
                                      
                           最後に、これまでエホバ
ORものみの塔から得たもの(良いことそうでないこと)についてあなたの内奥に深く
あるものをすべて悪いものだと考えないで欲しいです。  これまでエホバが私達に
示してくださったことを時間が許すならば思い起こしてみてください。エホバは全能
の神です。「義なる者と邪悪な者とをご覧になっておられ
裁かれる」からです。キリスト教と呼ばれるものやエホバの組織を含むあらゆる宗教
が全能の神エホバによって裁かれるのです。神は公正だからです。そして、私たちは
エホバからの是認を得るために日々努力してきたのではありませんか?   古代イ
スラエルの民が600以上の律法を与えられていたことを考えるならば、「集まりあ
うことをやめないこと、聖書で非とされている人間が考え出した伝統的な習慣、慣
行、その他生活の中でクリスチャンとしてエホバが求めておられること、「何をする
にしても、エホバのために」行うと神に誓ったのではありませんでしたか?私を含め
何かに責任転嫁せず、「すべての人がエホバに言い開きしなければなりません」−ヘ
ブライ4:13

これは私が思うのですが、時々<編集者>の方は、教会へ行かれることを勧めておら
れるように私は感じます。私が伝道してエホバの教えを人々に広めると事によって
「真理の道を広めていると確信して行っていますが」その人の命に対して言い開きが
求められますが、<編集者>の方はどうして教会に行かれることをすすめえられるの
ですか?キリスト教の教会についてどう思われているのですか?是非、真実をお聞か
せください。

《編集者より》
私が「あんた」と書いたのは確かにミスタイピングですが、「あなた」と「あんた」との違いがメッセージの本質を変えることはないと私は思います。確かに「あんた」という語調は品が無く、読むものに悪い気持ちを抱かせることはあると思いますが、それが書かれた内容の全体を支配するとは思いません。

エホバの証人の隣人愛に関する投書と回答については、あなたが具体的にどの投書について書いているのか分かりませんので、お答えしかねます。私も人間ですので、投稿の内容を誤解していた可能性は否定しません。

私はキリスト教の教会に行くか行かないかは全く個人の決断であり、特にそれを勧めたこともなければ、それを止めたこともありません。ただし、キリスト教や聖書に関して全くわからず、初歩的な情報を得たいという方については、情報を集めるために教会へ行くことを勧めたことはあるかも知れません。キリスト教の教会も、ものみの塔の組織と同じように多くの欠陥を抱えていると私は思っています。それを承知で、同じような信仰を持つ人々との交流のために教会へ行くことは何も問題はないと思います。ただし、ものみの塔の組織と同じように、教会に神懸りの権力を附加して、神のメッセージの独占的伝達機関を自称し出したら、そのような教会は避けるべきであると思っています。

最後に「このHPでエホバの証人を擁護する投稿文が少ない」とのご指摘ですが、編集者は「読者の広場」の冒頭に書いた通り、投稿の内容がエホバの証人に反対しているか、擁護しているかで掲載するかしないかを決めていませんので、擁護する投稿をしたい方がいれば、送って下されば必ず掲載します。


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