「友人がエホバにはまってしまいました」

(8-6-01)

 友人がエホバにはまってしまいました。
もともと宗教に傾倒する傾向はあったのですが。
友人は「エホバはカルトだ」と世間からいわれていることを知っているようだったので、

はまりはしないだろうと思っていました。
 しかし、先日、「エホバに入信した」という告白、
どんな理由があろうと「世界が滅びる」とか言い出す宗教はクソ宗教だと信じている私は、

真っ向から反対、「とりあえず布教と押し売りにだけは来るな!!」と絶叫していました、

 そののち1時間の宗教論争、
 友人は「聖書の予言があたっている。聖書では『地球は丸い』と書いてある」と言い出しました。

私は思いきりずっこけました。というより、クソ宗教の部類だと確信しました。

聖書にあれだけ大量に文章とページがあれば予言もひとつくらいはあたるだろうし、(詩みたいなどうにで
も訳せる文章多いし)、月と太陽が大体丸ければ「地球もまるいかな?」と昔の人だって思うだろうに!

第一、それが神の教えと何の関係があるねん!?
 予言というのは、例えば「今年の春は晴れが多くて夏は暑くて雨が多かったから秋は豊作だろう」とかい
うように、『先見性を必要とする、自然化学、風水学、地学、物理学などの集大成』ではないでしょうか?

 友人は続けました「聖書の教えを絶対に守らなければいけない」「そうしないと地獄に落ちる。死んでしまう」

 そんな心の狭い神なら私はサタンで結構じゃ!!
・・・・とはさすがに友人に向かっては言えず。
「毒ガスと人殺しだけはするなよ」 と言って電話を切りました。

 そのときは、いかにして友人をエホバから引き戻すか、とあれこれ考えていたのですが。

(論争では負けて無かったですし)でも、「なんであの子がエホバにはまったんだろう」と考えた時、「ああ」と思いました。

友人はは家族に、頼れる人間が一人もいないことに気付いたんです。むしろ友人の枷になる人間ばかり・・・・。

 友人は欠陥住宅に住んでいた頃、エホバに安くて広くてすめるところを紹介しもらい、助けてもらったことがあるそうです。

 私にそれができるだろうか?・・・・・と思った時、やっと私は友人にとって「頼りになら無い人間」のうちの一人だということに気付きました。

 なぜなら私が友人のためにすることといえば、せいぜい2・3日うちに泊めたり、相談にのったりすること
くらいです。それでも友人は私に感謝するでしょうが、それは結局友人の悩みの、根本的な解決にはなりません。

 やはり私も、うわべだけ人を助けていい気になっている偽善者です。

友人が神を求めるのは、絶対的で支配力があり、時に頼りになる神を求めるのは、

・・・・当然のことだと思いました。

現在友人とは音信普通です。
偶然このページに辿り着き、思うがママを書いてしまいました。
乱筆乱文、失礼致します。

《編集者より》
エホバの証人は聖書に地球が丸いと書いてあるから、昔から聖書を書いた人は真理を知っていたと言います。たとえば、「神の言葉」というものみの塔の書籍には次のように書かれています。

「神は北をむなしい所の上に張り伸ばし、地を無の上に掛けておられる」。(ヨブ 26:7)これとイザヤ書の次の言葉とを比較して考えてください。『地の円の上に住む方がおられる』。(イザヤ 40:22)このような記述から描き出せる『無の上に掛かる』丸い地球のイメージ、それは,宇宙飛行士の撮影した、何もない空間に浮かぶ球体としての地球の映像をはっきり思い起こさせます。
この部分の聖書は、英語ではほとんど全ての版が「the circle of the earth」と訳しています。元の言葉は円、あるいはコンパスを意味しています。これが文字通りに球形の地球を想定した言葉であったのかは、全くの推測の域を出ません。「神の周辺」、「私の周辺」と言う時、「周」は円を意味しますが、それがすなわち神の球、私の球を意味しないのと同じです。『無の上に掛かる』という表現も、文学的な描写ですが、「何もない空間に浮かぶ球体としての地球の映像をはっきり思い起こさせます」というのは、ものみの塔協会の単純な妄想的発展としか言いようがありません。私は聖書の筆者は、それは二千年以上前に今のイスラエル周辺に住んでいた人々ですが、かなりの知識と洞察を持ってはいましたが、やはりその時代の限られた知識と偏見に縛られていました。聖書に書かれた多くのことはその時代の社会と文化を反映したものであり、そのまま現代に置き換えて、「宇宙飛行士の撮影した地球の映像」と一致するなどというのは、牽強付会もいいところです。しかし、あなたの友人も話したように、このような話によって多くの人はエホバの証人の宗教に惹かれてしまうのです。