ベテル奉仕者の募集について

(7-16-01)

 組織への幻想を捨てるという意味では、大変良い機会なので、それを知りたい方には是非お勧め
します。現実を知ることができます。
 皆、不完全なのだから幻想なんか持っていませんとおっしゃる方! 甘い甘い、あなたの想像し
ている現実が幻想なのですよ。「そんなことあるはずがない」と思う方は、奉仕会で発表された招
待に万難を排して応募して下さい。
 勧めない理由の一つは、いらなくなったら、あるいは、いらないと判断されたら、クビだからで
す。そして今までの例では、二度と招待されることはありません。もちろん、クビなんて言いませ
んよ。「兄弟には、○○の賜物があるから、是非△△の会衆へ特開として行ってください」とか、
「巡回の業の特権を是非兄弟にしていただきたいと思っています」とか、「××会衆で長老が必要
なので是非兄弟に助けていただきたいと思います」とか、慇懃に体裁作りをして、双方が非難され
ない方法がとられます。でも実質的にはクビなのです。もちろん、断ることなんかできません。IT
時代のおかげで、少しは融通がきくようになっているようですが(実態がすぐばらされるから)、
エホバの印籠をかざしていますから、断ることはエホバのお考えを退けることになるわけです。た
とえ何かの理由をつけて断ることができたとしても、後が怖い。その人にとって、ベテルは伏魔殿
と化します。田中真紀子さんの3倍くらい心臓と気が強くないと持ちません。霊性に問題のある兄
弟というレッテルが巧みに待っているでしょう。
 あそこで終生うまくやっていこうとする人は、知識や話術、頭の回転や何かの技術以外に、人間
関係に目ざとくあり、支部のカリスマ委員との関係をうまくすることが必要です。葛藤が起きるこ
ともあるでしょう。そういうときは、エホバとの関係は二の次にして、カリスマ委員に魂を売らな
ければ、「しかるべき時」に“お払い箱”がしっかり準備されます。
 愚鈍もだめです。「兄弟は、コツコツと努力されますね。兄弟のようなタイプは○○で奉仕され
た方がエホバに喜んでいただけるかもしれません」とか言われて、お体裁よくポイです。二度と招
待はないでしょう。でも、これもIT時代のおかげで、再奉仕した兄弟の例づくりをするかもしれま
せんが、あくまでも非難をかわすための体裁であって、例外でしかないでしょう。
 でも、ベテル出身者で各会衆へ来ている人や、巡回監督をしている人すべてがクビになった人と
いうわけではありません。ベテルが合わないとか、結婚の理由で自らベテルを後にした人達もいる
からです。ベテル奉仕10年を経過しないうちに結婚すると出なければなりません。
10年たっていれば結婚相手の姉妹とともに(ひどい人でない限り)ベテル奉仕を継続することが
できます。原則としてなので、例外はあるかもしれませんが、密室の決定なので公にはわかりませ
ん。非常に有能でベテルで必要とされている兄弟だったら、こういう場合は、再招待もあると思い
ます。
 ベテル奉仕を勧めないもう一つの理由は、少子化(少弟子化)です。世間でも少子化が問題にな
っていますが、エホバの証人の世界はもっと深刻な問題になります。会衆を維持する経済力、ベテ
ルを維持する経済力に直結するからです。今の10代の世代から、若い人は極端に減ってきます。
 つまり、今の規模のベテルを維持できる経済力は、これから徐々に確実になくなっていきます。
状況に応じて徐々に縮小化することでしょう。ベテルに入って何年か後には、リストラが待ってい
ることになるのです。天下り先は用意されても、それ以上の責任は持ちません。中年になってから
娑婆に放り出されます。
 それを覚悟で応募するなら構いません。(正規開拓も要思考ですね)。
 最後に、ニ世は、自分を人形にしないように。人形は一見良く見えてもあきるものです。人形と
付き合おうと思う人はいません。外見は良くても話していてつまらないからです。イギリスのサッ
チャーさんが、首相時代に、低迷したイギリスを改革するために頑とした政策をとったので「鉄の
女」と言われたそうですが、誰かの言葉を引用してこう説得したそうです。「保護されることにな
れてしまった人間は不幸です。……自分の足で立たなければなりません。云々」。これは真実の言
葉だと思いませんか。是非、聖書から考えるニ世、悩みながらも自分の足で前進する二世になって
ほしいと思います。
 悩むこと、苦しむことは恥ずかしいことではありません。「喜べ、喜べ」と聖書でいっているか
ら、元気でルンルンしていなければエホバは喜ばないなんて、トンチンカンな解釈はやめましょう
。(若い人にはそんな解釈をしている人は少ないかもしれませんね。中高年には多いみたいです)
。脳天気に生まれついた人程いいことになります。実際、会衆には、脳天気+形式だけの兄弟姉妹
と、本当に霊的な兄弟姉妹とが混じっていますが、会衆としては、両者の識別は敢えてしません。
そこまでする必要がないことは理解できますが、ピーマン型兄弟が主流の会衆では、エホバが本当
に意図しておられることをトンチンカン化してしまい、会衆自体がトンチンカンになってくるので
、非常に問題があるのです。「学んでも決して悟ることがない」会衆にならないように頼みますヨ
。神がそばにいてくださる限り、私たちすべては、偉大で万能なセイフティーネット(表現が不適
切かも)を得ているのであり、世の不安や動揺の犠牲になることはない、そういう喜ばしい立場に
あることを決して忘れないように、ということを伝えているのです。それを忘れることは、神を忘
れることにつながっていくというか、神を信じない人と同じ方向に進むことになってしまい、問題
をますます抱えてしまい、神の祝福とはかけ離れた方向に行ってしまう、そうならないようにと言
っているわけでしょう。
 私たちが神に背を向けない限り、神の方から私たちを捨てたり、私たちから離れたりすることは
絶対にないのですし(ローマ8:38,39)、詩篇にもエホバは打ちひしがれた者の堅固な高台
になってくださる(8:9)とか、神は苦しむ者の苦悩をさげすむことも、忌み嫌うこともされな
かった(22:24)とか、神は心の打ち砕かれた者たちの近くにおられ、霊の打ちひしがれた者
たちを救ってくださる(34:18)とあるではないですか。 悩むこと、苦しむことを否定する
と、薄っぺらいピーマン人間になってしまうのです。そして表面的な魅力しかない人形のようにな
ったり、最悪のケースは、厚顔無恥と識別力のなさを自覚せず、自分を霊的な人間と思い込み、人
を傷つける偽りの友=偽りの証人が作りあげられていくのです。
 正規開拓奉仕についても書こうと思いましたが、重複する点が多いのでやめました。これで終わ
ります。

《編集者より》
確かにベテル奉仕の経験者の中に、組織の実態を自分の目で見つけて自分から組織を出る決断をした人がかなりいることは確かです。先日も、ブルックリンの本部の執筆部門で「エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々」の調査執筆の中心となっていた兄弟が、組織を出て、元証人たちの集まりであいさつしたのを聞きました。フランズの場合と似たように、組織の実態を深く調査する人たちは、どうしても組織の根本的な矛盾に直面せざるを得ず、その場合に単に自分をごまかして、うやむやのまま現状維持を決め込むか、良心を欺かずに行動に移すか、で組織に留まるか出るかが決まるようです。

「悩むこと、苦しむことは恥ずかしいことではありません」というあなたの言葉には全く同感です。エホバの証人に限らず、組織依存を第一にする宗教に入る人々は、現在ある自分の状況を否定して、彼方にある「悩みも苦しみもない楽園」に惹かれます。しかし、本当は今ある現実の中に、悩みも苦しみも喜びも楽しみも、全ては内包されているのに気が付かないのではないでしょうか。エホバの証人の描く「楽園」はまるで砂糖の甘味が全ての食事のようなもので、私には耐えられません。辛味も苦味も全てが混じって、本当の味が出るのです。同じように、現実の生活の中での本当の喜びは、悩み苦しみに自分で工夫して対応していく中で見つけられます。悩みや苦しみが楽しみと喜びの原動力となると同時に、また楽しみと喜びが次の悩みや苦しみをもたらす原因になることもあります。宝くじに大当たりして何不自由なく生活できる人が必ずしも幸せな生活を送っていないという実態はその一例かもしれません。「人間万事塞翁が馬」という言葉は実に昔からこの現実を洞察していた人がいることを物語っています。どうかエホバの証人として訓練された「善に対する悪」「苦に対する楽」という単純二元的思考を捨てて、複雑な現実の中に善も悪も苦も楽も全ては混在し、それらを常に経験していくことが現実である、として素直に受け入れる態度を身に付けることをお勧めします。