「今日も又、死んだ」−(静かなる嵐)

(7-4-01)

輸血拒否の信仰を貫くために、今日も又、貴重な生命が失われた。
Another Blood-death!

On July 4th Mike O'Brien of the Saskatchewan News Network reports that "Dead
teen held firm to faith". 19yr old Dylan Boe was the only one of 4 young
friends who wasn't killed immediately in a 2 vehicle collision Saturday June
30 near Mellville Saskatchewan.


日本では、おまじないのように輸血拒否の札をくびから下げて、自己満足している。
そんなに命を失いたいのだろうか。信仰のために命を失うと聞くと、とても高尚に聞
こえる。

一昔前、サンフランシスコに本部があった、ピーポルズテンプルの集団自決を思い出
す。あの時も、人間の指導者、ジョーンズ牧師に連れられて、楽園を求め、最後には
死ぬという結末。

心が優しい人は、死ぬまで信仰を貫くと、神はあなたの信仰を喜ぶと協会がいうのを
聞くと、その気になる。いったい、聖書のどこに輸血を避けて、死ねと書いてあるの
か。又、親からもらった命を粗末にしてよいと聖書のどこに書いてあるのだろうか。

聖書には、エホバは私たちが一人も滅びることを望まないとペテロ書に書いてある。
決して誤解してしてはいけない、ものみの塔の教えは二転三転している。私たちに命
を粗末にしろと間接的に教えているのは聖書ではなく、協会である。

読者は、本当にものみの塔の責任者、統治体のメンバーが私たちのために命をなげ
うって、信仰を通すと思っているのだろうか。毎日、おいしい物を農場より取り寄
せ、快適な部屋で何不自由無く暮らし、毎年、長い休暇をもらい、仕事といえば、世
界中から送られてくる、信者のメンバー数だけが唯一の関心事である。ものみの塔の
メンバーはその数字のためと寄付金ののために必要なだけである。あとはすべてどう
でもいいのである。

伝道時間を毎月報告しているが、それもただ組織の規模を誇示するだけの道具。聖書
のどこに伝道時間を報告せよと書いてあるのか。聖書のどこに開拓者と言う名がある
のだろうか。輸血の拒否と同様に、信者に厳しい決まりを課し、自分たちの組織がま
るで神聖であるかのように、思わせるためである。

いったい何人、ブルックリン本部の野外奉仕部門の兄弟が一昨年、飛行機代が安く
なったからと京都に遊びに来たか皆さんはご存知ですか。輸血を拒否してまでパラダ
イスを待ち望むブルックリン本部の主要なメンバーが京都にこだわるのですか。まし
て京都はバビロンの本拠地なのに。
ある兄弟は京都が気に入り、ひとシーズンに3度も来たと地元の長老は嘆いていた。
そんないいかげんな本部のメンバーたちの教えに惑わされて、尊い命が数多く、失わ
れて行くのをみるのはやりきれない気持ちになる。

人殺しのカルト教団はオウムだけが目立つが、ものみの塔の教えで多くの人が家庭を
破壊され、命も失った事実は、オウムをはるかに凌ぐ、そしてそれは、未だに続いて
いる。

これ以上、こうした惨事を繰り返してはならない。

静かなる嵐より

《編集者より》
輸血拒否による信者の死は、大抵病院の中で世間に知られずに起こっているので、一般の人の知識や関心に上りません。しかし、輸血拒否による死亡率、年間の総輸血量とエホバの証人の人口に対する比率から概算すると、世界中でエホバの証人が、少なくとも年間900人は輸血拒否が原因で死んでいると言われます。これはピーポルズテンプルの集団自決やテキサス州ウェイコで1993年4月に起きたブランチデビデアンの集団焼死事件より遥かに多くの死者ですが、エホバの証人の場合、病室で一人一人外部にほとんど知られることなく死んでいくために、この大規模な宗教的集団自殺とも言える輸血拒否の教義の重大さが、一般の人々には今一つ理解されていないようです。