「私の経験アメリカ版」(静かなる嵐)

(6-24-01)

私は米国に渡り、エホバの証人歴数十年になります。米国のエホバの証人の実態を私
なりのアングルから見てきました。終わりが75年に来ると信じて、熱心に奉仕しま
した。私の司会者は夫婦で正規開拓者、仕事は夜の清掃パートタイム。その後南の州
の必要が大きな未割り当て区域へ家財道具を売り払い75年を信じて引っ越して行き
ました。そのような移動した家族は大勢いました。

私は会衆のあるゆる割り当ても果たし、模範的な証人にいつもなろうと努力しまし
た。75年の予言が不発に終わると、証人の態度に変化が現れ、口では終わりは必ず
来ると唱えていますが、行動はまるっきり正反対です。たとえば、

1 よりよい仕事、安定した収入を求めだしました。そのため、若い人々は集会を休
んで大学や、専門学校に行ったりし始めます。
2  子どもつくる夫婦が目立ち始め、主催監督は特に率先して大家族です。そして、
ものみの塔まで、家族の記事が増え始め、表紙には家族の写真が目立ち始めました。
3    よい車、バケーション、高級なスーツ、洋服、宝石など人生を楽しむ傾向が強
くなりました。75年前は新車を買うと信仰がないと非難されました。
4 伝道もいいかげんになり、つまり時間潰しの伝道になり、研究が一つも無くても
開拓者として恥ずかしいことでもなく、タイトルだけの開拓者が増え始めました。ダ
イハードな開拓者は過去の人です。
5 いいかげんな長老が増え始め、何もいいことはしないが、目立った悪い事もみつ
からない長老がはびこりました。
外見は美しい、隣人愛と自己犠牲に富むエホバの証人を装っていますが、集会にいく
とまるで別人で、この世の人より常識の無い人だらけで話になりません。
別の機会にその点について詳しい経験を投稿したいと思います。

そのような状態でも、私はがんばりました。できれば一人でも多くの人を真理に導き
たいと努力を惜しみませんでした。幹部になるにつれて予想外の壁がふさがります。
サタンではなく別の問題です。

会衆の伝道者の時は、何でも聖書、聖書でした。しかし幹部になると、組織、組織で
す。また、民主主義が第一つまり、大多数の幹部の考えをいつも考慮にいれなければ
なりません。、組織的ものの考え方、大多数の幹部の考え方が常に優先され、聖書が
何と言っているのかはお飾りです。つまり幹部は一部の強力な幹部の風見鶏になる事
です。ではその偉い幹部たちは聖霊に導かれ聖書的な決断をしているのでしょうか?
答えは否です。最低レベルのものの考え方がいつも支配、たとえのろいの言葉を他の
幹部から聞いてもそれを誰にももらしてはならず、普通の人間ならば頭が倒錯するで
しょう。数分前までは真理の言葉を語っていた人が、幹部室に入ると別人です。まる
でジキルとハイドです。それに輪をかけたのがものみの塔本部でしょう。あらゆる詳
細に至るまでの指示。まるで子ども扱いです。ある情報によると組織の本部はまるで
会衆を信じて無く、いつも懐疑心の目であたっているそうです。

組織の偽善に耐えられなくなり徐々に関心も薄れ、こたえも見つからず、しかし、レ
イモンド フランズさんの「良心 の危機」を読み、長年にわたり、自分が疑問に思っ
ていた答えつまり、この組織が神と無関係であることを知りました。
今は、一人でも多くの人が私が失った数十年の損失の二の舞をしないように、投稿し
ています。

彼等の教えは巧みで、美しく、反論の余地が見付かりません。しかし、統治体の教
え、油注がれた者の教えなど、まるでおとぎばなしです。アメリカにいると彼等を観
察する機会は多いのでただの人間だとすぐに分かります。
私の司会者と偶然に何十年ぶりに再会しました。彼も大家族になっていて、定職もな
く、高等教育もないので現在定年になる年なのに、学校に通い、よい職を得ようと奮
闘しています。精神的にかなり落ち込み会衆の割当てはいっさいできない状態でし
た。彼も犠牲者の一人です。

世界の600万人の人が無意味な冊子を無意味な目的のために無意味な者のために金
を貢いでいる現実は悪夢です。一日でも早く、多くの人の救出が必要です。

静かなる嵐より

《編集者より》
1975年の出来事は、特にアメリカのエホバの証人の間では強烈な記憶として残っているようです。1975年を境にしてエホバの証人の社会に大きな変化が起こったことは、ある意味で1995年の「世代の教義」の変更によって起こった変化と共通していました。それは「終わりはもう直ぐだ」と緊張感を煽動しながら、その直ぐ後で「終わりを先延ばし」にして予言の偽りを取り繕うという醜態でした。それまで張り詰めた緊張感から一時的にせよ開放されたエホバの証人たちが、「建前」の生活から「本音」の生活に戻るという点では、これはエホバの証人の歴史の中で繰り返されるテーマなのでしょう。ただ、1995年以降異なるのは、もはや組織が緊張感の幻想をエホバの証人の間に煽動する能力を失い、組織全体がずるずると軟弱化していく過程に陥っていることではないでしょうか。長年のエホバの証人としての経験から、今後も様々の視点を提供していただければ幸いです。