「真理が人を自由にする」

(6-17-01)

にぶい頭を無理に動かして、いろいろ考えてようやく気持ちも落ち着いてきました。
一時は、すべての事に嫌気がさして、食事もろくに摂る気がしませんでしたが。
どんな人生でも、命が続くかぎりはわれわれは生きて行かなければならない。
ものみの塔のエリートたちのように、他人の寄付金で何不自由なく暮らす人間を
憎むことはもうやめようと思います。それこそ彼らのペースで生きていることになります。

何でもやりたいように彼らはこれからもやるでしょう。
だが、彼らも人間である以上はいつかは死ぬのです。
彼らが死ぬとき、うそ、作り事で固められた自分の人生を振り返って
彼らはどういう感想を持つでしょうか。最後まで自分の勝利を信じ抜いて
死ねるのでしょうか。そうかもしれません。逆に、うすうす感づいていた、
自分の人生が張りぼてのものだということを思い見て、惨めな気持ちで
死んでゆくかもしれません。人間である以上、多少とも良心は働くであろうから。

失ったものは潔くあきらめよう。伝道の書にもそう書いてあります。
残されたものを上手に活用して生きようと思います。
私は会衆に残って、このHPで学んだこと、知ったことを
組織のマインド・コントロールに距離を置いている幾人かに
巧みに知らせようと思います。このHPそのものを知らせることが
できたらぜひそうしたいと思います。

一人でも多くの人がこのHPを読むなら、エホバの証人をすっかり
辞めてしまわないまでも、無批判に協会の指導に従うことをしないように
なるかもしれません。いえ、きっとそうなるでしょう。全く今までの生き方を
切り捨てられはしないからです。しかし、組織の奴隷にならないで、自分を
取り戻すことなら、いくらか容易でしょう。
自分の目でみて協会の指導を評価する、そういう人間としてごく当然の理性的な
生活態度を取り戻すように人々を助けることには、人生を費やす意味があると思います。

遠い将来、ひとりひとりのエホバの証人が冷静な知性を取り戻し、
文字どおり「道理にかなった」判断力を取り戻したときには、
そのときにはほんとうにものみの塔は変わるでしょう。
強権的なものみの塔のエリートたちが死んでしまっていたなら、
なおそれは期待できるでしょう。連中が行ってきた殺人に等しい所業への
自己批判も行われるようになるでしょう。ちょうど今日のカトリック教会のように。
ものみの塔エリートたちが躍起になって作り上げてきた教理も組織も
そのときには砂上の楼閣よろしく消滅することでしょう。

この宗教のために人生を棒に振ってしまった、と後悔している方々、
こういう生き方に活路を見出すことはできないでしょうか。
私たちの子どもの世代が、私たちと同じ轍を踏まないように、
私たちにはできることがあると思います。

神が本当に存在し、そして聖書のエホバがその神であるなら、
神は「真理」の擁護者であるはずです。どうか真実のために
働かれるように。法で裁けない詐欺、殺人を行う全体主義から
人と家庭を保護されるように、私は声を大にして神にそういいたい。

《編集者より》
「失ったものは潔くあきらめよう」とおっしゃり、「理性的な生活態度を取り戻すように人々を助けること」、「私たちの子どもの世代が、私たちと同じ轍を踏まないように、私たちにはできることがある」とおっしゃるあなたの提唱には、私は百パーセント賛成します。組織を出た人々への大事なメッセージを簡潔にまとめていただき、ありがとうございました。